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さらしものでしかなかったカメダ一家の謝罪会見

2007年10月19日 | 時事
ボクシング:亀田親子らJBCに謝罪 会見で大毅は無言

 謝罪会見というよりは体のいい「さらしもの」だったな。昼のワイドショーで「誰に向けて何を謝ってるのかわからん」と言ってたコメンテーターがいたが,そりゃ「世間」に向けて「非難されていること」を謝ってたんだよ。

 よくいるでしょ? 電車とかで騒いで他人にしかられた子供に「あのおじちゃんが怒ってるから謝りなさい」っていう親。あれと同じで「悪いことをしたから謝まる」んではなくて「相手が怒ってるから謝る」という感じ。

 これがカメダ一家のロジックなのか,それともマスコミのロジックなのか,オレには判断がつかないけれども,ボクシング・シーンに出現してからの彼らの行動というのは一貫してこういう図式だったと思う。

 あれが地なのかそれともテリー伊藤(最近は手の平返して批判してますが)がかつて言ってたように「演出」なのかはともかくとして,傍若無人のやんちゃぶりも「世間」に対するもの,叱られての謝罪もまた「世間」に対するパフォーマンス(これはその誠意が疑われるという意味ぢゃないよ)なんだよ。

 なんつうか,彼らの一挙手一投足,すべてがメディアによって消費される「商品」としての意味を持ってしまっている。試合前のビッグマウスしかり,親父とやくみつるとの「場外乱闘」しかり,今回の反則から謝罪会見に至る流れも同じでしょ。

 彼らをネタにすれば,メディアは正味の演し物であるボクシングの試合よりもずっと多くの「番組」を「商品」に仕立てあげることができる。そしてその商品の質に関しては全部彼ら自身の責任にしちゃう。

 彼らに責任がないとは言わないが(いや,十二分にあるけどさ),この「謝罪会見」の出来の悪さは,彼らが勝っていた時の試合にも同じように感じられたものだぜ。あの時は持ち上げておいて今度はくさす。その振幅の大きさは,あのナカソネ以上に風見鶏的だよな。

 どっちに転んでも視聴率は取れる,下手すりゃ自局のこれまでの姿勢を反省するパフォーマンスもスポンサーに売って儲ける,そういう性根の醜さを見たくないと思ったら,視聴者はどこの企業がスポンサーをやってるのか調べてそこの商品の不買運動でもしなくちゃいけないのかも知らん。


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1 コメント

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メディアの品格 (たまどん)
2007-10-19 10:52:56
メディアに品格を求めても、愚にも付かぬ番組作りを見るにつけ、そんなものは存在しない、としか思えないわけです。
面白い「素材」があれば、その「素材」を賞味期限ぎりぎりまで過剰に使い、あとは廃棄するという手法しか見えないわけで、品性下劣という言葉こそが適切なものと言えるでしょう。
宮武外骨が滑稽新聞で「滑稽新聞はユスリタカリはしません」と言い、たの新聞の記者が官僚や政治家などの供応を受けていた立場を口を極めて罵っていたけど、現在のメディアの実体と大した変わらないのじゃないか。記者クラブなんて利権の温床だしなぁ。