つくづく思う。
山々を深い緑色に包む木々。
はっと息を飲むほどあざやかな紫陽花の青。
そんな初夏の自然を目にして人間とくらべて考えた。
「立派に咲いてるでしょ」
「目にしみる緑だろ」
しゃべることのできない彼らはいっさい評価を要求しない。
もちろん人間はそれを見て感嘆の声をあげたり、感動的だと言ったりはする。
彼らは遺伝子に組み込まれたとおりに立派に咲き、鮮やかに色づく。
小さければ小さく精一杯に咲くのだ。
たどり着くのに何時間もかかる山奥でもそれは同じだ。
ひょっとすると人の目には全然触れないかもしれない。
健気なのか。
自分のすばらしさを知らないのか。
そうあるから、自分をまっとうしているだけなのか。
なんにも気にならない、と思っているのか。
この一方的に与えるだけの自然のありようはいったいなんだろう、そう思ったのだ。
時期を過ぎれば枯れ、朽ちて、枝や茎だけになり、次の出番を待つ。
「よくやったでしょ」
そんなことも言わない。
口を開ければ自慢をしたがり、噂ばなしに花を咲かせ、人より優れていると思わせたがる。
よそ者や弱い者には横柄で、町のお偉いさんにはぺこぺこし、一日たてば意見が変わっている。
田舎町にはそんな大人がいて、地域を牛耳ることに心血を注いでいる。
認めてもらいたくて、認めてもらいたくて仕方がないのだ。
心の中が空っぽで隙間風がびゅーびゅー吹き込んで、
何を詰め込んでも埋まらないむなしい気持ちに自分で気がつかない。
たぶん自然は自分が何者であるか知っている。
鼻息だけ荒い、がらがら声の大人は自分のことをよく知っているつもりでいる。
誰に認めて欲しいと言うでもなく、圧倒的な存在感と懐の深さを人間に教えるもの、
こんなふうに生きれば誇り高き生き物になれるよと人間に教えるもの、
それが、いつも人間の身のまわりにありつづける自然の姿だ。