普通に歩いていたのに、思い出したかのように花屋の店先でふと立ち止まる。そういうケースに無意識に出くわすことがある。
それが女性ならすてきな絵になるのだろう。私のようなおじさんでは、見た人はありがた迷惑だとは思うけれど。そうはいってもやはり花屋の店先は一瞬の幸せ感がただよう。
最近は小さなお店が少なくなってきた。
それは花屋さんに限ったことではないけれど、八百屋さん魚屋さんと同じくらい私には寂しいなと思うことが多い。
花屋さんは季節を届けてくれる。
明るさを教えてくれる。
香りと色とその姿形は、何よりもひと時の幸せ感を伝えてくれる。
でも、最近は花の季節感がなくなってきた。
明るさは他のものからでもたくさん味わえる。
香りも色も姿も、文化や科学の力でほとんどのことが可能になってきた。
その陰で、花のうれしさやお花屋さんのありがたさがだんだん薄れていくことは仕方のないことなのだろうか。
文明ってそういうものなのだろうかと思ってみる。
「つれづれ(142)花屋さん」