明後日は8月6日。79年前のあの広島の酷さを思いおこさせる。
今年は6年前に東京目黒でおこった5歳の女の子の親の虐待による死を重ね思いおこしている。悲しいだけでは決して終わらせたくないその出来事だ。
香川県から東京に越してきて、さほど日もたたない5歳の結愛ちゃん。その事件はついこの間のような記憶がある。新しいと感じるのはそれだけのなまめかしいショックが脳裏にあるのだと思う。
お墓は生まれ故郷の善通寺市になったという。それを聞いて少しだけ救われた気はした。
命にかえてもわが子を守る。それが昔からの日本の母親の姿だったのではないのだろうか。いつから、わが子よりも自分の命のほうが大切になったのか。
自分の子を病気や事故で亡くした母親が、「できれば代わりになってあげたかった」ということをよく耳にした。おそらくその数は全国では何万も何十万にものぼったことだろう。
そのような母親たちの涙に、この両親は何と申し立てをするのだろうか。時代の流れでは言い切れない、母と子の関係はこの先いつの時代になっても変わらないであろうし、変わってもらいたくはない。
わずか5歳の子に「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」などと書かせるようなことがあっては絶対ならない。
5歳ではいくら父親がキライでも、食べ物は自分では調達できない。ましてや住宅などはとうてい無理な話。
どんなにツラい思いがあっても、親を頼るしか術はない。「ゆるしてください」などと書かせるような事件が絶対にこれからは二度とないことをただひたすら願う。
昭和20年の8月。
4歳の女の子が「もっと生きていたかった」と言い残して亡くなった。たまたまその時に広島に住んでいたという悲運のために4年間という短い生涯を閉じた。
こんな言葉はあとにも先にもこの子だけでおしまいであってほしい。幼き子の悲惨な言葉を残しての死は、絶対に他の子に繰り返させてはいけない。たとえ歴史は繰り返しても、二度と触れたくない歴史の瞬間も世の中にはたくさんある。母親のその時の無念さはいかばかりかと胸がつまる。
「ゆるしてください」と書かせられるような子がこれから出てこないような社会を望む。
「もっと生きていたかった」と言い残すような幼子が出てこないような世界を望む。
「つれづれ(160)昭和20年の広島の4歳の女の子と平成30年の目黒の5歳の女の子」