イエスの父からの愛のメッセージ

真夜中に「書きなさい」の声で届けられたメッセージ。無宗教の者に届けられる、愛とはなにか、を多方面から知ることが出来ます。

47.あなたは、その身体を衣服のように使い、いつか脱ぎ去り、そして本質に戻るのです(Part 2)

2009-08-25 15:16:08 | Weblog

私たちが地球に来るのにはそれなりの目的があるようです。

身体という窮屈なものの中に入って、時間という制限の中で普段は出来ない体験をして

いろいろな成長を遂げる・・・ために私たちは今、ここに在る、ようです。

いつもは、同じ波動を持った、類友と居ますから、異なる意見や価値観の人とは交わらない・・・・。

とても穏やかで、居心地よい状態から、

異なった波動を持ついろいろな人たちと共に生きる!!

ということはどういうことか、それを今、私たちはやっているのですねぇ~。



そう考えれば、体験すること、生きることがまた違った視点から見えてくる。



病気だってそうでしょう。

「今、がんが地球では流行しているそうだから、ちょっと行って、

体験してくるとするか・・・」なんて思った人もおられるかもしれませんよ。



苦しいこと、忍耐とは何か?

そういうことをしっかり知ってきたい・・・とプランニングする際、思ってもふし

ぎじゃない・・・。



人間って、おもしろいですね。お互い、がんばりましょうね。楽しみながら・・・。

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例えば、苦しみというものは、地上のものであるのを、前にご説明しました。

これは地上で体験したいトップテンの中に必ず入るものであります。

苦しみをどう体験するか。

また、苦しみの中には多種多様あり、その中のどういう種類を、身を持って体得し

ていくか・・・にも大いに関係があります。

精神的苦しみ、身体的苦しみ、感情的苦しみを、何を通して表出させ、どう体験

し、時間軸の中でどの位の期間それを持つか、等々、プランニングの際、考慮され
ます。



従って、この中で決まったことが、この健康と病気と大きく関わっていくのは間違

いないのです。

つまり、どんなに「衣服をうまく保持するか」を会得しょうと、この目的の中に身

体的苦しみを体験することが入っていれば、どこかの時点で必ず衣服としての身体

に支障を起し、苦しみが表出されるのです。

それがあなたの目的の一つなのですから。




さて、そんな訳ですから、もし、あなたが健康でありさえすれば良い・・・と思っ

ていらっしゃっても、実は、それは表面的な思いでしか過ぎず、本来のあなたは、

健康を失ってみたらどうなるかを知りたいと、思っている限り、現象として生じて

くるのは、希望にかなうものではありません。



ですから、「健康と病気」を考える時、健康を保持する方法だけをお伝えすれば良

い・・・とするか、その背景にあるものもお伝えするべきかを、明確にする必要が

あります。



目的はどうあれ、健康で居るために・・・ということであるなら、それは一般

論・・・誰にも共通ではあっても真実にはなり得ないのです。

真実を踏まえて、それでは、その目的をしっかり遂行し、しかも健康も享受する方法を

・・・ということの方が、本来の生きる・・・つまり、地上での体験の姿をより性

格に捉え、ご説明が可能となります。

それを、しっかりご理解いただいた上で、それでは、如何に健康を享受する

か・・・に入りたいと思います。


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46.あなたは、その身体を衣服のように使い、いつか脱ぎ去り、そして本質に戻るのです(Part 1)

2009-08-24 19:20:07 | Weblog

今日の父の言葉もとても面白いです。

普段、思っても見ないような発想に触れられます。

・・・そうか、そうなんだなぁ~、

・・・なるほど、そういうことになってるんだね~・・・と

いろいろ普段分からないことが、しっかり理解できるようになります。

人間していると、人間が分かることしか分からない。

人間していない人から見た、人間の有様・・・これを教えていただけるなんて、

なんて、またまたラッキ~!!

皆様とシェアさせていただけるのも、とても嬉しいです!!ありがとうございます。

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それでは喜んで、病気と健康についての、こちらからの見解を申し上げましょう。

病気とは、元来、こちらでは在り得ないことだというのを、まずここで初めに知っ

ていただく必要があります。

私達は、地上の人たちのように3次元で生きてはおりませんから、身体は必要ではありません。

必要なのは、もっと違ったものです。



例えば、エネルギー、波動の調節の仕方とか、在り方とか、それを他者とどう共鳴させていくか、

とかそういったものが、いわば、皆様の健康に寄せる関心ごとのようなものに対応します。



従って、私達は皆様の健康を保持する方法について言及する資格が、果たしたあるのか、

と疑問には思いますが、その世界に入ってこそ見えることと、外にいるからこそ解ることがある

という真実もあるが故に、外にいるものとして知り得ること、理解可能なことを申

し上げることに致しましょう。




元来、地球は堅い、重い波動で組成されています。

そこに本来の本質であるあなたが降りて行くとは、そこの波動に適応する「何か」を

まとう必要が出てきます。

あなたの本来の姿は、もっと軽いものですから地球上に留まっているためには、

「重し」のような、つりの時に必要な「うき」のようなものが必要なのです。

これは3次元という特異な環境の中に、自分個人を表現するためのものでもあります。




自分の本来の姿の中にある知的、感情的、霊的なものを含める全体を、何かの形と

して表すために身体という形を使っているのです。


この形を如何なるものにしていくかは、様々な考慮が成された経緯があります。

また、時間という一つの変化の入れ物、枠組みの中で、この身体も変化可能なよう

にも創られています。



つまり、身体が創られた目的、その経緯、そして機能、現在の有り様、を良く知ることが必要です。

さて、地球という場所に生きておられる皆様は、おそらく、この地が唯一自分たち

の住む場所と感じられるかも知れませんが、そんなことはありません。



あなたは、その身体を衣服のように使い、いつか脱ぎ去り、そして本質に戻るのです。

そして、また、他の衣服を着て、またそれに慣れ親しみ、またいつかそれも脱ぎ捨てる

ということを、繰り返しておられます。



ですから、今、あなたがお尋ねの「如何にしたら健康でいられるか」あるいは「健康と病気」

に関しては、つまりは、この衣服を「如何に良い状態で長く使えるようにするか」、

あるいは「如何にこの衣服をほころびやほつれを作らず着られるか」という表現と

同じなのです。



あなたが、この地上に降り立ったのは、理由がおありです。

目的がおありです。

これもまた、考慮に入れるべき大きなことです。

あなたはここに何をしに来られたのか、この地上で行いたいことは何であるの

か・・・がまた、この衣服の使い方とも大いに関わっています。



あなたがスキーをしたくていらしたのなら、少しは寒さに耐えることもしなければ

なりません。

夏ばかりの熱帯で、動物の研究をしたいとなれば、多少の日焼けは覚悟でしょ

う・・・と、言う具合に目的に沿った使い方をしなければなりません。

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45.エネルギーの観点から躁うつ病を見ていきましょう(パート2)

2009-08-11 19:44:48 | Weblog

こんにちは。今日は昨日に続いて、パート2をお届けします。

たまたま今晩は晩ご飯を孫娘と食べました。

小さな孫娘と主人がダイニングテーブルの向かい側にいて食事をしておりますと、背後にある

白い壁に二人のエネルギー体が柔らかい何色かのブレンドしたカラーを写し出しています。

いわゆるオーラの色です。

色は彼らのエネルギー体の波動が私の網膜を刺激したときに感知されるものです。

身体の周辺にもあって、それが私たちの心身の有り様に大きく関わっているのが理解できます。

これらの事実に私たちはもっと注意を払うべきだと思います。

心の健康の保ち方を知っている人はあまりおりません。でも身体に必要な栄養素やビタミン・ミネラル

運動、休息などは小学生でも知っております。

これから、出来るだけチャンスを捉えて、これまで分かったことをお伝えしたいと思います。

さて、今日の父の言葉は昨日の続きです。よろしくお願いいたします。


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それでは、こういった観点から躁うつ病を見ていきましょう。

あなたがとても楽しい気持ち、ウキウキ、ワクワクしている時のエネルギー的身体を観察すると、

どういうことが起こっているか、と申しますと、あなたの光の動きがとても活発になっており、

色として認識すると、様々な色が明るく点滅したり、動いたり、重なり合ったりしている状態です。



あなたが気持ちが沈んでいる時、憂鬱で悲しかったり、寂しかったり、マイナス思考が強い時には、

光が陰っているように、あまり光輝していません。

透明度が低くなって、薄暗く雲がかかったようで、色彩的視点から見ても、色の明度が低くなっております。

また、エネルギーの動きも遅くなり、異なった波動が動き回ったり、活発に上下したりする度合いも

低くなっています。



この2つを比較すると、明らかにそういう違いがあることが分かります。

この相違こそ、あなたの心的活動の有り様そのものであるのです。



あなたの心的変化や変動は、これらの動きの変化、変動が肉体というあなた以外の要因を多く含んだものに

感知されて、自分の気持ちや気分、心として認められているのです。



ここではっきり、もう一度知るべきは、エネルギー的身体は、純粋なあなたの個的感性そのものであり、

肉体は純粋な個でなく、準個的なものであることです。



そのことから、純粋な個的なものが準個的なものに伝播される時、そこには多少のズレや

許容や翻訳の相違が出てくるのです。

そこで、自分の本当の姿、本来のものが純粋な形で認識しにくくなることがあるのです。



さて、そのあなたが明るい気持ちの時と、暗くなっている気持ちの時のエネルギー的身体の様相を

ご説明しましたが、それでは、明るい気持ちになっているから、エネルギーが活発なのか、

それともエネルギーが活発に動いているから、明るい気持ちになるのか、どちらが先なのか

について見ていきましょう。



それは、エネルギー的体が先に生じており、それを肉体的五感が認知しているのです。

エネルギー的身体は、あなたが肉体的五感を通して認知することで、肉体に生じた肉体レベルの

電気的反応・・・つまり、波動、肉体レベルのエネルギーによってフィードバックされ、

エネルギー的身体の波動にも逆方向の流れを通して、影響を与えます。



つまり、エネルギー的身体の波動は、肉体レベルの波動より波動が細かいですから、

そこから初めに肉体への流れが起き、それが肉体から逆方向へとより荒いものから

細かい方向への流れが生じるのです。



こうした双方向へのエネルギー的流れが常に生じており、これがあなたの心的、精神的、

霊的な活動となっているのです。



このことを知ると、躁うつ病というものが、エネルギー的活動と何か関わりがあるのだろうと

察しがつかれるでしょう。


そうなのです。



躁鬱は、この2つのエネルギーの活動が極端に生じて、その変化が自然に穏やかなもので

ない状態です。



例えば、急にパッと非常に明るくなったり、急に暗くなったりする天気のようで、

大変不自然なものです。



雨が降る時は、少しずつ空に雲が出てきて、それが広がり、暗くなって水滴が落ち

始めるのが自然です。



それが、雨が止み、晴れ間が覗き始め、雲間から日が差し始め、天気になってくる

というのも自然です。



それが、そのプロセスを経ず、パッと電気をつけ消しするように、暗くなったり、明るく

なったりしているのが、躁うつ病のエネルギー的身体の変化です。



その変化、移行が不自然な形となっているのが認められます。



それでは何故、そういう状態になるのか、です。

個的なあなたが、準個的なあなたとの間に大きな差異が在る時に生じ易いと言えます。


純粋なあなたのエネルギーレベルの波動が伝播する時に、準個的な身体の波動の受け皿が

用意されていない場合です。

グループとしての肉体のエネルギーと個のエネルギーの中の差、つまり、違いがこれを

引き起こすと言えます。



個のエネルギーの波動を伝えようとした時に、その伝えるものがない、受け取り先がない場合、

そのエネルギーは迷い子のようになり、ウロウロします。

そして、無理やり、そのエネルギーの波動に近いものを受容しているものに入り込

もうとします。

そして、そこにショートのようなことが起こります。



すると、電気のようにパッとついたり、パッと消えたりと言う風な不自然な状況が生じて、

それが繰り返されるのが短期間であることと、その移行がスムーズでないことの2つの要因から、

エネルギー的身体に混乱が生じてくるのです。


それが、躁うつ病の原因なのです。



ですから、この不自然な状態をどう沈静化させ、自然な活動に戻していくかが、この病を

いかに治していくかということになるのです。




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44.あなたのご希望の通り、躁うつ病について言及致しましょう(パート1)

2009-08-10 19:55:01 | Weblog

今日の父からの言葉も素晴らしいものです。

少し長めなので、二つに分けてアップさせていただきます。

私はヒーラー、つまりエネルギーの観点から心と肉体を見て、健康な状態に戻す
ための

ヒーリングを行っていますが、父からの心身の健康についての説明にははっとさせ

られるものがあります。

「そうか、身体は純粋な意味では自分ではないのだ・・・」という言葉です。

先祖からいろいろな人を経て自分のバトンタッチされた道具なのだ、と気づきます。

より純粋な自分といえるのは、本質であるエネルギーなのだ、と見ると、分かってくることがいろいろあります。

これからの健康はエネルギー的見地から考える必要がますます増えてくると思います。

今日もヒーリングをさせていただきました。毎日、新しいことに気づきます。

昨日分からなかったエネルギーのこと、チャクラの流れ、動き、などが今日は分かる・・・ということがよくあります。

毎日素晴らしい勉強を父の指導と共に出来るこの幸せ・・・!

皆様にも是非、味わっていただきたいです。


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あなたのご希望の通り、躁うつ病について言及致しましょう。

この世の中、つまり地球上の出来事はすべて、因果関係で成り立っているのはもうご承知のとおりです。

すべての現象は、それを生む原因、要因が存在してこそ顕現しているということです。

その観点から見た躁うつ病の原因を考えてみましょう。



躁と鬱が繰り返される、この心の病はどうして起こったのでしょう。



毎日の生活の中では、様々なことが起こっています。

その中には大きなグループとしての因果関係で生じているもの、

個人レベルで起因しているものなどがあり、躁うつ病はその双方のレベルでの

対応の中から、生じてきます。




「そう」の状態は、その現象の中で起こりつつあるもの、つまりエネルギー的観点からすると、

エネルギーのプラスの面により多くの共鳴が生じており、鬱の場合はその逆だといえます。

つまり、ネガティブなエネルギーに引き寄せられて、自分の中のエネルギーがバランスを失っている状態です。



もう少し分かり易く、あるいは簡単な見方をしてみましょう。


あなたの身体は、この地球上で存続し、現出するための道具であり、乗り物であり、

唯一の目に見える物質的媒体物だと言えます。




その身体、肉体を越えるあなたそのものが、それに重複したエネルギー的身体として
存在しているのは、あなたもよくご存知の通りです。


そのエネルギー的身体は、あなたの個性そのものであり、精神、感情など心の活動
そのものを

肉体と協力し合いながら、表出しています。

そのエネルギー的身体こそ、この躁うつ病を理解するために必ず考慮すべきものであり、

肉体より、むしろ、この部分に原因があるのです。



この部分は、肉体に感知される前段階にあなたの周りで生じていることが伝播して、

それらに自分としての個性を通して反応するところです。




肉体は道具である故、また肉親を通して先祖の様々な要素を引き継いでいる為に、

「個」というより、それらのグループの要因を多く持っているために、個でなく、

団体的決定要素を多く持ち、それに影響を強く受けています。



つまり、エネルギー的身体は、あなたそのもの、純粋な「あなた」でありますが、

肉体はあなたそのものではなく、あなた以外のものも多く含んでいるということです。



肉体は、この地球上での物質的顕現のために、祖先という人的、時間的流れの中で

作られてきたもので、多くの人々や過去の時間的要因を、むしろあなたの個人のも

のより多く含んでいるが為に、純粋な「あなた」というより、あなたを含んだグル

ープを形にしたものであります。

ですから、肉体的病とエネルギー的身体の病には、根元的に大きな相違があるのです。



ここが、皆様がこれまで病気を考える時、考慮してこられなかった大きな要点です。



あなたの純粋な形は、エネルギー的身体であります。

あなたの肉体は純粋な形でのあなたではなく、地上のほかの先輩たちから譲られた

道具を通してあなたを表現しているに過ぎません。



このことを全ての病の原因を考える時に、考慮する必要があります

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43.命は、永遠に続きますし、あなたの意識に終止点が打たれることはありません

2009-08-07 20:11:51 | Weblog

今日の父の言葉もとても深い内容です。

なぜ、人は死ぬ・・・という見かけ上の終始点があるのか、という理由を説明してくれております。

愛には終わりがない?

それって本当? 実際、終わる愛が多いじゃないですか?

信じられません・・・という感想をお持ちの方は少なくないでしょう。

でも、父はこういった地球上でのみ体験可能な感覚をもっと広い視野から説明してくれております。

ラッキーME! ラッキーYOU!です。感謝しましょう。

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地上の合いの制限性、限定性、限界性について語ってみましょう。

ご承知のとおり、地上は学び舎のような機能を持っています。

しかし、年中年中、それも永久に学校に居て、学んでばかりに居る状態では、疲れると申しますか、
少々、倦んでくるのも無理からぬことでしょう。


つまり、学びや勉強をす~っと続けてやっていたのでは効率性が悪くなるばかりでなく、単調になり、

歓びも感じる率が落ちるでしょう。

ですから、地上には、ある区切りが設けられているのです。永久には続かない、これでおしまい・・・

という一定の点が引かれており、一件落着という終止点を設けてあるのです。



従って、地峡にいる人にとっては、本当の終止点、永久に終わってしまうかのように「見かけ」られるのです。

これ以上、命はないかのように思われるのです。



しかし、ご承知のように、真実はそうではありません。

命は、永遠に続きますし、あなたの意識に終止点が打たれることは先ずありません。

この制限性は、お互いの良さを見つけ、検討し、また次のレッスンプランを立てる時にも、

大変重宝する便利なツールでもあります。




つまり、あなたが一つの区切りの中で、何を学び、何に気づき、どんな点を成長させたかを検討する時、

とてもやり易いのです。

これが永遠のスパンで行われるとしたら、それは困難を伴う作業となるはずです。



時間という制限の中で、しかも地球の影響力のある空間の中でという大きな枠が設けられていますから、

その中に起こった事のみを対象として、考えれば良いわけですから。




さて、こういった枠の中で、1回の区切りが付いた後、どういったことが行われるか・・・

あるいは、この区切りの間で、愛について、どんなことがあるのか、について言及致しましょう。



こういった時と空間、そして現象の中で枠を設けていると、すべてが一つの区切りで終了されるか、

と申しますと、それはそうではありません。



つまり、旅は続くわけです。一つの駅に着いただけです。

また先があり、まだやることが沢山あるのです。

まだまだ、見るべき事、やるべきこと、訪れたい場所、経験してみたい現象が沢山待っているのです。



ウンザリする?・・・でしょうか。

いえいえ、そうお思いになるのは、あなたがこの地上に居て、青い空を目の端に入れ、

小鳥のさえずりを耳に入れ、座った足の痛みを感じながら、ペンを走らせている・・・

という現象の中からのみ、私のお話していることを予想、判断なさっておられるからです。



本当は、あなたが今、地上での生活に存分「はまり込んで」いるように、一つ一つの世界が

とても興味深い現象を用意して、あなたのいらっしゃるのを待っているのです。




例えば、時も空間もない・・・つまり、制限の無い場所で、やりたいことは何でも

実現する世界は如何でしょう。

それがあきたら・・・星々の中を旅して、どこにも属さず、自由にその空間にのみ

生きてみるのは如何でしょう。



それとも、木々の中の精になって、人間を逆に見ることも決して出来ないことではありません。

ただし、これをおやりになりたいかどうかは大いに疑問ではありますが・・・。



そういった風に、あなたの想像やイメージの片隅にも登らないような世界が、まだまだ用意されており、

ひとつひとつがあなたのすべてを夢中にさせるのだ・・・と。



さて、それでは一端この事から離れて、あなたの、今初めて関心を改めて深めていただいた愛について、

に戻ることに致しましょう。



愛にも一見、こういった終止符が打たれるように見えるのも当然です。

地上での生活と共に、後においてくる愛する人達や友人、また、先に逝った愛する人達も

居られる訳ですから、こういう愛の交流も終わってしまうように思われるかも知れませんが、

愛こそ、永遠に続くもの、であることは、これまでにご説明してきたところです。



愛は、例えば、ある人とある人の間で培われたとしますと、それは貯金のようになって積まれたいき、

引き出されるということはありません。

常に、積まれる一方が愛の在り方なのです。




愛の制限性は、人の命が見かけ上終止点が打たれるように、この時空の中でのみ制限を

受けているに過ぎません。



この大きな自然、空間には大きなコンピューターのようなものがあり、すべての意識が登録され、

その変化、成長、進化が刻々とインプットされ、それはいつでも情報として引き出し、

利用されることが可能です。



この中に愛の進化についての情報も大切に管理されており、実はこのことが一番大切であり、

重大な意味をもつものであるのです。



どこの時空へ旅しようと、どこの宇宙へ参加しようと、大切で、唯一共通なのは愛であり、

友情であり、慈愛、共感などで表現されるものなのであります。




従って、この愛の地上に於いて多種多様な有り方があちこちに限界や、制限、限定を持って、

あなたの自由を阻んでいるようにどんなに見えようと、それは運動会の障害物競走

のようなものに他なりません。



障害をいろいろ置いてみて、乗り越えたり、転んでみたりすることで、本人も楽しかったり、

観客が拍手喝さいして笑い転げたりするのです。

そうすることで、また、色々面白いことを体験できるという訳なのです。




ですから、毎日の生活の中で、「あの人がおもしろくない」とか「この人は私の思うように動かない」など、

自由にならないことや、「あの人は愛してくれるのに、この人はそっぽ向いたきりだ」などと

いうことも多々ありましょう。



これも障害物競走の中に於かれた様々な工夫のようなものです。

一つ一つ、なんとかしてクリアする中で、あなたは、何かを学び、気づき、そして成長、

進化していくのです。



これはあなただけでなく、この人もあの人も同様です。

ですから、万の、いえ億の、いえ、それ以上のインターアクション、相互性や組合せ、

力の及ぶ形や様相の相異、多様性を体験可能となるのです。



従って、その中には決して、制限はないのです。

自由のまま、あなたは大いなる宇宙という遊び場の中で、思う存分楽しむことが可能なのです。

楽しむ?

そうです。楽しむのです。

何があろうと、あなたは安全で自由なのです。



見かけ上の制限の中で、身動きが取れなくなっていたとしても、それは幻想の一種であり、

あなたは実は全くの自由である存在であることを覚えておいていただきたいのです。


それでは今日はこの位にしておきましょう。

あなたの今日がまたすばらしいものをもたらしますように、愛と友情を、とびきりの愛を友情を

どっさりここに、またまた置いていきましょう。

この部屋が愛でもう一杯になりそうですね。

楽しんでいただけますように。

ありがとうの言葉と共に・・・

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42.地上での共通の約束事を会得するプロセスの中で、大きく失うものもあるのです

2009-08-03 19:51:16 | Weblog

お久しぶりです。

お元気でいらっしゃいますか。どなたが読んでくださっているのか、知りたいと思いますが、

なかなか反応がいただけません。

爽に関わってくださっておられる人たちがおられるのだろうとは思います・・・。

さて、お話ししたいことは山ほどあります。もう少し、若くて、目が強かったらどんどん

打ち込むのですが、寄る年波は・・・と弱音を吐いてはいけませんねぇ~・・・。


今日の父からの言葉から、赤ちゃんが育っていくことの裏にはこういうことがあるのだと分かります。

はぁ~・・・そうだったのか、と思います。だから、瞑想をするのか、とも思います。

どうぞ、ごゆっくりお読みください。

また、お会いしましょう。

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愛は、常にあなたの周りに在り、あなたに働きかけ、あなたを守り、導き、そして、

あなたご自身への愛を与えるよう働きかけているものです。

それをあなたがあまり意識されないのは、何故なのか・・・つまり、そんなに愛からのパワーが

あなたに働きかけているのだとしたら、何故、ご自分にはそれが分からないのだろう・・・とお思いでしょうか。


何故でしょうか?



その原因のいくつかを、考えてみましょう。

あなたは、この地に生れ落ちた時から、音という耳からの伝達手段に囲まれて育ってきております。

耳からの肉体への通信作用によって、自分と自分いがいとを隔てることに慣れてきておられます。

音という波が耳に届き、それがあなたの脳を刺激することによって、自分への他からの存在確認をし、

そこからの何らかの働きかけがあるかないかを判断し、働きかけがあると、その内容を

言葉というコードで解析する習慣が知らず知らずに身についてきます。

それでこそ、この地上で皆の約束事と共に活動し、そして学び、楽しむことが可能になるわけです。



しかし、その一方で、そういったこの地上での共通の約束事を会得するプロセスの中で、

大きく失うものもあるのです。

二元性の中では、常に、対極に何かが存在するのは、もうご存知の通りです。

つまり、あなたが人間としてここに活動する場合に、必要なものを見につけることは、

他方で、人間として生きていくために失うことも同様にして存在するということでもあります。



それでは何を失うのか・・・赤ちゃんを見ていると、失うというより、毎日、何かを少しずつ

体得しているように感じられるでしょうが、実際は、確実に失っているものも少なくないのです。


それがあなたは感じられないだけです。

見えないだけなのです。

あなたご自身も、おなじプロセスを得て、失ってきたのですが、それもご存知ありません。



私がこう申し上げるのを聞いて、「なるほど、そうかも知れないナ」と少しはお感じになるかもしれません。

あるいは、少し深く瞑想などを通して、本当のあなたの姿に近づくすべのおありになる場合、

失ったものが何だったのかを感じられることもあるでしょう。

その意味では、本来は失っているのではなく、そこと繋がりが一時的に切断された状態になっているのですが、

分かり易くする為に意識上から失われていると表しておきましょう。



さて、それでは、なにを私達は失ってきているのかについて、言及致しましょう。

あなたは、常にこの地で早く馴染む様・・・この場所でうまくやっていけるよう、自他共から働きかけられ、

変化してきたのです。


オギャーと生まれた時、あなたは「ここはどこだ? 私は何でここに?」と思われたはずです。

それが「オギャー」であり、それに続く、短かったり、長かったりする赤ちゃんの泣き声なのであります。



しかし、それを知る人はあまりおられません。

かつて、どなたも同じ思い出あったのにも関わらず、それを理解する人は多くはありません。

言葉、つまり、表現方法をまだ会得していないし、出来ない肉体条件下にあるからです。

それを、みなさんお一人、お一人が少し思い出す努力をされることで、多くのことを知ることが出来ます。

あなたがこの地に降りた時、母の肉体の中に入ったとき、そしてとうとう肉体をまとって、胎外に出た時、

そして、そこからすこしずつこの地の約束事ややり方、時間、そしてスペース、肉体の動かし方、物質的、

地上的条件や設定にどう対応すべきかを徐々に、少しずつ、会得していくのです。


そして、その裏に、これまで地に降りる以前に、持っていたものを徐々に手放していくプロセスが進んでいっているのです。

そのプロセスは時には辛く感じられる場合もありますが、それとて自覚されてもすぐ、他からの音や、動きによる働きかけによって

すぐ注意転換をされることで、忘れられていくのです。

そうやって、少しずつ、これまで自分であったものが変化し、この地上で皆の認める有り様やモードに

形作られていくのです。



その失われたものは、少なくありませんが、その中の一つが魂として持っている感覚であります。

魂の周りに、堅い、重い、そして厚い肉体というものが覆い、その魂の波が覆いかぶされて、

出にくい状態になるために、自分としての核がどこにあるのか分からなくなります。


その核こそ、ご自分であるのですが、他からの色々なより動きの大きくて粗雑な働き中の中で、

美しい繊細な働きかけは、音を失っていくのです。



その音は、私からの愛の音を受け取るためのものでもあるのですが、それはとても小さくて、細くて、美しいため、

太鼓のようにドンドン大きく振動する音にかき消されて、とても聞こえる状態ではないのです。

その音をキャッチする感性が、やがて少しずつ、忘れられ失われていくのです。

それが大きな失われるものの一つです。

私からの愛・・・私からの言葉・・・私からのサポート・・・が受け取られにくいのは、そういった事情があるからです。




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