2024/12月の韓国戒厳令の兵士が韓国国会へ行った時の話を聞いたとき、2021年のミャンマーの軍事政権によるクーデターの時のことを思い出した。ミャンマーでは警察が軍の下部組織となっていたとのことだが、このクーデター当時、ミャンマーの下級の警察官・軍の下級兵士は市民に発砲することを嫌がる場合も多く、かなりの人数が隣国へ逃亡したとの報道があった。それでも市民への発砲はあったようだ。
今回の韓国戒厳令時に韓国国会へ行った兵士に対し市民・議員への発砲の命令があったかは不明ではあるが、少なくとも韓国紙の報道では軍兵士は市民・議員にあまり手荒なことはしなかったようだ。また、兵士には韓国国会での実力行使にはかなりのためらいがあったことは明らかなようだ。
下級の警察官・軍人が市民や反対派の議員へ発砲するか、厳しい実力行使をするかどうかは、結局、その国のその時代の”雰囲気”に依存しているように思う。その”雰囲気”とはその国の経済状態、文化状態、民主主義が行われてからの年月、そして今はやりの分断状況によるのだと思う。韓国の現在はこの”時代の雰囲気”が市民や反対派の議員へ発砲・厳しい実力行使をできないものにしていたのだと理解する。それを戒厳令を発した側はわかっていなかったのだろう。(韓流ポップアーティストが世界的に活躍する中で今回の戒厳令は明らかに異質だ。)
本当に仮定の話ではあるが、もし日本の自衛隊が同じ状況になったとしても、やはり市民・議員への発砲や厳しい実力行使はないものと考えたい。
アメリカでは分断を大いに煽る人物が次期大統領になるようだが、アメリカで同じことが起きれば発砲はあると考える。銃の使用・暴力への敷居の低さそしてひどすぎる分断がその理由である。
それにしても今回の韓国国会でのできごとにはどうしようもないジレンマが存在する。市民・議員へ発砲や厳しい実力行使をしなかったことは良いことと考えられるが、軍が上長の命令をないがしろにすることはまた民主主義国家での軍のあり方には全く反することでもあるということだ。このジレンマに対しての良い答は私は見つけられない。(2024/12/10)