
昨日見ました?
テレビ朝日で放送された、1988年10月19日のロッテ-近鉄25,26回戦の模様。
テレビ朝日開局50周年記念番組
テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負 ~いま明かされる舞台裏の真実~
私もビデオとって見てました。
いきなり余談ですが、私はビデオ録画、いわゆるVHSを使ってるんですよね。
そもそもあまりテレビ見ない方ですんでデーブイデーとかブルーレイとか買うつもりもございません。
なので、久しぶりにビデオテープ買いに行っても、「まだビデオって」て薄笑いされてないか、
多少気になったところでしたが。
話を戻してプロ野球至上最大の名勝負として未だに語り継がれている10.19。
その当日は、こちらのブレーブスファンにとっては、阪急身売りという
ショッキングなニュースが飛び込んできた中での試合ではありましたよね。
ほんとなら、10.19に阪急身売りを含めて何が起こったか、
10月19日に至るまで近鉄がどれほどのハードスケジュールの中、破竹の勢いで進んできたか、
西武の選手がどんな思いで、試合の様子を聞いていたか、
第1試合の中盤までの流れなど、
当番組にはもっと時間を割いて伝えて欲しい部分もありました。

でないと、何であれだけの人が川崎球場に押し寄せる理由も知って欲しかったもんです。
でも、タダでさえプロ野球の中継も地上波でしなくなった情勢の中、
特番としてゴールデンタイムに組み込んでくれただけでも、ありがたいものです。
録画したビデオをよーく見直すと、言葉の端々に上記の様子は伝えていましたし。
もちろん、私は当時ブレーブス~その後ブルーウェーブのファンでしたが、
あのときは、関西中を味方に回した近鉄の大波が来ていたんですよね。
ビッグウェーブが。
それを巻き起こせたのが、

「キクチハラってまだ言うてないデ!」
名将・仰木彬がいたからこそ。
当時、監督就任一年目で12球団一地味な監督と言われたにも関わらず、
勝負師としての魅力はここから伝わっていったものだと思います。
で、対するロッテもプロとしての勝負を最後まで見せてくれたわけですよね。
その親分であった有藤の抗議については、だんだん本人の言い分が言い訳がましくなってきてるのが気に食わないですが。
(昨日の放送では有藤の「ほんとはさっさと終わらせたかったのよ」の言葉に思わず笑ってしまった・・)
でも弁護する意見も年を追うごとに増えたというのは、
ロッテファンがその後増えたということもあるでしょうけど、
当時の試合が語り継がれた上でその勝負への真剣さが認められたことに尽きます。
で。
その名勝負の舞台となった川崎球場。今の様子、見に行ってまいりましたよ。
昨日の興奮冷めやらぬうちに、見に行くのが丁度よろしい。

まずは私の最寄り駅から川崎に行くのに使った京王相模原線。
綺麗な声のメガネ女性車掌さんでした。
・・・なことはどうでもよろしい。ずっと乗っていたかったけど。

泣く泣く(?)南武線に乗り換えて川崎駅到着。
ここから海に向かってそれなりに歩き・・・体育館や競輪場のあるところへ。

競輪場の駐車場の奥を覗けば、照明用の鉄塔がそびえています。
今日は競輪場の競技開催だったため、川崎駅から無料のバスが往復してました。

入口ですね。
丁度、使用中だったため門は開いてました。

バックネット裏のスタンド跡。

では、少しフィールドの様子を。



そう、今は野球場でなく、主にアメフト用のスタジアム。(社会人リーグのXリーグでも使われてます。)
川崎球場ホームページ
この日は軟式野球として使われてましたが、アメフト仕様のためか、レフト~センターにスタンドがせり出しています。
でも上記ホームページを見ると、このスタンドは仮設みたいですね。

後ろのマンションは・・・
スコアボードも手動ではなくなりましたが簡素なもの。
こうやって見てると、なんばパークスや阪急西宮ガーデンズのようにショッピングモールに生まれ変わった状態と
川崎球場として残っていてもロッテと全く無縁となっている状態とどちらがいいのかはわかりません。
気軽に訪れられるのはショッピングモール。
でも、いつでもこうやって当時の思いを馳せながら訪れることはできます。形は一部でも残ってますから。
そして。
10.19の主役は近鉄だったにしろ、ロッテのホームスタジアムが舞台だったのは間違いないところ。
普段ガラスキという状況に一番近い、スカイマークや京セラDに思いを馳せたところ、
いきなりロッテファンがあふれ返るほど押し寄せ、踏み台にされるとなると、
「あんたらだけが野球やっとるんと違う」
といった有藤の言葉は理解できるものです。よくわかります。
それはビジター球場であっても同じです。アウェーのファンは少なからずいますから。
でも抗議を長引かせんなよ~・・。
最後のスタンドからの「仰木さん、一年間ありがとうございました!」ていう声は何度見ても泣かせられます。
ブレーブスファンでしたが、今やBsフリークとして書かせていただきました。
そうそう、テレ朝ナイス、て思ったところでしたが、
報道ステーションにて野茂さんがキャンプに来てバッティングピッチャー勤めた映像、「現役も映せよ!」

観客動員増を野茂さんの助けを借りて狙うようですが、これじゃぁ根本的な解決になりまへーん。

お時間とお気持ちに余裕があれば、ぽちっと押してください。
テレビ朝日で放送された、1988年10月19日のロッテ-近鉄25,26回戦の模様。
テレビ朝日開局50周年記念番組
テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負 ~いま明かされる舞台裏の真実~
私もビデオとって見てました。
いきなり余談ですが、私はビデオ録画、いわゆるVHSを使ってるんですよね。
そもそもあまりテレビ見ない方ですんでデーブイデーとかブルーレイとか買うつもりもございません。
なので、久しぶりにビデオテープ買いに行っても、「まだビデオって」て薄笑いされてないか、
多少気になったところでしたが。
話を戻してプロ野球至上最大の名勝負として未だに語り継がれている10.19。
その当日は、こちらのブレーブスファンにとっては、阪急身売りという
ショッキングなニュースが飛び込んできた中での試合ではありましたよね。
ほんとなら、10.19に阪急身売りを含めて何が起こったか、
10月19日に至るまで近鉄がどれほどのハードスケジュールの中、破竹の勢いで進んできたか、
西武の選手がどんな思いで、試合の様子を聞いていたか、
第1試合の中盤までの流れなど、
当番組にはもっと時間を割いて伝えて欲しい部分もありました。


でないと、何であれだけの人が川崎球場に押し寄せる理由も知って欲しかったもんです。
でも、タダでさえプロ野球の中継も地上波でしなくなった情勢の中、
特番としてゴールデンタイムに組み込んでくれただけでも、ありがたいものです。
録画したビデオをよーく見直すと、言葉の端々に上記の様子は伝えていましたし。
もちろん、私は当時ブレーブス~その後ブルーウェーブのファンでしたが、
あのときは、関西中を味方に回した近鉄の大波が来ていたんですよね。
ビッグウェーブが。
それを巻き起こせたのが、

「キクチハラってまだ言うてないデ!」
名将・仰木彬がいたからこそ。
当時、監督就任一年目で12球団一地味な監督と言われたにも関わらず、
勝負師としての魅力はここから伝わっていったものだと思います。
で、対するロッテもプロとしての勝負を最後まで見せてくれたわけですよね。
その親分であった有藤の抗議については、だんだん本人の言い分が言い訳がましくなってきてるのが気に食わないですが。
(昨日の放送では有藤の「ほんとはさっさと終わらせたかったのよ」の言葉に思わず笑ってしまった・・)
でも弁護する意見も年を追うごとに増えたというのは、
ロッテファンがその後増えたということもあるでしょうけど、
当時の試合が語り継がれた上でその勝負への真剣さが認められたことに尽きます。
で。
その名勝負の舞台となった川崎球場。今の様子、見に行ってまいりましたよ。
昨日の興奮冷めやらぬうちに、見に行くのが丁度よろしい。

まずは私の最寄り駅から川崎に行くのに使った京王相模原線。
綺麗な声のメガネ女性車掌さんでした。
・・・なことはどうでもよろしい。ずっと乗っていたかったけど。

泣く泣く(?)南武線に乗り換えて川崎駅到着。
ここから海に向かってそれなりに歩き・・・体育館や競輪場のあるところへ。

競輪場の駐車場の奥を覗けば、照明用の鉄塔がそびえています。
今日は競輪場の競技開催だったため、川崎駅から無料のバスが往復してました。


入口ですね。
丁度、使用中だったため門は開いてました。

バックネット裏のスタンド跡。


では、少しフィールドの様子を。




そう、今は野球場でなく、主にアメフト用のスタジアム。(社会人リーグのXリーグでも使われてます。)
川崎球場ホームページ
この日は軟式野球として使われてましたが、アメフト仕様のためか、レフト~センターにスタンドがせり出しています。
でも上記ホームページを見ると、このスタンドは仮設みたいですね。


後ろのマンションは・・・
スコアボードも手動ではなくなりましたが簡素なもの。
こうやって見てると、なんばパークスや阪急西宮ガーデンズのようにショッピングモールに生まれ変わった状態と
川崎球場として残っていてもロッテと全く無縁となっている状態とどちらがいいのかはわかりません。
気軽に訪れられるのはショッピングモール。
でも、いつでもこうやって当時の思いを馳せながら訪れることはできます。形は一部でも残ってますから。
そして。
10.19の主役は近鉄だったにしろ、ロッテのホームスタジアムが舞台だったのは間違いないところ。
普段ガラスキという状況に一番近い、スカイマークや京セラDに思いを馳せたところ、
いきなりロッテファンがあふれ返るほど押し寄せ、踏み台にされるとなると、
「あんたらだけが野球やっとるんと違う」
といった有藤の言葉は理解できるものです。よくわかります。
それはビジター球場であっても同じです。アウェーのファンは少なからずいますから。
でも抗議を長引かせんなよ~・・。
最後のスタンドからの「仰木さん、一年間ありがとうございました!」ていう声は何度見ても泣かせられます。
ブレーブスファンでしたが、今やBsフリークとして書かせていただきました。
そうそう、テレ朝ナイス、て思ったところでしたが、
報道ステーションにて野茂さんがキャンプに来てバッティングピッチャー勤めた映像、「現役も映せよ!」

観客動員増を野茂さんの助けを借りて狙うようですが、これじゃぁ根本的な解決になりまへーん。

お時間とお気持ちに余裕があれば、ぽちっと押してください。
それまでのプロセスやBやHの身売りなどの背景なども取り上げて欲しいが実際ありますね。
88年末のニュースステーション特番では、
10.19まるごとやってくれてました。
これは保存版で未だに実家にビデオとして残ってます。
川崎球場変わり果てた感じですね。
その分ナゴヤは恵まれた環境ですね。
それに比べ、
藤井寺や日生球場は…涙
現存するだけキセキと思うしかないですが。。。
でも、まだまだこの先も語り継がれてくために、
今になっても放送してくれたと思ってます。
川崎球場自体はプロ野球やってた頃は知らないのですが、
いろんな映像で見てた情景が、この狭い世界にあったんだとちょっと思いながら見てました。
藤井寺や日生球場は、たまに傍を通りがかったり、電車の窓からでも
何か痕跡が残ってくれてると、それだけでも思い出すことはあると思うんですが。
近鉄さん、巨人優勝セールやってる場合じゃないと思うんですよね。