あべっちの思いをこめた雑記帳

島育ち

 

  赤い蘇鉄の 実も熟れる頃
  加那も年頃 加那も年頃
  大島育ち
                    作詞 有川邦彦
           
 昭和37年11月、朝丘雪路さんのレコード発売によるヒット曲。先日カラオケで、久しぶりにこの曲を歌った。

 ほんとうは昭和14年に生まれていたというこの歌。奄美大島の良さを見事にあらわしており、いかにも名曲と呼ぶのにふさわしい。彼女はこの曲でその年の紅白歌合戦に出場している。
 32年に初出場して、翌年は出なかったが、翌々年から連続出場の、5回目となる昭和37年の出場でこの「島育ち」を歌った。その時の対戦相手は三波春夫さんで、相手にとっても不足はなかっただろう。しっかりと島育ちを歌っている。

 翌38年6月の島のブルース、9月の永良部百合の花と、奄美大島ブームを作った立役者でもある。作曲は地元奄美大島出身の三界稔氏。だから、南国のムードがたっぷりと出ているのかもしれない。 たしか、娘さんのりえ子嬢も歌手デビューしていたはずだ。

 この島育ちが発売になった37年の同じ年に少し遅れて田畑義夫さんがやはり島育ちを発売した。吹き込みまでにはレコード会社等からかなりの発売に対する反対があったのを覚えている。
 でも彼はひるむことなく、あえて発売にいたっている。結果ヒットに恵まれ、翌38年にこの歌で紅白歌合戦に彼自身初出場を果たしている。

 その昭和38年は、島のブルースの三沢あけみも初出場。彼女の2番目のシングルとなったこの曲と、島育ち、奄美大島の歌が注目をあびた年であった。

 三沢さんがテレビに出たときの歌と衣装から、沖縄出身だと当時はかなりの人が思っていたようだ。朝丘さんが東京出身で、有名な画家の娘さんんだということは広く知られているが、三沢さんが長野県の山間部の出身だとは、そういえばテレビ等とかではあまりコメントがなかったような気がする。それでか、今でもあまり知られていないようだ。

 そんなことを考えながら先日の一曲目に歌った。
 自身の若かりし青春時代を重ね合わせながら。

                    「童謡唱歌や歌謡曲(25)島育ち」

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「童謡、唱歌、歌謡曲など」カテゴリーもっと見る