日々雑感

わが心の性的二重基準 男と女それぞれの腋毛への感じ方

リベラルの定義にはいろいろあれど、基本的なものの考え方は一応リベラルなつもりである。男女は基本的に平等であるし、生活態度・物の考え方・政治的立場・道徳・倫理について、男女にて二重基準を持つべきではないと考えて実践しているつもりではある。(生物学的なオスメスの成り立ちを知っていると、男性が優位であるというような考え方を持ちようもないが。--->生物学的には全ての生物の基本はメスであると言ってもほぼ間違いない。)
にもかかわらず思わず自分が性的二重基準を持っているのに気づかされることがある。他人の腋毛を見てしまったときだ。

正直に言えば男性の腋毛を見てもあまり何も感じない。ところが女性の腋は毛を処理してあることが当たり前のように感じてしまって、女性の腋毛を見た場合にはかなりへんな印象を持ってしまう。
しかし、これはどう考えても性的二重基準だ。自分の印象が性的二重基準であることを省みても、この印象を変えることはできない。

ある文化人類学者が含蓄の深いことを言っている。
「文化とは、その文化に所属している人間にとって決して逃れることのできない檻のようなものだ。」
私もこの檻を逃れ出ることはできていない。

現時点で女性は腋毛を処理すべきというプレッシャーの高い文化(日本やアメリカなど)の中で生活しているフェミニストの人たちはその文化的な檻から逃れることができているのだろうか?
日本のマスコミにて高名なフェミニストの人たちはどうなのであろうか?
または、このような件に関して別なフェミニズム理論があるのだろうか?
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