every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

ディスコ <スタジオ54>について Pt.1

2013-06-06 | Books
ディスコの歴史を紐解くときに決して逃すわけにはいかない存在。アンディー・ウォーホールやカルヴァン・クライン、イヴ・サン・ローランにミック・ジャガー。錚々たるセレブ中のセレブが通いつめたディスコ。それが<スタジオ54>だ。

54(フィフティ・フォー)―ザ・ラストパーティ54(フィフティ・フォー)―ザ・ラストパーティ [単行本]

ディスコにはすでに歴史があった。それが最初に出現したのは、テクノロジーとアメリカのポップ・ミュージックに対する戦後ヨーロッパの熱狂からだった。(P.16)

それは前の世代のヒッピー・ミュージックに対するアンチテーゼでもあった。そしてまちがいなく中核には黒人がいた。「あれは間違いなくR&Bのダンス・ミュージックだよ。そこから出発しているんだ」。後に<スタジオ54>のドアチェックに跳ね除けられ「Fu*k Off!」と怒りをぶちまけたセッションから「La Freak」という世界的ヒットを飛ばしたChicのナイル・ロジャースはそう語る。

Le Freak. Chic (Official HD Remaster)


ナイル・ロジャース「僕らは"Fu*k Off"を"Freak Off"に変えてみたけど何だかしっくり来なかった。そのとき、当時アメリカで一番人気があったダンスが"Freak"と呼ばれていることを思い出したんだ」(P.180)



『サタデー・ナイト・フィーバー』の殆どのロケは<スタジオ54>で行われた。そもそもこの建物自体がCBSのスタジオだったのだ。CBSが52、だ、といった具合にいくつか持っているスタジオのう53があった場所は54丁目にあった。それで<スタジオ54>と名付けられた。


アメリカを代表する雑誌『Life』1978年11月号はミッキー・マウスが表紙を飾り、能天気なディスコ最盛期を報じた。曰く「ディスコ! エンターテイメントの最もホットなトレンド


「いま、アメリカにはディスコが1万軒以上あり、大ブレイクした昨年(77年)は、3700万人のアメリカ人が少なくとも一回はディスコに出掛けている。総収入は40億ドルを上回る。――これはレコードおよび映画参照の総利益を合わせたものの2/3に相当し、トップ40の大半がディスコ・ミュージックかディスコ・ミュージックのビートやスタイルに影響を受けたものである。」




そのメイン・コースこそが<スタジオ54>だった。


Studio 54



……続く、かも。


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