時折、映画なんぞどうでもええやん、と思うことがある。
日常生活がパンパンで、でもなんだかそういうことを手放してしまうと、自分が非文化的なところにおっこちてしまうような気がして、がんばって見に行く。
でもがんばって見に行くようなもんなのか?とも思う。
でも見に行ったら行ったで、刺激を受けるので、やっぱり行ってよかったと思ったり。
もう美味しい物なんか、食べる必要はないと思うことがある。
今までの . . . 本文を読む
子供の幼稚園の運動会。
こういう公式行事には、普段父親やっていない子供の父親が出動して、お勤めを果す日である。
私は6年シングルマザーをやっているので、どうも子供に、「自分以外の親がいる」という感覚がわからない。
だから、こういう日に、二人で子供に付き添い、時々、子供の友だちの親にあって挨拶なんかしていると、「ああ、そういう感覚なのかあ・・」と、もう一人パートナーのいる育児をしている人の感覚 . . . 本文を読む
「負けてもいいでしょう?」と我が子は聞くのだ。
運動会で、かけっこで一番でなくてもいいでしょう?と。
最初から負けるつもりで走れ、と言うことは出来なかったが、「自分が10個力があるんなら、その10個出して走ればそれでええやん」と答える。
「勝とう」と思うんじゃなくて、「負けたくない」というマインドで。
彼女はあまり走るのが速くはないのだ。
別に速く走れなくたっていいじゃん。
大人になった . . . 本文を読む
何かある状態が、イヤだ、抜け出したい・・と思った時には、昨日と同じことを日々こつこつしているだけではダメなのだ。
それでも、昨日と同じ今日を明日を生きようとする人。
昨日とは違う明日を作ろうとする人。
切実さというものは、時として、人の潜在的な力をひっぱり出すもので、そういう意味では逆境は大きなチャンスでもある。
これは私の物語だと思った。
ああ私もフラガールのように勝利の舞いを踊りたい。 . . . 本文を読む
人というのは、同じ顔形でありながらも、内的変化が起こると全く持って違う表情になるものだな、と最近つくづく思う。
それって、整形手術をするよりも、見る側には変化を感じさせるぐらいのものだ。
本人さえコントロール圏外のもの。
湿気たマッチのような心でいると、それはそんな顔になってるってことなんだよな。
一体なんなんだろうな。あの顔の表情から、全身から発する「俺は今、こうなんだよ」という言葉になら . . . 本文を読む
ミクシィを離れて、こうしてブログを書くと、まるでそれは誰もいないどこかの荒地で一人っきりで立っているようで、実に気持ちがいい。
とはいえ、ネット上にあげているという意味においては、完全なる一人でもない。
私という人間というのは、人がコメントをつけてくれるとそれはそれですごく嬉しかったりするわけだが、同時に中途半端なサービス精神もあり、書いているうちに、読む相手を想定し、その人に受けるようなトピッ . . . 本文を読む