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日々雑感

いわゆる”従軍慰安婦”と”徴用工”について

いわゆる”従軍慰安婦”と”徴用工”について、韓国サイドではそれが奴隷のような扱いであったまたは奴隷そのものであったというような認識となっており、日本サイドでは奴隷という言い方は言いすぎであるというような言われ方をされている。
世の事象はたいていその実態においてグラデーションをしているものなので、これらいわゆる”従軍慰安婦”と”徴用工”についてもその実態はグラデーションになっていたものと思われる。いきなり拉致したという証拠はないようだが、実態はかなり強制性の高い形から自主性のある応募であった形の間でいろいろなケースがあったのだろう。だから韓国サイドは強制性の高い例をあげ奴隷のようであったとの主張となり、日本サイドはそれなりに好待遇であった場合の例をあげ、両者の話は決して噛み合わない。

司馬遼太郎が端島(軍艦島)での日本人労務者へのひどい待遇とそれへの反乱を率いた人物の話を書いており、それによれば端島での労務者の待遇は奴隷と言って良いものであったようだ。それが真実とすれば時系列が異なるが、朝鮮半島よりの労務者への端島での待遇が良かったはずはない。花岡事件は中国よりの炭鉱労務者の反乱事件だが、中国の炭鉱労働者の待遇より朝鮮半島よりの炭鉱労働者のそれが素晴らしく良かったはずはない。

ドイツへのあまりに大きな賠償金がナチの台頭を招いた反省や戦後の冷戦構造があったこと、また終戦直後では日本自身も(日本以外の国々も)今のように日本が高度成長して豊かになるとは思っていなかったこと等が作用して、日本国外への戦時賠償額は日本国内での日本人への恩給等の支払い額に比べて考えた場合、概ね少ないと言えると思う。だから、上記のごとく事象にはグラデーションがあるということも鑑み、今からいわゆる”従軍慰安婦”について賠償の上積みというのは合理性もあったとは思う(いわゆる”徴用工”については補償を上積みするとサンフランシスコ条約体制を危うくしてしまうので実施不可能だ。)のだがここからがややこしい。

韓国のいわゆる”従軍慰安婦”と”徴用工”等(旭日旗の件など)についての態度は、日本の植民地支配があったこと自体が起因となり、日本に対して常に道徳的に優位に立ちたい・日本に対してシャーデンフロイデしたいとの情念となってしまっているので、過去の植民地支配をなくせない以上解決のしようがない。このことは日本国政府・日本人も感覚的にわかっていると思う。だから結局日本サイドも2015年の合意で全て解決済みと突っ張るしか方法がなくなってしまっている。

リヒャルト・ヴァイツゼッカーのような演説を日本の首相が再度行って、日韓請求権協定・2015年の従軍慰安婦合意をさらに上回る謝罪・補償を行ったとしても、日韓関係は上記”情念”がある限り、改善しないと思うのだがいかがであろうか?サンフランシスコ条約体制がおかしくなってしまうだけのように思うのだがいかがであろうか?
サンフランシスコ条約体制の底が抜けてしまったらそれこそ大変で、現在の世界のよって立つところがなくなってしまう。

いわゆる村山談話をはじめ、日本の首相談話はそれなりに評価されるべきものと思われるのだがそれらが韓国においては全く評価されていないことに日本人は疲れてしまっていると思うのだがいかがであろうか?

日本の首相の”戦後談話”にはリヒャルト・ヴァイツゼッカーの有名な言葉"過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる"のようにキャッチーなフレーズがないので地味ではあるが、それなりに真摯なものである。安倍首相は私は支持しないのだが、彼の”戦後談話”もそれなりに評価されるべきものと思われる。

他の処でも書いたが、私は歴史修正主義でないつもりだし、日本の韓国植民地支配は正当化できないと考えている。政治的立場はリベラルであるつもりである。しかし現状の日韓関係に関してはこのような認識となっている。
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