二人の食卓

二人での暮らしの中で
ささやかな幸せを
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そんな自己満足的ブログです

母の納骨

2022-09-17 15:01:08 | エッセイ

母は、再生不良性貧血を長く患っていて

その後、リンパ癌になった

 

母は、あたしが4歳くらいの時

大腸癌になり、長く入院

あたしが小学生の時

腸の癒着でまた入院

 

リンパ癌になったと聞いた時

「ああ、やっぱり、母は、癌で死ぬ運命なんだな」と

思わずにはいられなかった

母も、さすがにこの時は

「今日、死ぬ、明日、死ぬわ」と騒ぎ

投げやりになっていた

 

「人はいつか死ぬんだ」

「あたしだって、明日死ぬかもしれん」

「だからこそ、今日、美味しいものを食べ」

「今、綺麗な服を着たらいい」

そう言って、励ました

 

放射線治療などをしたけど

強い抗がん剤は、血の病気があるから

投与しなかった

それが功を奏したと思う

体力は温存され

癌は無くならず、増えもせず

大人しく、共存した

 

そして、癌が見つかってから

15年も経った

あちこち痛いと言いながら

たくさんの薬を飲みながら

それでも

お花見をしたり、花火を見たり

孫の結婚式にも出て

元気に過ごしていた

 

あたし達家族は、このまま

自宅で、100歳まで生きるんだろうと思っていた

 

それが、今年の4月に

自宅で転倒して、骨折してしまった

コロナ渦での入院生活

面会も予約制で、モニター越し。

それでも、だんだん元気になり

車椅子に乗って、食堂で、食事をとるまでに

回復していた

 

7月末、あたしは、面会の予約を入れていた

「来週、病院だなー。暑いなー」と思ってた

そろそろ寝ようかなと思っていた朝の6時頃

義妹から電話がかかり「すぐに病院に来てください」と言われた

 

動揺しながら運転し

病院に着くと

母はもう亡くなっていた

弟も義妹も、あたしも間に合わなかった

 

お薬をもらって飲んで

眠ったまま

血圧が落ち、脈が弱くなり

亡くなった

 

お葬式は、家族だけで、済ませた

母は、花が好きだったので

たくさんの花に囲まれた綺麗な祭壇となった

 

そして、今日、納骨に行ってきた

母が自ら、生前に、公共の共同墓地に申し込んでいたのだ

あたしは、子供が居ない

弟夫婦は、娘だけ

高額な墓を建てても、維持出来ない

 

初めて行った共同墓地は

綺麗な建物で

暑くも無く快適な温度に保たれ

整然と、納骨されていた

義妹のご両親も、ここに眠っている

 

「一人じゃないから寂しくないね」

母にそう告げた

 

四季折々の花を見れば

「母が好きだったお花だわ」と思い出し

スーパーに行き、食材を見れば

「母が好きだったいちぢくが並んでるわ」と思い出す

 

それがあたしの

母に対する供養だ

 

お墓という形もあるけど

あたし達は、これで良かった

 

母も、いろいろ、苦労したけど

晩年は、かわいい孫ふたりに

愛され、大事にされて

とても幸せだったと思う

 

お母さん、安らかに。

 

 

 

 

コメント (4)
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