独り言日記

あくまでも独り言・・・
日々考えたこと、あったことをツラツラと書きます

またまた

2009年11月20日 23時59分12秒 | 社会
時間があったので先日の公判二件の判決・審理を聞きに霞ヶ関へ。
ついでに他の公判も聞いた。

玄関ロビーに置いてある開廷帳を眺めていると、被告人の欄に某ミュージシャンの名前があった。
著作権侵害でもしたのか?と思い、好奇心を胸に法廷へ行った。
開廷前の法廷には、弁護人以外にスポーツ紙か雑誌の記者らしき人が二人いた。
他の傍聴人は自分だけ。

公判は書類の提出のみで五分とかからず終わった。
訴状の内容も読まれず。
しかし、原告側の手元から週刊誌の記事がチラッと見えた。
そこには加藤夏希と書かれた見出し。
加藤夏希が某ミュージシャンを訴えたのか?
マジで!?と胸躍る。
しかし・・・

後で調べたらその被告人、同姓同名なことが判明。
先月ニュースになった、加藤夏希が元カレを提訴した公判だった。

ていうか加藤夏希は本名じゃないらしい。
原告欄に加藤夏希と書かれていなかったから気付かなかったわけだ。
それにしてもwikipediaには本名:加藤夏希とある。
wikiを信用するなっていう教訓だね。

今日も傍聴

2009年11月02日 23時21分23秒 | 社会
今日も霞が関へ傍聴しに行った。
地裁1階の開廷表を眺めていると、高校時代の公民教師と同じ名前が原告欄にあった。

傍聴しに行ってみると…
本人だった。

民事だったが、ショックを受けることを言っていた。

終わった後、先生は私を見たが表情を変えず。
覚えていないのだろうと思い声をかけなかった。

裁判傍聴

2009年11月01日 22時26分42秒 | 社会
先月30日に初の裁判傍聴へ行ってきた。
場所は霞ヶ関にある東京地裁。
平日の昼間だというのに傍聴している人が多く、カップルが意外に多かった。

今回傍聴したのは詐欺と損害賠償と自動車運転過失致死の三件。


一件目の詐欺はつまらなく、20分もしないうちに退出。
もう何がどうなってんだかわからん。
女性の弁護士が俺の苦手なタイプだなーと思ったくらい。


二件目、損害賠償。
原告はルーシーさん殺害事件で起訴され、無罪になった織原城二氏。
虚偽記事によって名誉を棄損されたとして読売新聞社に損害賠償を求めた。
記者が出廷するとあって、途中からだったが興味津々で聞いた。

問題となっているのは、当時の新聞記事で織原氏の自宅から押収されたビデオの本数やそこに映っていた女性の人数が不正確だったこと。
この日の審理は、誰にどういった取材をしたかが争点となった。
当時、麻布署で取材に当たり、その記事を書いた記者が証人に立った。

「誰に取材しましたか?」「捜査幹部は誰ですか?」「何課ですか?」
「何係ですか?」「取材した捜査幹部は一人ですか、複数ですか?」
こうした原告側弁護人の質問に、証人に立った記者は「申し上げることはできません」と答え続ける。
それに苛立ってきたのだろう。
「一人か複数かくらい答えられるでしょ!!」と弁護人は息巻く。
しかし、取材源を答えてはいけないんだから仕方がない。
記者としては当たり前のことだろう。
ただ、一方で原告や原告代理人に裏付け取材をせず、警察への取材のみで記事を書いたことを本人が言ってしまった。
それは記者としてどうなのだろうか…

この日はスーツを着た学生らしき人たちが傍聴席に12、3人いた。
みなそれぞれ何か書かれた同じ紙を持っている。
私の推測だが、おそらく読売の内定者だろう。
顔を真っ赤にし、汗をかきながら答弁をする先輩記者を見て何を思ったのだろうか。


三件目の自動車運転過失致死の裁判。
加害者は24歳の男性。
被害者は当時22歳の男性。

黄色信号で交差点に進入したトラックが右折しようとした対向車のバイクを引いてしまった、という事故の最終審理だった。
被害者参加制度により、検察側の席に被害者参加弁護士が同席。
傍聴席は満席だった。

検察官と弁護士の質問に、被告は終始俯き加減で答える。
顔は赤い。声はか細く、目が潤み、今にも号泣しそうだ。

「なぜ法廷内で遺族の顔を見ないんですか?」との語尾を強めた被害者参加弁護士の問いに、「顔向けできないからです」と途切れ途切れに言う。
事故後、遺族のもとに謝りに行き、母親と土下座した。
そこで一時間以上罵詈雑言を浴びせ続けられたという。
貯金を全額葬式代として渡し、トラック運転手も辞めた。
何度も遺族の実家を訪れた。
けれども、それで解決するわけでもないし、罪も消えない。遺族が許すわけもない。
被告の中にある罪の意識は消えていないだろう。応急処置を手伝ったとはいえ、死んでしまったんだから。
どんなことでもいい。謝罪したい。でも、その方法がわからない。その想いが顔を俯かせている。

遺族の母親の手紙が朗読された。
用紙二枚にも及ぶ長い手紙だ。

「冷たくなった○○を、暗い霊安室で一人対面した娘の気持ちがわかりますか?」
「女手一つで大切に大切に育ててきた息子は“殺された”」
「あの事故以降、私も娘も生活がめちゃくちゃになった」
「息子は死に、私ら二人は幸せを無くしたのに、あなただけ幸せな生活を送るのが許せない」

憎しみと怒りと、悲しみ。
母親の想いが、二枚の手紙に宿っていた。

手紙の朗読中、被告のすすり泣く声が法廷内にずっと響いていたのを覚えている。

誰もが被害者にも加害者にも成り得る。
私ならその時どうするのか。この公判を機に色々と考えた。しかし、どうすればいいのかわからない。
自分が裁判員に選ばれたときのことも考えた。
懲役にするか、禁固にするか、執行猶予にするか。
荷が重い判断だ。


たった二件の公判だが、私にとって充分意義ある傍聴だった。
二件目の次回公判と三件目の判決が今月20日なので見に行こうと思う。
いや、暇があれば他の公判も見に行きたい。