彼は不満だった。
彼は現代に適応した無意味な10代ではなかった。しかし彼はとりわけ意味を持ったティーンエイジャーでもなかった。
彼は面倒臭そうに立ち上がるとテーブルに置いてあったドクターペッパーを飲み干す。
彼はまだ不満そうにしながら、家の鍵をかけ、出かけて行く。
何が不満なのかは分からない。あるいは何も不満ではないのかもしれない。それでも満足はしていない。彼は混沌とした心の整理をつけようとする。しかし彼の心は彼のその意思を拒む。彼の心は暴走もしなければ、いつでも安泰といった訳にもいかない。いつまでたっても不安定な状態に引っかかったように在り続ける自らの心に彼は困惑する。と同時に彼はそれを受け入れる。
彼は友人のアパートに着くとまるで生まれたときからそうと決められていたようにソファに向かい、そこへ腰をおろす。友人が小さな冷蔵庫からよく冷えたジンジャーエールを取り出し、彼に手渡す。
しばらく彼らはそれを飲みながら他愛もない会話をする。彼はまた思い立ったようにソファから身を降ろし、絨毯に胡座をかいて座り込む。まるで運命なんて居心地の悪いものだと言わんばかりに。
彼は何事にも不満だった。けれど友人―別に自分以外の人間なら誰でも構わない訳だけれど―と一緒にいる時は不思議と不満は消えていた。時に消えない不満もあったが、それらは全て冗談の種となり茶化される程度で、またすぐに消えていった。
彼は友人の部屋を出る。
ドアを開けると彼の目の前にはいかにもあとからつけました、といったような駐車場がある。その端にはこれまたあとからつけたような駐輪場があり、チェーンの錆び付いた自転車や子供に飽きられてしまった一輪車の中に友人のバイクがある。
「ちょっとキー貸してみろよ」
彼は免許など持っていない。しかしそれ以前に彼にとって免許というのはたいして大きな問題ではなかった。彼自身の事は彼が判断を下した。国や世間の許可が入る余地がそこにはなかった。彼が乗りたいと思えば彼の口は「乗る」と言い、彼の心も乗り気になる。好奇心だけが彼の心を手なずける事ができた。
彼は友人からキーを引っ手繰るように受け取る。
「スクーターだから大丈夫だとは思うけど、気をつけろよな」友人は愛想のない社交辞令のような言葉を彼にかける。
彼はその言葉に肯き、エンジンを始動させ走り出す。彼のまわりの景色はだんだんと速く走るようになる。彼はそのスクーターの特徴的なギアシフトを行う。彼が左ハンドルを操作するごとにスクーターはその速度を増す。
彼は自由を感じていた。確証はないが、間違いなくそれは自由だった。彼は自分に翼が生えたかのような錯覚に陥る。どこかの工場で組み立てられたただの鉄の塊に跨っているだけなのに、いまや「鉄の塊」は彼の馬となり、自由への扉を開ける鍵となり、彼に自由へと飛び立つための翼を与えていた。少なくとも彼はそう思った。
彼は大通りを抜け、林道へと向かう。
不満は消えていた。彼はこのままどこかへ行ってしまおうと考えた。
林道を抜けると、街があった。
それを抜けるとまた林道があった。
その林道の先にはまた街があった。
彼は錯覚から覚める。自分は自由ではない。どこまで行ってもこの繰り返しだ。永遠に抜ける事なんてできやしないんだ。彼は叫ぶ。彼の叫びはエンジン音にかき消される。
すでにあたりは暗くなっている。人々は家路を急ぐ。そうでないのは彼だけだ。
彼は怖くなる。帰るべき場所がはっきりしない事に恐怖を憶える。どうしようもない恐怖。加えて彼の心は彼の跨るスクーターを電柱に衝突させようと誘惑する。「このままぶつかったらどうなるだろう」彼は呟く。しかし誰もその声を聞く事のできる人間はいない。叫びも、呟きも、彼の声はエンジン音にかき消される。
彼が友人のアパートに着いた時、すでに日が昇ろうとしていた。
彼はスクーターのキーを郵便受けに入れ、家に帰る。
そこに待つ人がいなくとも、帰る場所がある事に彼は安心する。彼は自分が自由ではない事を知った。どこまで走っても拘束され続ける事を知った。知った瞬間の怒りや悲しみは既に消えていた。そしてそれは揺ぎ無い確証と満足に変わっていた。
彼の心は久しぶりに晴れていた。久しぶりに彼の心を不満や不安以外の要素が満たしていた。
朝の光の歓迎を受けながら、彼は現実へと戻っていった。
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総制作時間:40分
制作:純
※無断使用・無断転載は御遠慮ください
彼は現代に適応した無意味な10代ではなかった。しかし彼はとりわけ意味を持ったティーンエイジャーでもなかった。
彼は面倒臭そうに立ち上がるとテーブルに置いてあったドクターペッパーを飲み干す。
彼はまだ不満そうにしながら、家の鍵をかけ、出かけて行く。
何が不満なのかは分からない。あるいは何も不満ではないのかもしれない。それでも満足はしていない。彼は混沌とした心の整理をつけようとする。しかし彼の心は彼のその意思を拒む。彼の心は暴走もしなければ、いつでも安泰といった訳にもいかない。いつまでたっても不安定な状態に引っかかったように在り続ける自らの心に彼は困惑する。と同時に彼はそれを受け入れる。
彼は友人のアパートに着くとまるで生まれたときからそうと決められていたようにソファに向かい、そこへ腰をおろす。友人が小さな冷蔵庫からよく冷えたジンジャーエールを取り出し、彼に手渡す。
しばらく彼らはそれを飲みながら他愛もない会話をする。彼はまた思い立ったようにソファから身を降ろし、絨毯に胡座をかいて座り込む。まるで運命なんて居心地の悪いものだと言わんばかりに。
彼は何事にも不満だった。けれど友人―別に自分以外の人間なら誰でも構わない訳だけれど―と一緒にいる時は不思議と不満は消えていた。時に消えない不満もあったが、それらは全て冗談の種となり茶化される程度で、またすぐに消えていった。
彼は友人の部屋を出る。
ドアを開けると彼の目の前にはいかにもあとからつけました、といったような駐車場がある。その端にはこれまたあとからつけたような駐輪場があり、チェーンの錆び付いた自転車や子供に飽きられてしまった一輪車の中に友人のバイクがある。
「ちょっとキー貸してみろよ」
彼は免許など持っていない。しかしそれ以前に彼にとって免許というのはたいして大きな問題ではなかった。彼自身の事は彼が判断を下した。国や世間の許可が入る余地がそこにはなかった。彼が乗りたいと思えば彼の口は「乗る」と言い、彼の心も乗り気になる。好奇心だけが彼の心を手なずける事ができた。
彼は友人からキーを引っ手繰るように受け取る。
「スクーターだから大丈夫だとは思うけど、気をつけろよな」友人は愛想のない社交辞令のような言葉を彼にかける。
彼はその言葉に肯き、エンジンを始動させ走り出す。彼のまわりの景色はだんだんと速く走るようになる。彼はそのスクーターの特徴的なギアシフトを行う。彼が左ハンドルを操作するごとにスクーターはその速度を増す。
彼は自由を感じていた。確証はないが、間違いなくそれは自由だった。彼は自分に翼が生えたかのような錯覚に陥る。どこかの工場で組み立てられたただの鉄の塊に跨っているだけなのに、いまや「鉄の塊」は彼の馬となり、自由への扉を開ける鍵となり、彼に自由へと飛び立つための翼を与えていた。少なくとも彼はそう思った。
彼は大通りを抜け、林道へと向かう。
不満は消えていた。彼はこのままどこかへ行ってしまおうと考えた。
林道を抜けると、街があった。
それを抜けるとまた林道があった。
その林道の先にはまた街があった。
彼は錯覚から覚める。自分は自由ではない。どこまで行ってもこの繰り返しだ。永遠に抜ける事なんてできやしないんだ。彼は叫ぶ。彼の叫びはエンジン音にかき消される。
すでにあたりは暗くなっている。人々は家路を急ぐ。そうでないのは彼だけだ。
彼は怖くなる。帰るべき場所がはっきりしない事に恐怖を憶える。どうしようもない恐怖。加えて彼の心は彼の跨るスクーターを電柱に衝突させようと誘惑する。「このままぶつかったらどうなるだろう」彼は呟く。しかし誰もその声を聞く事のできる人間はいない。叫びも、呟きも、彼の声はエンジン音にかき消される。
彼が友人のアパートに着いた時、すでに日が昇ろうとしていた。
彼はスクーターのキーを郵便受けに入れ、家に帰る。
そこに待つ人がいなくとも、帰る場所がある事に彼は安心する。彼は自分が自由ではない事を知った。どこまで走っても拘束され続ける事を知った。知った瞬間の怒りや悲しみは既に消えていた。そしてそれは揺ぎ無い確証と満足に変わっていた。
彼の心は久しぶりに晴れていた。久しぶりに彼の心を不満や不安以外の要素が満たしていた。
朝の光の歓迎を受けながら、彼は現実へと戻っていった。
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総制作時間:40分
制作:純
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