断想さまざま

研究者(哲学)の日々の断想

時差ぼけ二時間

2013-05-27 21:46:34 | エッセイ
 大学の授業が始まって一ヶ月半が経った。最近は少々ノドが嗄れぎみで、つくづくこの仕事は体が資本であることを実感している。
 前年度の授業が終わったのが一月の終わりで、新学期がはじまったのは四月の初めだから、その間およそ二ヶ月間の休みがあった。学期中は毎日八時に起きていたのだが、休みの間に少しずつ起床時間がずれていって、気がついたら九時起きになっていた。これではまずいと思い、起床時間を元に戻そうと思い立ったが、この際どうせだから七時起きを習慣づけてみようと思った。
 私はこれまでに何回か、朝型の生活をしようと試みたことがある。が、元々強い夜型体質なのか、うまくいったためしがない。五時起床を始めたときは、すぐに口中に口内炎が出てダウンした。六時起床でも微熱が出てダメだった。七時起床は何とか可能だが、それでも本調子とは行かない。どうやらこれは、睡眠時間というよりは起床時間の問題らしい。たとえば八時間たっぷり眠っても六時起きだと調子が悪い。逆に六時間睡眠でも九時起きならば、そこそこ大丈夫である。それでは海外旅行のときはどうかというと、時差ぼけさえ直ってしまえば、しっかり順応できるのである。要するに起床時に、時計の針が早朝の時間帯を指していなければOKなのである。そこで今回、一計を案じて身の回りの時計をすべて一時間ずらしてみることにした。いわば人工的に時差ぼけ(というか夏時間)の状況を作り、それに慣れてしまおうとしたのである。
 一人だけ時間を一時間ずらすというのは、なかなか面白い感覚であった。ちょうど彼岸を過ぎたころだったのだが、普通なら日没は六時くらいなのに、時計を見ると七時になっている。まるで一足早く初夏が来たような感覚である。さっき正午のニュースを聞いたばかりなのに、時計を見るともう二時過ぎになっている。それでも徐々に体(脳ミソ)も慣れ、七時起床(時計の針は八時)も苦にならなくなってきた。私の「奇策」は効を奏したのである。するうちに新学期が始まった。時計の針はそのままに同じ生活を続けたのだが、いつの間にか元の八時起きに戻ってしまった。考えてみれば当り前のことで、いくら身の回りの時計を一時間ずらしても、公共の空間は依然として元の時間のまま動いているから、体はそちらに順応してしまったのである。
 さて先日、猪瀬直樹東京都知事や一部の財界人から、日本の標準時を二時間ずらそうという提言があったらしい。東京証券取引所の開始時間を二時間早めることで、日本経済にプラスの効果を与えようというのである。現在は、ニューヨーク市場が閉まってから東京市場が開くまでに二時間のタイムラグがあるから、日本の標準時を二時間早め、投資家のお金を東京に集めるという算段である。
 経験上私に言えるのは、一時間なら何とかなるが(いわゆる夏時間の制度と同じである)、二時間だと相当きついだろうということである。そもそも投資家の金を集めるために国民生活全体を巻き込むというのは、どうかという気がするし、証券取引所が問題なら、単にその開始時間を早めればいいのではないかと思うのだが、たぶんそれだと客が来ないということなのだろう。
 ちなみに日本列島にも東西に幅があるから、東の端は比較的影響が少ないが、西の端はもろに影響をかぶる。たとえば沖縄では、計算上、太陽が真南に来るのは14時半前後になる。冬だと朝の九時半まで日が昇らない(東京でも冬の日の出は九時前)から、これは相当に違和感があるだろう。

映画『アマデウス』

2013-05-13 21:59:08 | 音楽
 オスカー・ワイルドをめぐるジードの回想録に、こんな話が出てくる。
 ワイルドは当時、イギリスではご法度だった男色を実行していた。その筋の若者を集めてクラブを結成し、指輪を交換して結婚式を挙げ、しかもそのことを方々に吹聴して回っていた。
 ジードの友人であり、ワイルドとも交友関係にあったピエール・ルイスは、ワイルドに直談判をして行状を改めるよう迫った。話し合いは決裂し、憤激冷めやらぬ様子で戻ってきたルイスは、当日の様子をジードに報告した。ワイルドは彼にこう言ったそうである。「君は僕のことを友人だと思っていたらしいが、僕は実は恋人しか持たないんだよ。さようなら。」
 それから何年か経って、ジードがワイルドにその話をしたところ、意外にも彼はこう答えたそうである。「君、最悪の嘘とは、最も真実に近い嘘のことなのだ。あのとき、僕は彼にこう言ったのだ。『さようなら、ピエール・ルイス。僕は今日、一人の友人を失ってしまった。今後はもう恋人しか残らないだろう。』」
 私の考えでは、映画『アマデウス』に描かれたモーツァルト像は「最も真実に近い嘘」、すなわち「最悪の嘘」なのである。あそこに描かれていたモーツァルト像(自由闊達だがおよそ品位を欠いた天才の肖像)は、十九世紀的な神格化されたモーツァルト像とは正反対のものに見えるが、天才に関するある種のステレオタイプを具現しているという点で瓜二つである。しかも現代人の好尚に無意識に媚びていてたちが悪い。
 なるほど姉のナンネルは、モーツァルトが「いくつになっても子供だった」と報告している。しかし自由闊達であることと子供であることは似て非なるものである。父レオポルトの友人は、モーツァルトのことを「非活動的で押しが弱い」と評しているし、レオポルト自身も同様の意見を述べている。おそらく彼の「子供らしさ」はある種の精神的な未熟さであって、それが世間や人間に対する積極性やバランス感覚の欠如というかたちであらわれていたのである。彼の音楽の繊細さは、最も深い意味での内向性に裏打ちされているが、それは子供の物怖じの感覚とほとんどすれすれのものである。
 むろんモーツァルトの音楽の「悲しみ」についてはこれまでもさんざん言われてきたことであるし、いまさら『アマデウス』でもなかろうと思われる向きもあるかもしれないが、わざわざ私がこんなことを書いたのは、何日か前にシューマンの室内楽(ピアノ三重奏曲第一番)を聴いて、かねて感じていた二人の音楽家の精神的類縁関係を、あらためて考えさせられたからなのである。