Roots Reggae Restaurant Bar Xaymaca岡山・奉還町・レゲエ・居酒屋・バー・ジャークチキン

ジャマイカの料理とReggae&soccerを楽しむ居酒屋

岡山市北区奉還町3丁目7-21

BOB MARLEY

2006-10-28 16:05:08 | BOB MARLEY(ボブ・マーリー)
BOB MARLEY(ボブ・マーリー)
(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、
本名ロバート・ネスタ・マーレィ Robert Nesta Marley)

ジャマイカを代表するレゲエ音楽家。
深い精神性を有するその音楽は、ラスタファリズムの思想を背景としている。




年譜
1945年2月6日 セント・アン教区のナイン・マイルズで、大英帝国陸軍の兵士であった父親(ノーヴァル・マーレィ)とジャマイカ人の母親(セデラ・ブッカー)との間に産まれる。

1950年代 キングストンに移り、バニー・ウェイラーと共に音楽活動を開始する。
1963年 ピーター・トッシュらとザ・ウェイリング・ウェイラーズを結成しデビュー。当初は6人組だった。
1966年 リタ・アンダーソンと結婚。
1972年 英国アイランドレコードと契約し、翌年『キャッチ・ア・ファイア』をリリース。
1974年 エリック・クラプトンがカヴァーした『アイ・ショット・ザ・シェリフ』が全米第1位に輝き、オリジナル歌手の彼の名が世界的に有名になった。その後、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュがウェイラーズから脱退した。
1975年 ボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズとして新たに活動を開始する。
1976年12月3日 政治闘争に巻き込まれ、狙撃され重傷を負い、亡命を余儀なくされる。
1970年代後半のジャマイカは、マイケル・マンリーが率いるPNPと、エドワード・シアガが率いるJLPとの2大政党の対立が激化し、しばしば流血の惨事が引き起こされていた。
1979年 ジャマイカに舞い戻り、"One Love Peace Concert"を開催する。このとき、コンサートを見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シアガの2人の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせている。音楽が奇跡を起こした瞬間である。
1979年には、かねてからの念願であったラスタファリズムの聖地、エチオピアを訪れている。このときの体験をもとにアルバム『サヴァイバル』を発表している。日本公演を行ったのもこの年である。
1981年5月11日 脳腫瘍を患いアメリカフロリダ州の病院で死去。享年36歳。同月21日、キングストンにて国葬。




ディスコグラフィ


キャッチ・ア・ファイア Catch a Fire (1973年)
バーニン Burnin (1973年)
アフリカン・ハーブスマン African Harbsman (1973年)
ナッティ・ドレッド Natty Dread (1974年)
ライヴ! Live! (1975年)
ラスタマン・ヴァイヴレーション Rastaman Vibration (1976年)
エクソダス Exodus (1977年)
カヤ Kaya (1978年)
バビロン・バイ・バス Babylon by Bus (1978年)
サヴァイヴァル Survival (1979年)
アップライジング Uprising (1980年)
トーキン・ブルース Talkin' Blues (1981年)
コンフロンテーション Confrontation (1983年)

ちなみに僕の好きなのは遺作になった
アップライジング Uprising (1980年)

JAH-RASTAFARAI !!!!!


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2 Comments

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ご無沙汰しております。 (梅太郎7)
2006-11-04 19:59:47
ブログ始められたんですね!

9(木)に行くかもしれません。

行けたら、宜しくお願い致します。

バカルディ、ありますか?
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Unknown (Unknown)
2006-11-06 22:13:47
お久しぶりです!!
9日お待ちしています。
バカルディありますよ!!
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