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後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

2018年2月

2019年02月24日 22時29分08秒 | 日記
2月3日の節分に神社にお参りして厄祓いをしてもらいました。
92歳のおじいさんと86歳のおばあさんも厄祓いに来て健康を祈願していました。元気で長生きならいいなぁって思いました。

今年の冬は暖かくて、昨年の大雪がウソのようです。今も背中の痛みも手足の痺れも相変わらずだけど、生きています。

今まで週3日のリハビリが、来月から週2日に減ります。病院の人手不足によるものです。それから、一番ショックな事は、主治医の金先生が辞めてしまう事です。これまで、時に厳しく寄り添ってくれていました。
辛くなったら、京都の宇治の病院に行って相談に乗ってもらいます。

毎日、良くもならず、悪くもならず、これといって書くことも無くなってきました。

そう言えば最近、すごく痔が痛みます。手術しようか迷います。

2019年1月

2018年11月02日 22時39分11秒 | 日記
また、新しく年が明けました。
背中の手術から2年が経ちました。治る見込みのない病気だと知りながらも期待してはがっつりする毎日です。
背中の痛みや手足の痺れや麻痺、痛みは強くなっています。

1月になり寒くなって、身体の痛みと痺れ、麻痺がより強くなってきました。
去年も12月から痛みが強くなって、5月まで辛い日が続きました。

リハビリに行くと必ずお休みは何処かに出かけましたか?…と聞かれるけど、辛くてどこにも行けないです。
痛みを我慢してどこかに出かけると楽しいこと有りますか?
何かしないといけないですか?
仕事に行くのがやっとです。毎日暗い顔して辛い辛いと嘆いています。
妻も辛そうな姿を見たくないのか買い物にも誘ってくれなくなりました。

人は、どんなに辛い時でも楽しいことは考えことができる。楽しいことを考えているときは幸せになれると、明石家さんまが言っています。

妻と初めて出会ったのは、24歳の夏の三国サンセットビーチ。
海の中を泳いでいく姿が綺麗だった。ずっと健康的なその身体を眺めていた。
初めて会ったそのときにもう恋していた。僕は、ちょと人とは変わった君のペースにみるみる巻き込まれて行った。でも楽しかった。
ある日、君がアパートを借りてきてビックリさせられた。少し青春ドラマのような気分も味わえた。
明るくて、無邪気な笑顔から笑顔を奪った結婚生活。
それでも二人には子供が出来て新しい生活が始まった。小さく小さく生まれてきた子は、大切な大切な宝物になった。うちの子が世の中で一番かわいいと思えた。生活するのが楽しかった。仕事も辛くなくなった。そしたら、少しだけ出世した。家を買った。友達と家族ぐるみで付き合いもした。
さらに子供が生まれてにぎやかなった。不満はあったけど、不幸は無かった。
確かに幸せの時間を生きてきた。

単身赴任してから、幸せが少しずつ遠ざかって行った。

2018年10月

2018年10月06日 21時00分44秒 | 日記
辛い、苦しいといいながら、10月になりました。
春よりは少し気持ちを持ち直して頑張ってきましたが、また大きなトラブルが発生しています。
痺れと麻痺がとうとうお腹にきました。お腹全体が痺れて力が入らなくなってきました。排便のためにお腹に力が入れられなくて、ウンコが肛門の出口で固まってしまいます。
トイレで脂汗で汗だくになって必死にお腹に力を入れても、痔が飛び出してくるだけでウンコは出ないので、浣腸して出します。
今では毎日、排便記録を残して下剤の量を増やして浣腸までしないで済むようにしています。
身体のいろんな部位に負担がかかり、全体的に少しずつ悪化しているみたいです。

みんなが幸せそうに見える。健康なことが一番の幸せだと気が付くのは、病気になってから。
今は、自分が選択してきたことに間違いがあったと後悔してばかり。今の自分がすごく惨めで情け無く思えて全て間違っていたのではと思う。人生は、選択の繰り返し、明日の選択は明後日の為の選択、前を向いていくしかないから。

今月は、心臓の血管に入れたステントの検査がありました。心臓の方は異常ありませんでした。それでもたくさんの薬は出されました。

テレビで、成功したスターが、人間できると思ったらなんでもできる、できないと思ってしまうからできないんだと言っていました。それなら、この病気はなおせる。お金持ちになって病院を作って難病の人を助けたい。この町を活性化したい。…なんて思ったら叶うんだろうか?

朝晩の冷え込みが始まり、背中や手足の強張りと痺れ痛みが強くなってきました。これから辛い季節になっていきます。

今、幸せなこと。
朝起きて、背中と手足に痛みと痺れが無いこと。排便できること。仕事に行けること。
夕食の後、家族と話しができること。ぐっすり眠れること。



気持ちの問題

2018年05月09日 23時26分57秒 | 日記
治ると思わないこと

頚椎の骨化症が判明したときは、手術してリハビリをすれば回復していけると言われ希望を持っていました。
胸椎の骨化症が見つかったときは、手術しなければ悪化して行くだけだと言われ不安になりました。
頚椎の手術をしてから2年が経ち、今は良くなるという考えではなく、これ以上悪くならないように考えて努力するように言われるようになりました。
それは、もう良くなることは考えてはいけない、今の身体の不具合、痛みと痺れと麻痺にどう耐えながらどう生きていくか覚悟を決めて生きていけと言うことです。

今、死ぬほど痛いか、死ぬほど辛いかと言われれば、まだ生きていけます。
この後、死んだ方がいいと思うほど痛く辛くなるときが来ても、まだ死にたくないと言うと思います。

2年前、京都府立医大に入院しているときに、血液が突然癌化していく20歳半ばの青年に病院で会いました。
その子はサッカーが大好きて、真夜中のサッカー中継を子供みたいに大声で応援していました。同室のお年寄りには迷惑だったかも知れませんでした。家族の仲が良く両親、姉、おばぁちゃんが毎週欠かさずにお見舞いに来ていました。
でも、その子は何クールかに一度抗ガン剤の治療を受けました、食事が取れなくなり、抗ガン剤の痛み、吐き気、抜け毛、むくみ、精神不安などに押しつぶされになりながらも、家族、医師、看護師に励まされ頑張っていました。それでも悲壮感はありませんせんでした。やれるこをやったからかもしれません。
だけど、今はもういませんでした。

先日、病院を受診したときに整形の先生に身体の不具合と不安を相談したら、精神科を受診するように言われました。


2018年5月

2018年04月28日 22時15分18秒 | 日記
2018年5月になりました。世間ではゴールデンウィークになりあちこち出かけているようですが、私には病院が休みになり、リハビリして貰えず辛いです。
そんななか、我が家では子供達が大学から帰省してきました。妻が頑張ってバーベキューをしてくれましたが、一緒に座っていることも辛く、すぐに横になってしまいました。

最近は、右手の痺れが疼いてちぎれそうな痛みになり、左足の痺れは、更に強くなり電流が流れているような痛みになっています。手足の先が特に痺れが強く疼きます。それと手足の爪が白く浮き上がって剥がれてきました。オシッコが漏れそうな状態と痛みが強くなって、足に力が入らずどんどん歩くのが辛くなってきています。職場でも足に力が入らず何度もヨロケてしまいます。

あるガン患者さんのブログを見ました。自分の病気が癌と知っていて、他のガン患者さんの支えになりたいと定期的に自分の症状を綴っていました。辛く苦しい闘病生活の中で見つけた楽しみを報告していました。

人生は、失敗があって当り前、苦労して普通。どんなに失敗しないように生きようとしても必ず失敗はある。
人間なんて、今日出来たものがすべて。出来なかったことは、明日やればいい。
楽しく生きないと損、笑顔になれば楽しいことが起きる。
今日出来なかったこと、失敗したと思ったことを後悔するな。出来たことを褒めて、明日また頑張ればいい。
人間、失敗したり落ち込んだりするのは、自分を過大評価しているからや。自分にそんな力がないと、分かってないからや。そやけど、失敗は取り戻せる。
人間、不安からは、何も生まれない。不安になったらそれを取り除くために、ひたむきに続ければいい。続ければ必ず良くなる。シンプルに考えて行動するのが一番いい。

人に腹が立つのは、自分がそんな器やないと分かってないから。

人間は、どんな人と接するときにも常に謙虚な気持ちでいること。教えてもらう気持ちを持って接すること。

自分は、周囲から期待されるような人間ではない。自分は何も出来ない人間だから、責任感なんか持たなくていい。だから、周りの人たちに協力してもらえばいい。