every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

テクノとハウスの違いについて

2010-05-11 | 雑記

ラリー・レヴァンの流れを汲んでいるのがハウス、ホアン・アトキンス(或いはジェフ・ミルズ、若しくはモーリッツオ etc… 文脈により代替可)の流れを汲んでいるのがテクノ。

ある時代まではそのふたつは明確に分かれていたが、近年では混ざり合っている。
象徴的なのがAME「REJ」か?

歴史・文脈の違いなので当然同一曲でも解釈の違いの余地が生まれる。
前述の「Rej」をハウスと捉える解釈もテクノと捉える解釈も間違いではない。

http://tumblreffect.tumblr.com/post/575822669


[補足]
Ken Ishiiの言う
『ハウスのピークは『イエ~イ』って感じ、テクノのピークは『ギャー』って感じ。』

ってのはDJが伝えるメッセージとしては凄いいいと思う。

これはボンヤリと記憶しているのは雑誌でのインタビューだったと思うが、
ニュアンスは伝わるし、何より自分(Ken Ishi)のプレイ・スタイルの表明にもなっているから。

んが、その『イエ~イ』と『ギャー』も主観だから堂々巡りになる。
例えば「Philipes Track Ⅱ」はテクノだろうが『ギャー』という感じではないし、シカゴ・ハウスの多くは『イエ~イ』という感じではない。

こういうジャンル分け議論の時になぜ歴史的経緯や文脈、社会的背景を考慮しないのだろう?

そういった観点からハウスとテクノの定義を捉えたのが、冒頭に引用した僕の見解だ。

元々「ハウス」という言葉はフランキー・ナックルズが廻していた《ウェアハウス》(前述の見解はラリー・レヴァンやフランキー・ナックルズとするべきだったかも)から取られた言葉だし、テクノという言葉をホアンが謳ったのも「ハウスとは違う」という想いが込められていた。

因みにトランスはハウスなりテクノのインフルエンスがヨーロッパで醸造されたものという定義が出来るかなと。
ヨーロッパで培われただけにリズムやグルーヴといったアフリカ的な要素より、メロディやコードといったクラシックから続く西洋音楽の要素が強いといえるし。


大瀧詠一の言う分母/分子論じゃないけど、どこから来てどこへ行こうとしているのかとか歴史の流れを俯瞰して見て自分の位置を確認するって凄い大切だと思うけど。


或いは、ハウスのリズムはアール・ヤング(サル・ソウル)のドラム・パターンに由来するように、ハウスは従来のミュージシャン的な奏法を嗜好するが、テクノはそれまでの奏法では演奏できないフレーズ(リアルタイムでの音色の変化など)を嗜好する。

……この区分だとアシッド・ハウスはテクノにカテゴライズされるので何か座りが悪いな。やっぱ、自分的には前述の歴史的認識が一番しっくりくるっす。

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