旅ごころ

「旅」をキーワードとして、イエローな脳細胞を駆使して生活を愉しむ。

カルチェ・ラタンでシャンソンを🎶

2017-08-31 09:52:20 | 名古屋
8月下旬の暑い1日、昼は名古屋市内で用事があり出かけ、夜は同市内で開かれる川出祥代さんのシャンソンコンサートに出かけるという日程で名古屋に一泊した。
この日名古屋は参加型踊りイベントの「にっぽんど真ん中祭り」で賑わい週末はどこのホテルも盛況(あとで知ったがあの香取慎吾が参加したと話題になっていた)。シャンソンが終わって(レイトな食事も予定)、自宅のある岐阜方面に帰るのも辛いので泊まることにした。名古屋駅や栄付近のホテルはなかなか宿泊予約が取れない。幸いシャンソン会場に近い池下駅近くのルブラ王山という公立共済のホテルにやっとリーズナブルプライスで予約することができた。
昼間の用事が長引いたので池下駅近くにあるホテルにやっと5時過ぎに到着。
ホテルチェックイン後直ちに歩いて会場へ。ホテルのあるこの地区は平坦な名古屋の地形には珍しく東の覚王山付近から少し西へ傾斜気味である。覚王山エリアは、地形の変化もありかつ高層マンションなどもあるので六本木に少し似た印象を持つ。カルチェ・ラタンに着くまでに風情のあるよし川の高級レストランや古川美術館分館建物を通り過ぎる。
昔横浜から勤務のため名古屋に来たトヨタマンがフラットな落ち着かない街だねとこぼしていたのを思い出すがここは例外。名古屋が東京などと比べてもアップダウンが少ないためだろう。確かにブラタモリ風に言うと地形が中心部はフラットで広い洪積台地。フラットであるため鳥の視点でなく地を這う視点となりがち。でも池下から覚王山にかけては東から丘陵が迫っている境目に位置している。地形も人生同様アップダウンあった方がいいのかな。
6時少し前にカルチェ・ラタンに到着。
カルチェ・ラタンとはパリセーヌ川河畔のラテン語地区という意味らしいが、日本語の響きから私はカルチャーの灯り(パリ)という誤解をしていた。でもその誤解の方がこの建物やイベントにはぴったり来る。あとで館長から聞いたがアート倶楽部としてイベントの他に絵画教室をしっかりやっている文化センターでもあると言う。またカフェと伴に本格フレンチレストランを営業している。なかなかのものである。
エレベータで会場に入ると3階ワインラウンジは50人程度の観客で一杯。6時から大阪から参加のにしかわまことさんのピアノ前奏。引き続いて川出祥代さんのシャンソンショーが始まる。
彼女のシャンソンを聴き始めて私は3回目となる。これも不思議な縁で川出さんの姉と私の妻とがここからそう遠くない小学校からの同級生。彼女は通常は東京で活動されているが年に数回名古屋でコンサートを開く。今日のコンサートはラウンジコンサートでありワインやビール1杯つき。ピアノは有名なスタンウェイピアノ。ワインは後に回してビールで喉を潤した。演奏前後もドリンクできるサロンコンサートは面白い。夏の風に歌うというテーマで「ラ・メール」から歌い始める。
前半6曲、後半6曲そしてアンコール2曲。最後はフランス語で「人生で一番美しいもの」を歌った。私はフランス語は少し齧った程度であるが、彼女のフランス語は本物である。何年間それこそカルチェラタンにあるソルボンヌ大学に留学していた。訳詞で日本語で歌うシャンソンよりも、フランス語で歌うシャンソンの方が声量もあり発声がとても美しく感じた。あっという間の2時間弱であった。
8時少し前に予約してあった地下1階のフレンチレストランへ。と言っても1階のカフェとは続いている構造となっている。
ここのシェフはフレンチで有名なミクニにいたらしい。自家製パンは美味しい。料理コースは口取り、前菜、魚料理とメインの鴨料理そしてデザート。納得できる本格的なフレンチ料理。全てのプレートに舌鼓。あえて値段はエントリークラスとしたのでワイングラス一杯つけても一人1万円以下で収まる。
パリに行かなくてもパリ気分は味わえる至高の1日。実は3年半前のパリ滞在はすり被害に遭い予定していたマキシムなどでのフレンチを食べ損ねている。午後9時過ぎにゆっくり歩いてホテルに帰着し、幸せな真夏の夜の夢のような1日を終えた。
自宅へ帰ってから家内は、今度はランチに食べに行こうかと話す。私の方は名古屋で日本シャンソン協会のために長年活動されておられる加藤修滋さん出演のカルチェ・ラタンに置いてあったパンフが気になる。次回カルチェラタンでまたシャンソンを聴きに行きたいと思っているのだが…。

閉話休題 次の海外どこへ行こうか✈️

2017-08-21 00:42:16 | アジア
実を言うと今年の秋頃アジアへ行くと何となく決めている。そして私の場合自ら旅の単純な3つのルールに依っている。
ルールその1、海外で友に会う。先ずきっかけは長年親しくしている韓国人家族たちに「今年ソウルに行くよ。」と既に今年3月にメールで連絡。30年前から知り合いの老婦人が現在ソウルの老人ホームにおられるので年内に見舞いに行くと決めている。
次いで台湾再訪する。今年4月に台湾に行って、台湾人の友人たちと会い一気に台湾贔屓になったせいもある。初訪台後、例えば未知の場所の台中はフェイスブックで知り合った台湾人の友達が住んでいるし、日本人設計のオペラハウスがある。是非とも一度行ってみたい。
加えて日本人の知り合いがタイのバンコクやホアヒンに滞在しているので、どちらも行きたい。
海外へ行く時は、その場所で住んでいる前から多少でも知っている誰か(日本人とは限らない)に会うことにしてる。観光地巡りよりも、現地に住む人物を通して、その国や地域の良さを普通の旅行の10倍自身感じたい欲張り。国内旅行はそうでもないけど海外はそうしている。何故か今はアジアに友達が多い。だから目的地は何となくアジア。ソウル、台中そしてバンコク。てんでんバラバラだが“開けドアー今はもう流れ出たらアジア”。
ルールその2、出発と帰着はセントレア。経済性からでなく利便性に尽きる。我が家近くの駅から中部国際空港駅まで、海外旅行者向けの名古屋鉄道ミュースカイ特急を利用すれば1時間余りで行ける。それに私たち夫婦は年齢も重ねており無理なく近くの空港を利用したい。最近でも若い人たちがマイカーで関西国際空港まで夜ハードに走り安いLCC(格安航空便)を利用し台北2日間を旅行したと聞く。まあそれもありかなと思いますが。私にとっては、セントレア愛ひとすじ。
ルールその3、出来るだけナショナルフラッグの航空会社(JALやANAなど)を利用しないこと。関係者に申し訳ないが、外国の航空会社を利用すると意外な楽しみがある。3年前ソウルやヨーロッパへ行く時は大韓航空を利用。その直後ナッツリターン事件が起きた。ちなみに当時事情あって搭乗したビジネスクラスではやはり袋入りのナッツの提供があったので、正直このニュースには笑えた。でも韓国風の機内食、韓国人CA(客室乗務員)のサービス共にとても満足いくものだった。また、今年4月の訪台ではチャイナエアラインを利用。3時間余り機内では台湾人多く中国語が飛び交う環境で、同様に台湾人CAのサービスを楽しめました。いづれのエアラインでも飛行機に搭乗するやいなや何より外国モードに自分がシフトしているのがよく分かる。と言ってもCAがよく聞けば日本語で話しかけているのに、気負って英語で答えている不思議な私。アジアと言うものの日程やエアラインはまだ決めていない。でも先ずは海外旅行アプリを使い楽しみます。例えばFlyTeamを使うと、セントレアを始めとして各国の空港の発着便が分かります。飛行機便が繋がると周遊旅行ルートができます。ああ、でも実は一番大事な事を忘れていた。何にも増して連れ合いのOKです。魅力的な旅行プランを作るに尽きるなあ!

下呂温泉で家族の絆を愉しむ♨️

2017-08-13 07:35:24 | 下呂
下呂温泉。飛騨高山から美濃加茂を流れる木曽川水系の飛騨川沿いに佇む温泉地。檜の木立の中に純和風ホテル「湯之島館」が85年経った今も営業している。私達夫婦と長男夫婦の家族会議で評価の高い由緒ある伝統あるホテルへ行くことに決定。旅の喜びの場合、私は企画する段階が一番楽しい。今回はそれよりも、遥かに旅行後の満足感がある。新しいカタチの家族の旅、そして全く忘れていた職場の先輩たちとの楽しかった旅。
今年8月上旬に出かけた。旅行メンバーは1歳8ヶ月の孫娘を含む長男夫婦と私たち夫婦5人。当日は朝から晴れ。息子たちは愛知県から7人乗りのマイカーで到着し自宅で私たちを乗せ出発。自宅から温泉地まで約75キロ。行きは交通が少ない山間を抜ける県道を走る。通過する隣町の関市には「武芸川温泉」や「上之保温泉」がある。いつも私たち夫婦は日帰り旅行でこれらの天然温泉を利用している。午後3時に「湯之島館」に到着。
85年前昭和6年開業。部屋に檜と露天風呂ふたつが付いている純和風別館4Fに滞在。内湯は露天岩風呂と檜の内風呂。24時間入れる部屋付きの露天風呂は一晩中掛け流しで湯量を心配したいくらい。
さすがに一流ホテル。玄関からの出迎えと部屋案内はしっかり出来ている。到着時女性のみカラフルな浴衣サービス。
亡くなった私の父が、和歌山県のあるホテルが宿賃を安くするためビジネスホテルのような接客にした折、えらく憤激していたのを思い出す。接客はやはりあった方が良いと思う反面俺も歳とったと思う。久しぶりの和室は気品があり落ち着く。
夕食前、大風呂と野天風呂に入る。日本人ばかりではなくヨーロッパ系の親子連れもマナーよく入浴している。野天風呂からは下呂の街が見下ろせる。わざわざ下呂の丘陵斜面の檜の木立の中によくぞ手間かけ造ったものだ。このため自然のなかにいるという趣がある。夕食は本館の家族用和室で。飛騨牛のしゃぶしゃぶと鮎の塩焼きが印象に残る。鮎は地元のもので骨っぽいが美味しく感じた。
それにも増して息子と飲む生ビールが美味しい。息子や息子の嫁も温泉と料理を楽しんでいる様子で会話は弾む。特に孫娘が、身体部位の名前に加えしゅっぽっぽのオノマトペ言葉が言えはじめている。家族をとても愉快がらせる。夕食後、気持ちよく酔ったせいか部屋でうたた寝。うつらうつらしてると花火の音に引き続きにわか雨。目が覚めたので深夜部屋付属の檜風呂と露天風呂に入りやっと床に着く。
翌朝は6時に起床。昨夜夕立あったが今日も晴れ模様。館内を散歩する。朝だけで2,000歩程歩くことに。昨日も到着後館内を様子見していたが迷路のように感じる。昨日はテラスになっている「山の足湯」にやっと行けたくらい。
山の斜面に造られていることもあり階段が多く、緩やかな山登りの気分。会議室やビリヤード室、ピンポン室、家族風呂などを観ながら多くに和洋折中のカルチャーを感じる。
大浴場へ行く途中にはかなり前の昭和天皇と今上陛下の宿泊時の御写真。別の場所では宿泊した往年の大スターの写真も並べて廊下に掲示。さらに宿泊した好きな作家の一人司馬遼太郎のこのホテルに関する紀行文の一部(春慶塗り)も廊下に掲示。
箱根の富士屋ホテル、軽井沢の万平ホテルと同様にクラシックホテルが持つ独特のワールド。やっぱり誰かに上手い解説してもらうともっとその世界を味わえるかも。
午前8時から8F新館大広間で家族で食事。朝は韓国始めアジア系の宿泊者を見かける。皆さんテーブルマナーが良い。その後私は部屋で3度めの露天風呂へ入る。
午前11時にチェックアウト。玄関前で記念写真撮るが、靴を履き歩きまわりたい孫娘は安全のため抱っこされるせいか、朝食時良かった機嫌が少しずつ悪くなる。下呂市荻原町まで評判の良い予約した昼食場所へ15分程度ドライブ。
行く途中禅昌寺という禅宗のお寺の横を通った。途端親密な付き合いしていた元職場の先輩たちと下呂温泉へ行った15年以上前の最後の旅(先輩の病気などで以降叶わなくなった)で此処を訪れたことを鮮明に思い出した。先輩の一人が熱心な禅宗の信者であって歴史ある16世紀建立の寺を見学。私の最初の職場時代から当時で30年程の付き合いであった。最初から先輩たちは若年者を褒め、とても愛情深く接してくれた。残念ながら多くが高齢などで亡くなられた。彼らの発言から「ヒトの人生は褒められて成長する」ことを身をもって学び、一緒によく旅をしていた。
レトロな建物、でもトイレはとっても新しいイタリア料理のレストラン「クッキーアイオ」に到着。
私は、前菜に引き続きスパゲッティボンゴレを食べたがとても美味しい。
当初孫娘は機嫌そこねてたから(俗に言うイヤイヤ期でもある)、その室内でもなかなか泣き止まない。家族は困り果てなんとかあの手この手で 宥める。食事終え午後1時出発、飛騨川沿い国道41号線をドライブ。
孫娘は車の中では音楽がかかるやいなや静かに。一体さっきは何だったんだろう。直ぐこっくりしだした。可愛いい寝顔を見ながら家族は苦笑いするしかない。私は泣く子と地頭には勝てぬとの格言を思い出している。午後2時半過ぎには自宅へ帰着。
ここ何年かの旅は息子たちが結婚してからなので夫婦だけの旅。今回は離れて住んでいる長男家族たちとの一体感が始まる旅。そして思い出旅、私を育ててくれ旅好きに導いたとも言える人たちとの15年以上前のヒトの絆の旅。やっぱり旅はいいなあ。

初めて台湾4ラスト 故宮博物院、タクシーとエアポート🚕

2017-08-08 09:02:13 | 台北
4日目月曜日。快晴。昼までに摂氏34度まで上昇。滞在中一番の暑さだが日陰は涼しい。夕方の便で帰るので、それまで十分楽しむ。 朝食後8時半にホテルから、中国の至宝が展示してある故宮博物院にタクシーで向かう。30分で到着、途中有名な圓山大飯店(ザ グランドホテル)直ぐ西を通過。中国らしい外観の立派なホテル。次来るときには食事に立ち寄って建築物や調度品をじっくり観てみたい。
故宮博物院到着後、広いので推奨のとおり3階から1階へと回る。部屋の番号が左右どちらかの順配置となっていないので少し分かりにくい。展示解説してくれる有料音声ガイド利用した。便利だがガイド機器を借りる際、保証としてパスポートが必要となるのはやや面倒。展示品では3Fの玉石彫刻品などに目を奪われる。
特に有名なのは白い大根に留まるキリギリスの素晴らしい彫刻が施されている翡翠(ヒスイ)の名品「翠玉白菜」。日本の博物館などではあり得ないが、翡翠の彫刻品の前では中国人は並んで撮影。私も同じように並んでこの至宝を撮影(フラッシュは禁止)。
この感動のせいか2Fや1Fの書画、陶磁器、家具などはサッと素通りしてしまう。家内は2Fのショップで一部土産品を購入した。
そして今日がラストデーなので二人とも1Fのミュージアムショップでもさらに土産物を購入。休憩は1Fのカフェで中華風饅頭と中国茶を味わいマッタリした。
友人たちからも勧められていた「故宮博物院」の至宝を観たので大満足。中国政府は台湾を国として認めていない以上、国宝という言葉でなくやはり至宝というべきだろう。
タクシーを呼ぶため、インフォメーションにアドレス付きのホテルカード見せて頼めたまでは良かった。タクシーが本来のホテルに連れて行かないので少しあせる。Google Mapsで場所が分かっていたので指示したかったが、中国語がわからない。場所がわかる理由はグローバルWifi社のレンタル式のハンディ機器をスマホに連動させ活用してたから。ついでに言うとwifi機器の利用は簡単で出発日空港受取、帰着時空港返却。費用は私の利用したシンプルタイプで4日間1,500円程度。ホテル内はwifiあるものの外出時は違うので次回の海外への旅は又利用したい。ところで何処へ連れて行かれたのか?答えは運転手は違う場所にある似通った名前のホテルで降ろしたのだ。友人に「道が違うから、せめてここで停めてと言いたかったけど、中国語がわからない」と電話で顛末を伝えると「Stop(英語)」といえば良いのにと電話口で笑っている。やれやれ、11時に故宮博物院を出たのに、本来のホテルに着いたのは12時近く。通常の倍時間がかかってしまった。
ホテルに着くと慌ててチェックアウトした。12時までオーケーなのでセーフ。荷物をフロントに預け、空港までのタクシーを予約。昼を簡単に済ますべく、いつも前を通っていた200m余り西の庶民的なレストラン「温州大餛飩」で麺類を食べる。鉢に野菜の和え物などが棚に並べてあるので各々一つだけ中国人のようにこれも取って食べる。 どれも美味しい。ホテル出発まで時間あるので、私は西隣のビルのスターバックスでコーヒーブレイク。
家内は中国茶の土産物が欲しかったので、ホテルに戻る途中にある「金品茶語」で中国茶詰合せを買っていた。午後1時15分にはホテルをタクシーで出発し、淡水河を渡り台北にはお別れ。
実はタクシーにはいろんな思いがある。海外でのタクシー利用については自身や妻のトラブル経験から考え過ぎるくらい。タクシー料金のごまかしにも多く会っている。特に3年前ヨーロッパ旅行の際のパリ到着時、言葉とトラブル回避からあえてタクシーでなく空港バス利用した。家内はパリで一人で利用し身の危険を感じたのもその理由。しかしバス下車後ホテルまで歩くわずかの距離でスリ集団に襲われた。この経験から今回到着時のみ専用車の出迎えを選択している。今回桃園国際空港到着時はVELTRA社の出迎えサービスを利用。台湾は出入国審査は指紋や顔モニター使用し時間がとてもかかったので喉が渇いた。迎えに片言日本語も話せるドライバーがいたので、売ってる場所を聴いてドリンクを買いに行けるなど重宝した。桃園国際空港は台北中心部から車で45分程かかる。出迎え費用は6千円程で通常のタクシー利用の5,000円前後より少し高い程度。旅行社で専属の配車を頼むとこの倍近くかかる。あるいは安いコストの旅行社のグループ搬送としても土産物店と各ホテル立ち寄りで間違いなく相当時間がかかるものだから両方とも敬遠した。
午後2時には桃園国際空港に到着。まだ、早すぎるけど保安検査を通り、ターミナル2の待合ゲートへは早すぎるので、途中の広い通路両側にあるフリーショップエリアで時間を潰す。ソウルのインチョン国際空港ほどではないけど広い。夫婦とも台湾の通貨をまだたくさん持っていたので、家族へのみやげと共に連れ合いに翡翠ペンダントを買うことができた。午前中に翡翠細工の名品を観たことが影響あるかも知れない。
その他にブックストアで繁体字の書物を3冊購入。大好きな村上春樹本は残念ながらなかったので、カラフルな台湾の歴史本、小野洋子の著書と日中辞典。それでも出発まで時間があり家内と飛行機の離発着が見れる軽食堂で休息。家内はタピオカミルクティーで私はビール。
定刻どおりチャイナエアラインは午後5時過ぎに離陸。機内食を食べ3時間があっという間に経過。時差が1時間あるので午後9時セントレアに着陸。この日は曇りだが常滑は13℃しかなく台北とは20度以上の温度差ではあるので寒く感じる。
通関すると午後10時近い。その日はホテル泊。ものの10分かからないくらいスムーズに建物通路を経てセントレアホテルへ。疲れずに旅の思い出を大事に出来るので安心。そのうえ翌日飛行機の離発着を見たいという子供のような自分がいた。空港にあるホテルで初台湾訪問の思い出いっぱいのまま眠りについた。電車でまだ帰れる時間かもしれないし、朝食込みのホテル代二人で3万円近いのは少々痛い。自身無駄とは考えず、旅はそもそも思い出をどう作るかという自分づくりにかかっていると思っている。このため家内からウルトラどけちな貴方が旅に無駄金使うと、バッシング受けているが気にしていない。でも唯一残念だったのは翌日のセントレア空港は雨だったこと。
4月4日間の台北滞在は全て晴れていたことが愉しかった旅の思い出に繋がり、さらにヒトとの出会いを通じて何か強い台湾との絆を感じるまでの心となっている。いつか又必ず台湾を再訪したい。

































初めての台湾3 林森公園、饒河街と国賓大飯店📱

2017-08-03 23:02:55 | 台北
3日目日曜日。晴れ時々曇り。早朝、朝食前にホテル前の林森公園を妻と散歩。
公園やその付近は昨夜の人通りが嘘のよう。連れ合いは台湾の友人の奥様のすすめで昨日夕方台湾式シャンプーの店へ行ってきていた。どうだったかと聞くと泡をたてて髪の毛をピーンと立て写真を撮るかと聞かれたが、白髪を染めてなかったので断ったそう。でも楽しんだ様子は分かった。
その後ゆったりと朝食をいただく。食事は洋食風バイキングがメインなシンプルなものであるが毎日楽しめた。贅沢を言えばただ日本人宿泊客が多いので異国情緒に浸りにくい。
デパートで現地通貨に両替するためと大変良くしてくれた台湾の友人に謝礼したく商品券を買いに新光三越へ行くことにする。11時にしかオープンしない。台湾ではデパートも夜型かな。日本とは1時間の時差があるが、デパートの開店時間までとは。時間あるので妻はいつものごとくフットマッサージへ。私はぶらぶらデパートまでの大通りを往復。
途中歩いてて赤と緑の郵便ポストに気づいた。国内便(緑)と国際及び速達(赤)の違いらしい。深読みすると歴史に関係する。赤は戦前の日本の影響(日本はイギリスの影響)。緑は戦後の国民党支配の結果という。
昼食はすぐ出掛けるので部屋で済ます。妻がマッサージの帰りにコンビニファミリーマートで買ってきたサンドイッチがメイン。それに毎日ホテル差入れの果物に加え友人からの差し入れのビワと珍しい蓮霧(レンブ,Wax Appleとも言う)。朝慌ててホテルスタッフにカットを頼み何とか昼前食べれるように間に合った。
午後、妻とタクシーで市内饒河街周辺地区へ行く。
ちなみに台北で「士林夜市(シーリンイェシー)」の次に知られているのは饒河街夜市(ラオハージエイェシー)。ただこの地区を訪問するのは台北近辺在住の日本人とある繋がりを介して交流するという全く個人的な目的のため。そして私の卒業した名古屋の高校の先輩と偶然会えた。2時間ほど束の間の愉しい時間を過ごす。台湾の友人といい、不思議な出会いや再会が続いている。今夜は友人たちがホテルでサヨナラの会を開いてくれるので、夜市で有名な臭豆腐(チョウドウフ)を食べるのは次の機会に譲るしかない。タクシーでホテルに戻る。
夕方ホテルに友人たちが来てくれる。すぐタクシーで近くの食事場所に向かう。本当に3日間世話になった。私の数少ない友達たちとの付き合いでも、これほど親身になってサービスしてくれた友人は嘗てない。高級感のあるアンバサダーホテルの粵菜廳の広東料理(飲茶)を友人から招待される。着席するやいなや皆さんから台湾土産をいただいたので、商品券など用意したものを渡す。
点心が含まれるコースはとても美味しい。ホテルレストランの日本人利用者が多いのも、味が日本人好みなのでうなづける。でもデザートに出たおそらく杏仁入りのマンゴーの味しか思い出せない。
パリパリチキンは食べたが、話に夢中になったことと乾杯のせいだと思う。中国人いや台湾人の習慣だろうか。一体この夜何回「乾杯」しただろう。百回というのは大袈裟かも知れないが、数多く乾杯した。友人たちとは東京オリンピックまでには是非日本で再会と言って別れた。
台湾の友人そして新たに交流した日本人たち。彼らとはこの日LINEの友達機能で登録をすませた。もし必要なら無料でこれからも画像付きで国際電話が出来る。昔ブラジルに駐在した折は通話時間を気にしてばかりいた。つい長話すると何万円もの請求にびっくりしたものだ。世界同時性という言葉をよく聞くが携帯機器はそれを実現している。しかし私自身、中国語始めコミュニケーション能力はまだまだ追いついていない。「加油!(ジャーヨウ)」。頑張るしかないかなあ〜。