WITH白蛇

憂生’s/白蛇 セカンドハウス

底で・・に寄せて

2015年10月23日 | 作品に寄せて

底で・・のこと

底で・・という作品をFC2でも一度あげていたが、どうも、シーンがあるために、検索にかかりやすく、アホログ検索がやってくる。
この作品の背景は、複雑なものがある。

そこのところを知らずして、ログで検索して読んでもなあ。と、いう思いがする。

この作品を書くきっかけになったのは、ネッ友の作品による。
表現的には、18Rの範疇にはいるだろう。
その作品を別の人がいわゆる、二次創作をした。

二人の作品をみながら、憂生も三次作品?をかいてみようと想った。

最初に思いついたのは、言葉の意味合いの違いに着目したものだった。

恋人が事故で入院した彼女をめぐる別の男の攻防というところであるが、最初の設定は
ベッドシーンのそのままの科白を繰り返すというパターンで
恋人が二人の仲に疑念をいだき、詰問する。

別の男は彼女に
「いいから、言っちゃえよ」
ーいいから、逝っちゃえよー
と、シーンの最中の言葉をなげかける。

歴然と二人の時間を深層心理の中にうかびあがらせ、
かつ、恋人との決別をせまる。
と、いう一言で外と内に働きかける科白は、
設定としては、(憂生としては)秀逸な構図であった。

だが、ふと・・・。

憂生自身、恋人がいながら、ふらつくという生き方が嫌いな人間であり、大元である、いわゆる(結果をどうするかの違いでありながら)浮気という事象を肯定できる自分がいない。

で、あるのに、そのままの設定でかけば、自分が曲がる気分になる。

そして、なによりも大きな設定ミスといえる心理に疑問をかんじてもいた。

ー恋人が大変な時に、他の男とーと、いう女心が、憂生にとってはありえないわけだ。

そんな女心なるものを憂生なりに肯定?納得できる理由ができたら、
書くことにして、当初の設定を没にして、しばらく時をまった。

そして、書き上げたのが、底で・・であるが、ある種異様な作品にしあがったといってよい。

18Rの表現をもつものの、その内容に、問うことがあった。

実際、何人かの人が、自分の人生を考え直していたようである。

ー半身不随(もしくは、近い状態)の人との結婚ーに迷う人が、この作品を読んでいた。

憂生の日記の中にも、車椅子のある人の話がある。
この場合も車椅子の人が男性であるが、女性側の献身?により、
子供にもめぐまれているし、本人の心にも「愛が灯った」と想う。

もちろん、ブロー・ザ・ウィンド、さながら、
「想わぬ作品の余波」なのであるが、この作品により、自分の思いを見定めて行った人もいる。

だが、一方で、あほログ検索で18R表現を漁るかばちもいる。

FC2で挙げた時は真摯な意見・感想をいただいたが・・。

その感想でも、およびつかない「うしろ側」があった。


おそらく、憂生の迷いとおなじように、
ー恋人が大変な時に他の男と?-という設定、行動に納得できない。
主人公の深層心理はあかされていくので、理解できるものの、ふにおちない。と、言うものがあったのだと思う。

実際、憂生も此処の部分で、
どんな理由があるにせよ・・という思いはもっていた。
もっていながら、その設定をおしとおしたのは、三次創作、原本があるせいではなかった。


最初にその設定をもちだした原作者は、実際、恋人を事故で亡くしている。

理解や納得や設定ミスや疑問などということを、うけつけない「アル種の事実」があったわけだ。


その原作者としりあったのも、ブロー・ザ・ウィンドやその近辺の日記からだった。

今でも、覚えている。

ー憂生、おまえも死んだ人間としゃべれるのか?-

残念ながら、いろいろ不思議な事象の多い憂生であるが、死んだ人間と喋れない。死んだ人間の想いをキャッチしたことはある(彼の魂が・・を参照)が、本人は死んだとおもっていなかったようであるが・・・。


で、問題は喋る・喋らないではない。

おまえ「も」の「も」である。

このことから、原作者が事故で恋人を亡くした経緯があることをしった。

原作者は、当初不思議な行動をとった。

憂生の一日の食事を伝えよ。

と、いうものだった。

朝はコーヒー1杯~2杯で仕事にでかけていたから、
昼と夜の食事をつたえるだけだったが、奇妙だと想った。

だが、いろいろと、不思議?なことを体験している憂生は、
そういう事を「奇妙」ととってはいけないことをよくわかっていた。

自分自身も奇妙な行動をとってしまったこともあるが、これを、言うがままにしてくれた父親の姿で、「我、親父になにさせとんじゃ?」と、きがついたこともあり、そうでなくても、うけいれられることで、一種、憑き物?がおちるということもあり、その行動は2週間くらい続いたが、突然?消滅してしまった。原作者の興味がうせたのか?あきたのか?よくはわからないが・・。


そして、亡くなった恋人のことについては、
「おまえが、人として、幸せにいきていくことを望んでると想うよ」
と、つげたのだが、
この時にも、ひっかかることがあった。
憂生にその言葉をつげられて、墓に向かった彼女は
恋人から
「もう、おまえはここにきちゃいけない。自分の人生を生きろ」
と、つげられたというのである。


此処で、憂生はかすかに想った。

死んだ人間としゃべっているのでなく、彼女の中につくりだした「彼」でしかないのではないか?
と。

自分だけが生き残ってしまった痛みのようなものから、
彼女は自分をときはなつことができず、
「彼」という幽霊をつくりあげていたのかもしれない。

「自分の人生」を歩む罪悪感?のようなものを、彼を忘れてしまう罪悪感のようなものを説き伏せる事が出来ずにいたとき、ブロー・ザ・ウィンドを読み、憂生に奇妙な行動をとってみせ、それが、うけいれられたとき、彼女は憂生をしんじたのではないだろうか?

だから、憂生の言葉がそのまま、彼の言葉にすりかわっていったのかもしれない。

そうこうするうちに、
新しい人生をあゆみだそうと彼女はしていた。

ところが、まだまだ、ぬけきっていない状態だったのだろう。
新しい恋人に「気持ちが悪い」という罵詈雑言で、こっぴどくふられてしまったようで、彼女の変調がそこからはじまりだした。

憂生に対峙するときのように、亡くなった恋人とはなす?ことや、
へたをすると、憂生にたいしてのような、毎日に食事を教えろなどという奇妙な行動を新しい恋人にしめしたのかもしれない。

通常、普通に考えたら、
パラノイアじみたストーカー行為?奇妙なフェチとして映るだろう。

で、なければ、「気持ち悪い」という言葉はでてこないだろう。

しばらくの落ち込みのあと頃だったか、憂生は彼女に
「小説を書くこと」を薦めた。

客観視がなりたたなければかけないということもあるし、自分の迷いの答えをかきこむということも往々にしてある。

ぽつぽつ、彼女が日記に詩などかきはじめてるころに、またも、奇妙なことにきがついた。

ー憂生そっくりだー
ー憂生さんの別のネームですか?-

語調もにてきたし、ところどころの科白もおなじだった。

ー憂生には「さん」はいらないー
ー性別不明でやってるのは、ややこしい恋愛感情にまきこまれたくないからだ。ネットで恋愛する気はないー
などなど、パクリともみえる状態が続き
彼女はいつのまにか、
「男」にかわっていた。

その頃に、すでに彼女は発症していたのだと想う。

そして、彼女はその頃に原本にあたる話や
事故にかかわる話をかきはじめるようになっていった。

一方、憂生さんそっくり、が、逆に
彼女の沽券にかかわったのか?

あるいは、彼女独自にうちたてた「男性名詞」が
存在をおおきくしたのだろう。

ひさしぶりに彼女のブログを覗いておどろいた。

「兄貴、元気?」
兄貴とは、彼女のことである。

病がちで、傷あとをひきずるナイーブな若い男。

その『彼』を賛辞する訪問者。


ハムレットの如き苦悩する姿に心を痛める訪問者。

ーそれで、彼女の心が癒えるなら・・黙っているべきかもしれないー

とも想った。

だが、憂生には、彼女が「男」を演じる姿が
死んだ恋人を追従しているようにみえた。


やはり、自分だけが生き残ってしまったという悔いに押しつぶされている。
彼が生きていたら、こうじゃないか?という姿を演じることで
ともにいきようとしてしまっているんじゃないか?


それは、危険だと思えた。


まして、本当に苦悩する「彼女」である彼女は新しい恋人(別れたわけだが)こっぴどく、否定されている。

一方で、「男」である彼女は、まわりから、ちやほやされ、したわれ、かわいがられている。

おまけに「悔い」も解消するかもしれない。

このままでは、
彼女は「彼女」を否定し、「男」に人格をのっとられかねない。


憂生はふたつの行動にでた。

ちやほや組のリーダーに事実をうちあけ、これ以上、もちあげて「男」から、かえられなくなるようにしてくれるな。
と。

その憂生の言葉に、リーダー格の彼女は
「あの男の子はいいこだよ。息子みたいに想ってるんだ。女の子のわけないじゃないか。写真もみたんだよ」

かくのごとく、信じ込んだ人間に賛辞されれば、ますます、彼女は「男」の自分に居心地をよくして、「彼女である自分」を否定していくことだろう。


外側からの問題は何とかなるとしても、問題は「彼女」のほうだった。

その頃に、一つのテーマを提示した。

「男目線でかくことは充分にできているから、作家として女目線にも挑戦してみてはどうか」

埋ずめかくそうとしている「女」を意識していくことで、「彼女」を取り戻すきっかけになればよいと思ったが、
具体的な憂生の不安ははなさずにいた。

しばらくして、彼女は
「女の目線・気持ちでかけない。女を主人公にして、気持ちをかくことができない」

と、訴えてきていた。

もう、「自分をとりもどせなくなってしまったのかもしれない」
と、一抹の不安を感じた。
こんなことなら、墓で死んだ彼氏と喋ってるほうがよかったかもしれない。
すくなくとも、死んだ彼氏は、彼女の外側にいると意識されていたのだから・・・。

こんな後悔ににた念。
憂生の奇妙に人をうけいれてしまう部分。
あの時、もっと、彼女に憂生はかまわないが、
他の人間からは気味悪がられるかもしれないという事を
しっかり、伝えておけばよかったのかもしれない。
そうすれば、あんなにこっぴどく罵詈雑言をかけられ、
自分を否定するようにならなかったかもしれない。


そして、発作をおこすようになり、
彼女は「境界認識異常」になっていった。

わざと、男のふりをしているのでなく、やってしまう。
病状が進めば自分がだれかわからなくなってしまう・・・・。


彼女はある時から、姿をあらわさなくなった。

憂生に作品の保管を頼んでから・・・。


もう、それから、何年もたつけど・・。

いまだに、底で・・・の原本である作品を想う。


彼女の事実だったのか、彼女の希求だったのか。
死んだ彼氏以外の人の思いをうけとめてはいけないという枷がかかせたものだったのか・・。

憂生は心理学をやってるわけでもなんでもないので、実際のところはおよびつかないけれど、

それでも、時々、底で・・の設定がまた、彼女を苦しめたのかもしれないとも想う。

「自分の欲をあきらめる」
「思いひとつで、恋人をえらぶ」

底で・・の底から、こんな信念をかんじとっていたかもしれない。

この物語がまた、彼女をおいつめたのかもしれない。

 


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