自然の中で考えるマガジン 

岡山県鏡野町とみ山荘からのメッセージです。

誰に認めて欲しいと言うでもなく

2011年06月30日 21時34分05秒 | Weblog

   つくづく思う。
   
   山々を深い緑色に包む木々。
   はっと息を飲むほどあざやかな紫陽花の青。
   そんな初夏の自然を目にして人間とくらべて考えた。

   「立派に咲いてるでしょ」
   「目にしみる緑だろ」
   しゃべることのできない彼らはいっさい評価を要求しない。

   もちろん人間はそれを見て感嘆の声をあげたり、感動的だと言ったりはする。
   
   彼らは遺伝子に組み込まれたとおりに立派に咲き、鮮やかに色づく。
   小さければ小さく精一杯に咲くのだ。
   たどり着くのに何時間もかかる山奥でもそれは同じだ。
   ひょっとすると人の目には全然触れないかもしれない。

   健気なのか。
   自分のすばらしさを知らないのか。
   そうあるから、自分をまっとうしているだけなのか。
   なんにも気にならない、と思っているのか。

   この一方的に与えるだけの自然のありようはいったいなんだろう、そう思ったのだ。
   時期を過ぎれば枯れ、朽ちて、枝や茎だけになり、次の出番を待つ。
   「よくやったでしょ」
   そんなことも言わない。

   口を開ければ自慢をしたがり、噂ばなしに花を咲かせ、人より優れていると思わせたがる。
   よそ者や弱い者には横柄で、町のお偉いさんにはぺこぺこし、一日たてば意見が変わっている。
   田舎町にはそんな大人がいて、地域を牛耳ることに心血を注いでいる。
   認めてもらいたくて、認めてもらいたくて仕方がないのだ。
   心の中が空っぽで隙間風がびゅーびゅー吹き込んで、
   何を詰め込んでも埋まらないむなしい気持ちに自分で気がつかない。 

   たぶん自然は自分が何者であるか知っている。
   鼻息だけ荒い、がらがら声の大人は自分のことをよく知っているつもりでいる。

   誰に認めて欲しいと言うでもなく、圧倒的な存在感と懐の深さを人間に教えるもの、
   こんなふうに生きれば誇り高き生き物になれるよと人間に教えるもの、
   それが、いつも人間の身のまわりにありつづける自然の姿だ。
    

ようこそ藁ぶき屋根の家へ

2011年06月29日 21時28分08秒 | Weblog
   先日、仕事であるお宅へ伺った。
   土砂降りの夕立が終わった午後6時、もわっとした空気の中にその家が見えた。
   地図を片手に行ったのだが、すんなり見つけることができた。

   ちなみに私は悲しくなるほどの方向音痴で地図やカーナビが欠かせない。
   商談が終わり、部屋を出るときも出口がわからず、  
   押入れを開けて爆笑されたり、
   奥さんが入浴中の浴室のドアに手をかけご主人をあわてさせたこともあるくらいだ。

   さて目的の家にたどり着いた私はほーっと感心した。
   りっぱなわらぶき屋根の家だ。
   挨拶をし、中へ通され居間へ上がらせたもらった。
   縁側のガラス戸は全部開いていて、涼しい風が入ってくる。
   不思議と暑くない。
   
   話をしている間、そのお家のご主人から感じ取ったもの、
   それは自分の家に対する誇りだった。
   家族を守り、その家族が住む昔から代々続く家はご主人そのものなのだな、そう思った。

   なぜなら、私は大変失礼ながら、
   自分だったら土間があるわらぶきの家に住みたくないとその時思っていた。
   ちょっと恥ずかしいかな、正直そう思ったからだ。

   ところが、このご主人は違った。
   堂々としている。
   当たり前じゃないか、自分の家を嫌いでどうする、そんな声が聞こえそうだった。
   奥の部屋からは夕食の様子が伝わってくる。
   3世代で暮らす大家族の楽しい団らんがそこにあった。

   笑い声や、おしゃべりが聞こえてくる。
   そんな様子に目を細めながらご主人は私の話を真剣に聞いてくれた。
   私はだんだんこの家族に魅せられていった。
   そして太い梁やすすけた柱や天井が輝いてきそうだった。

   私は私の価値観を恥じた。
   異質なものを頭ごなしに否定することを嫌っていたのはこの私ではなかったのか。
   自然の中で暮らすことによって人間らしい生き方を目指していたのではなかったのか。
   充実した暮らしは器よりは中身だと言っていたのではなかったのか。
   それなのにこんな古い昔ながらの家に住んでどう思われるか考えないのか、
   そんなことが一瞬でも頭をよぎったことを猛烈に反省した。

   自分たちが素晴らしいと思っていれば、それは実際素晴らしいものなのだ。
   そしてその思いはうわべの印象を吹き飛ばして、
   相手の心にしみわたり、違和感を消し去ってくれる。


   「ようこそわらぶき屋根の家へ」、
   ご主人はそう言って私を出迎えてくれたことを帰り道に迷いながら思い出した。

はらぺこ青虫

2011年06月27日 21時32分09秒 | Weblog

   ★ 腹ペコあおむし ★


   エリックカールという人が書いたの「腹ペコあおむし」という絵本がある。
   そのビデオ版を見た。
   さだまさしのナレーションもぴったりでとても面白い。
   生まれたての腹ペコあおむしはリンゴ、ナシ、など次々に食べていく。
   それでも腹ぺこのままで、どんどん食べる。
   やっと満腹になって、さなぎになってひと眠り。
   そして、ぱーんときれいな蝶になって飛び出す。

   蝶になるのかーっ!と子どもたちは目を丸くする。
   私は「腹ペコあおむし」を見に行こう、と子どもたちを外へ連れ出した。
   「やったー」と叫んでいる。

   私が見せたのは、茶色の毛虫。
   もぞもぞと道路を必死で横断中のちょっと不気味な生き物だ。
   この時期、道路に目をやればいくらでも見つけることができる。
   
   当然、猛抗議に遭う。
   かわいくないだの、青くないだの、顔が赤くないだの、散々悪態をつかれる。
   もちろん私の意図はそこにある。
   実際の虫を見させてうんざりさせるのだ。

   さわってもいいのか、ダメなのか。
   毒はあるのか、ないのか。
   何の幼虫なのか。
   何を食べるのか。
   図鑑を持ち出して、片っ端から教える。

   テレビや絵本の中の世界と本物の自然は違うものであり、
   さなぎから飛び出した蝶だってはるかにきれいなものがいることも教える。
   アブのお尻をもぎ取り、ティッシュペーパーのこよりを突っ込んで飛ばすと、
   とても面白いと実演して見せたりする。

   身の回りの生き物を完全に除外することはできない。
   彼らも生きているのだから、仕方ない。
   だから彼らのことをしっかり学ぶことはとても大切だと思っている。


   ある時、畑からとってきたキャベツをろくに洗わずにマヨネーズをかけて食べていたら、
   とても変な歯ざわりがした。
   ぐにょっ、という感じ。
   残念なことに、それは「腹ペコあおむし」だった。

試練なくして成果なし

2011年06月23日 21時38分27秒 | Weblog
★ 試練なくして成果なし ★

   

   小さい頃から山村慕鳥の詩が好きだった。

  
    「海の話」

 
    或る農村にびんぼうなお百姓がありました。
    びんぼうでしたが深切で仲の善い、家族でした。

    そこの鴨居に ことしも燕が巣をつくつて
    そして四五羽の雛をそだててゐました。

    その日は 朝から雨がふつてゐました。
    巣の中で、
    胸毛にふかく 頸 (くび) をうづめた母燕が
    眠るでもなく 目をつぶつて じつとしてゐると 雛の一つがたづねました。

    「母ちやん、何してるの。 え、どうしたの」
    と、しんぱいして。

    「どうもしやしません。母ちやんはね。いま考え事をしてゐたの」

    すると、他の雛が
    「かんがえごとつて 何」

    「それはね……さあ、何と言つたらいいでせう。

    あんた達が はやく大きくなると、
    此の國に さむいさむい風が吹いたり、
    雪がふつたりしないうちに 遠い遠い 故郷のお家へかえるのよ。

    そして 遠い遠い その故郷のお家へかえるには、
    それはそれは 長い旅をしなければならないの。

    それがね、
    森や林のあるところならよいが、
    疲れても 翼をやすめることもできず、
    お腹が空いても 何一つ食べるものもない、ひろいひろい、
    それは大きな、毎日毎晩、夜も 晝 (ひる) も 翅 (か) けつづけで
    七日も十日もかからなければ越せない大きな海の上をゆくのよ」

    「まあ」と、それを聽いて 雛達はおどろきました。

    「それだからね、
    翼の弱いものや 體 (からだ) の 壯健 (たっしゃ) でないものは、
    みんな途中で、かわいさうに海に落ちて死んでしまふのよ」

    氣速なのが
    「たすけたらいい」 と 横鎗をいれました。

    「ところがね、それが出來ないの。

    なぜつて、誰も彼も 自分獨りがやつとなのよ。
    みんな 一生懸命ですもの。

    ひとを助けやうとすれば 自分も ともども死んでしまはねばならない。
    それでは 何にもならないでせう。

    ほんとに 其處では助けることも 助けられることもできない。
    まつたく 薄情のやうだが 自分々々です。
    自分だけです。

    それ外無いのさ、 ね」

    「でも、もし 母ちやんが飛べなくなつたら、僕、死んでもいい、たすけてあげる」

    「そうかい、ありがとう。
    だけどね、
    また その蒼々とした 大きな海を無事にわたり切つて、
    陸から ふりかへつて その海を沁々眺める、あの氣持つたら……

    あの時ばかりは
    何時の間にか ゐなくなつてゐる友達や 親族もわすれて、ほつとする。

    ああ、あの嬉しさ……」

    「はやく行つて見たいなあ」

    「わたしもよ、ね、母ちやん」

    ええ、ええ。
    誰もおいては行きません。
    ひとり殘らず行くのです。

    でもね、いいですか、
    それまでに 大きく そして立派に育つことですよ。

    壯健な體と強い翼! わかつて」

    「ええ」
    「ええ」
    「ええ」

    と小さい嘴(くちばし)が一齊にこたへました。

    母燕は たまらなくなつて、みんな 一しよに抱きしめながら

    「何てまあ可愛んだろ」




                        ・


    何かを得ようと思えば、その欲しいものと同じくらいの試練が用意してある。

    これでもかと重い苦しみを背中に乗せられて這うようにして進む時、
    なんで俺ばっかりと愚痴を言う時、
    ああでもない、こうでもないと必死に試行錯誤を繰り返す時、
    げっそりやつれてガンじゃないかとウワサされ、
    幼児でもないのに夜尿症に悩まされ、
    相談にのってやると言われて、酒の席のネタにされ、 
    なにもかも信じられなくなった時、
    交差点でエンストした軽四の横で携帯片手にうろたえるおばさんのように、
    もうなにもかもおしまいだと、
    涙さえ出なくなったその時に、
    まさしくその時に、その時まで持ちこたえた者だけに、
    じわりじわりと、
    試練の最期がやってきて、
    突然ぽっかり雲が割れ、日が射してくる。
    そして同じく突然に理解する。
    あんなとんでもない出来事や仕打ちは、求めるものの
    対価として必ず差し出さなければならなかったのだ、と。 

    だから、
    これですべてOK。
    前を向いて進む者だけに特別に許されるゴールへの近道なのだと。 
    
    

もうひとつの水

2011年06月22日 21時54分27秒 | Weblog

   ★ もうひとつの水 ★


   大雨が降ると泥が混じって濁ってしまう。
   それでもたいていは、きれいに澄んでいて飲用にも食用にも使うことがある。
   特に夏は信じられないほどに冷たくて、ビールやスイカを冷やすのちょうどいい。
   料金はタダ。
   水源は裏山の奥深く、ちょろちょろと湧き出している自然の水だ。
   簡単なろ過装置を通して、ホースで家まで引いている。

   庭の草木の水やり、飼育している牛のために、そして人間のために使う。
   ただ安全なものかどうかは検査をしたことは一度もない。
   大丈夫だろう、ということで案外平気で飲んだり、料理に使ったりしているのだ。

   もちろん普通の水道水もある。
   が、我が家の祖母のその山の水に対する思い入れは半端ではなくて、
   時には家の中が険悪な空気に包まれることがある。

   それは自然水信仰とでもいえるもので、とにかくその水しか使わない。
   大水が出て、これはまずいよなあ、というくらいに濁っていても、
   お茶をわかす、風呂に入れる、子どものミルクを作る、もう止まらない。

   カルキの入った消毒済みの水なんか、病気の元だと頑として譲らない。
   あのねぇ、時と場合というものがあるでしょうが、と抗議しても受け入れられない。
   
                        ・        


   ある時、ろ過装置が落ち葉やゴミでつまってしまい、水が出なくなったことがあった。
   復旧作業に私が命じられた。
   ちぇっ、こんな山の水道なんかやめちまえ、と悪態をつきながら山奥深く踏み込んだ。
   場所もはっきりとした記憶がなく、かなり迷った。
   1時間もかかってたどりつくと、円筒状のコンクリートのろ過装置の水のとり入れ口は、
   水があふれてしまい、完全にふさがっていた。

   さらに1時間、きれいにゴミを取り除き、作業は完了した。
   ふと、さらにその奥の山を見渡すと、人の手が入っていそうもない林があり、
   神秘的な森が続いていた。
   後ろを振り返ると、自宅のある集落が一望でき、その右手には先祖の墓地が見えた。
   昔からこの水を命の支えにしてきたんだな、と思った。
   そして、
   祖母のこだわりもわかった気がした。 
   ここの水は大丈夫だろう、とその時はじめて思った。