独り言日記

あくまでも独り言・・・
日々考えたこと、あったことをツラツラと書きます

12歳の作文

2008年03月17日 01時30分06秒 | 日々
朝日新聞の記事から転載。
最後に記された少女の作文(太字)が泣けます。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200801170040.html

2008年01月17日
 13年前、震災で7歳の長男は逝った。父親は17日朝、亡き子が通った小学校の子どもらに命の貴さについて語りかけた。息子の生と死を語り継ぐ勇気は、その死を心から悼んでくれた少女の作文が与えてくれた。少女の母親への感謝の手紙、母親から知らされた少女の傷ついていた心。「人生は生きるに値する」。父が語る命のメッセージは、まだ見ぬ少女への感謝の言葉でもある。

 兵庫県芦屋市の会社員米津勝之(かつし)さん(47)は、震災で自宅が全壊し、市立精道小学校1年生だった長男の漢之(くにゆき)君と、幼稚園児だった長女深理(みり)ちゃん(当時5)を亡くした。同校では漢之君を含む児童8人が犠牲になった。「どうしてわが子が……」。恨む相手さえいなかった。

 翌年、小学校が記録集を編んだ。ページをめくっていると「命」という作文に出合った。漢之君らを慈しみながら、人の死と自分の生の意味に悩む少女の作文だった。

 入学以来、いつも学校では漢之君とペアで行動してくれていた6年生の少女だった。「おねえちゃん」と漢之君も慕っていた。

 「漢之をかわいがってくれて、ありがとう」

 この年、米津さんは感謝を込めて少女あてに手紙を書いた。作文と出合って「息子はひとの心の中で生き続けている」と思えるようになった。米津さんは亡き息子や娘について語ろうと決めた。学校の授業や追悼式で、「命」を引き継ぐ者として、生きることの意味を子どもらに問い掛け続けた。少女の文章は何度も何度も紹介した。が、少女からの返信は届かなかった。

     ◇     

 それから11年。昨年12月20日、米津さんのもとへ漢之君あての手紙が届いた。差出人は芦屋市の吉田直子さん(47)。少女の母だった。漢之君が生きていれば2日後に20歳の誕生日を迎える日だった。

 「おねえちゃんは、いつもくにゆき君を『守る』と言っていたのよ。くにゆき君が天国に行ってしまった時、おねえちゃんは『守れなかった』と言いました。おねえちゃんはお返事をかけなかったの」「今も今もくにゆき君にあやまっている。そしていつまでもくにゆき君の事をおぼえているよ」

 手紙を書いた吉田さん自身も、震災で亡くなった知人のことが頭を離れなかった。時がたつにつれ、悲しみは深まり、震災の話は避けてきた。

 昨年末、精道小に震災の資料コーナーが設けられ、漢之君の机や娘の作文が載った記録集も展示されると知った。漢之君の声が聞こえたような気がした。米津さんに出した手紙は、これまで書こうとしても言葉が見つからず書けなかった返事。

 「私は米津さんのように人前で話せるわけではない。でも、震災が私たちに何を残したのか、耳を澄ましながら生きていきたい」

     ◇     

 年が明けて、米津さんは再び手紙を書いた。

 「頂いたお手紙が、うれしいうれしい誕生日のプレゼントになってくれたと思います」「漢之はもうあやまらなくていいと言っていますよ」「言葉は聴こえないけれど、いつも『おねえちゃん、ありがとう』と言っています」

     ◇     

 米津さんは17日、妻の好子さん(45)、震災後に生まれた次女(10)と次男(5)と共に精道小の追悼式に参列し、初めて吉田さんと会った。参列していた漢之君の同級生の姿に、大人に成長した漢之君を見た気がした。吉田さんの娘との対面はまだ果たせていない。「元気に働いていると聞いた。いつか会えるならば、自分を責めないでほしいと伝えたい」

 ようやく一歩を踏み出した人、新たな希望を抱く人、それぞれの14年目が始まる。

      ◇

 震災時、6年生だった少女の作文「命」

 生きていることと死んでしまうこと。“命”について、私は考えたことがなかった。私がものごころついた時から今まで、親戚(しんせき)や知り合いで死んでしまった人が一人もいないからかもしれません。だけど、一月十七日の大震災。すみれや、縦割りペアーの米津君。お兄ちゃんの友達の家族や、ミニバスの先輩。私のよく知っている人達十数人が死んでしまった。“人の死”は、初めて私のそばにやってきたんだ。

 “命”は、弱いと思う。『人の命は地球と同じ』なんて絶対うそだ。約五千人の“命”がたった20秒で次々となくなってしまうなんて、信じられなかった。人の“命”は、そんなにもろいものなのだろうか。私は明日100%生きているのだろうか。急に原爆が落とされるかも知れない。もしかして、殺されるかも知れない。

 人の“命”は『絶対』とはいえない弱くて不確かなものなんだ。

 でも、いろんなニュースを見ているうちに、弱いだけの“命”では、ないのかもしれない、と思うようになった。くずれた建物から助けられた人々。重い重いコンクリートや木材の中を生きぬいた“命”。すごく強いと思う。

 では、生きてる私と死んだすみれは何がちがうのだろう。

 まず私。ごはん食べてて、寝たり起きたりしてる。学校行ってみんなと話して笑ったりおこったりはいたりしてる。日常生活のいいことも悪いことも全部全部ひっくるめて生きてる。これから人生まだまだある。

 すみれ。冷たい石の中で、姿を変えていてる。全然動かない。私のできることしないし、絶対にできない。すみれの『美容師になる』という夢はどこに行ったのだろう。心や意志、夢や希望は、体といっしょに燃えたのだろうか。“人が死ぬ”ということが少しわかって全然わからなくなった。私とすみれは、全く正反対になってしまった。

 今回の震災で、生きていることがすごくいいことだと考え直された。死ぬと、なにもできなくなってしまうけど、生きている限り、夢や可能性は無限だ。“死”というのは、生きている物全(すべ)てがかわされた、やぶるとのできない最後の約束。たった一度の人生だから、みんなみんな死ぬまでに、たくさん思い出を残そうとして、必死で生きてるんだ。

 死んだって、そこでその人がばったりおわってしまうわけじゃないと思う。周りの人の心の中で生きてるんだ。一度きりの人生だけど、一度かぎりの人生じゃない。他の人の心の中で、第二の人生が始まるんだ。

 生きていること。それは、困難のかべにぶつかりそれを乗りこえること。約束された死までの時間を輝くものにすること。

 死んでしまうこと。それは、輝く人生を終え、他の人の心の中で、永遠に生きてゆくこと。

(朝日新聞)







東の空に

2008年03月06日 00時33分30秒 | 日々
10分ほど前流れ星が落ちた!

めちゃめちゃ長い!
自分時間で0,2秒もの間流れてた。
全然一瞬じゃない。
願い事二回復唱できるくらい。

しかも、光りの色ではなく、ほんのりとした青緑色で煌々と輝いていた。
おそらくドデカい流れ星か、人工衛星だろう。

いやはや、夜空って神秘めいているなぁ。