Somewhere Before

人目気にせず何でも書こう

もう映画も見たくないし、美味しいものも食べなくていい

2006-10-25 22:12:39 | Weblog
時折、映画なんぞどうでもええやん、と思うことがある。

日常生活がパンパンで、でもなんだかそういうことを手放してしまうと、自分が非文化的なところにおっこちてしまうような気がして、がんばって見に行く。
でもがんばって見に行くようなもんなのか?とも思う。
でも見に行ったら行ったで、刺激を受けるので、やっぱり行ってよかったと思ったり。

もう美味しい物なんか、食べる必要はないと思うことがある。
今までの人生で、結構食べたし、もういいかなと。
それよりもやることがあるんじゃないのかとか。
でもそういうこと思って生きてると潤いのない非文化的なとこにおっこちていくような気ががして、それも勇気がない。

自分に正直になると、おかしな人間になるのではないかと怖い。
そんな人を時々見るから。
自分に正直といったって、そんなに自分が素敵な人間かというと、素の自分なんてそれほどのもんでもないだろうに。

不快な人間にならないようにするだけで精一杯なんである。

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2 コメント

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それこそ、潤いなれば。 (ヤマ)
2006-11-05 11:30:34
素敵であること、素敵でありたいと思うこと、
両者はビミョーに違いますよね。
後者には、現にどうであるかが一応留保されてますから。
でも、いずれにしても「素敵」にしろ「文化的」にしろ、
自分が自分に対して判じることではないだけに厄介ですね~。
自分の欲する潤いを適度に摂取していれば、
それでいいんじゃないですかね?
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荒地にようこそ~ (ミノ)
2006-11-09 06:59:37
ヤマさん、荒地にようこそ~。
やはりコメントつくと喜んでしまう私(笑)。

>自分の欲する潤いを適度に摂取していれば、
>それでいいんじゃないですかね?

その己の欲望の察知というのが、難しかったりします。
つまり、自分でも把握できないんですよね。
自分の欲望のようで、創出されているものであったりとかね。大量消費社会には、自分の声を聞くのが難しいんでしょうかね。
時間が限定されてくるとどうしても「したいこと」と「するべきこと」のせめぎあいになり、取捨選択を迫られますね。毎日そうですね。必ず何かを捨てていく。でも捨てたもののなかに何か大事なものがあったんじゃないのか?とまるでゴミ箱をあさりたいような気分にもなる。
映画を見逃し続けていると、何か大事なことを捨てているんではないか?みたいな。
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