ニコライはカリディンに「やはり何が言いたいのか分からないな…。何か特別な事情があるみたいだが…」
と言いました。
カリディンは言いました「博士、彼らの言葉をボイスレコーダーに収めましょう」と。
「うむ…録音を開始してくれ。」
それから一時間程、ニコライは、何かを訴えようとしているガントとレイカに、またスケッチブックとマジックを使いながらコミュニケーションを取りました。
ガントはレイカに「…どうやらこのおじさんは悪い人じゃなさそうだよ…」と言い。
「私もそう思う…」レイカもささやきました。
彼らの見立ては間違ってはいませんが、博士以外の人々はそうでもない事は現代人の皆さんはすでにご承知の事と思います。
ナーランダの国民性は、おしなべて温厚で、人を疑うことをあまり知りません。なにしろ二千年以上、世界の潮流を知らず、「井の中の蛙」なのですから。
ナーランダの最初の民族は古代ロシア人と同じく古代中国人合わせておよそ8千人ほどおりましたが、高山のカルデラに着く前に、その七割の人々が寒さと高山病のため、命を落としました。
ロシア民族と中国民族がほぼ時を同じくしてあのカルデラに逃げ来んだため、両部族はそこでまた争いを初めました。
混乱は数年にわたり続きました。戦を逃れ、新天地を求めたてやって来たこのカルデラでもまた戦となる…。
この状態に収拾をつけたのは、ごく自然に発生した「協調」でした。
疲れ切った両部族は夫を失い、子を失ってゆきます。
体も弱り、「飢え」が蔓延し、ただひたすら己の主張を通すため、力により相手を滅し、そしてまた味方の数も減ってゆく…。
彼らは生き残るために、ごく自然に「和平」と「協調」を持つようになりました。
この謎のカルデラ「ナーランダ」で生き残る為の自然な成り行き…それはやはり相手を認め、相手の優れた所を学び、また相手が知らない事を優しさを持って教えると言う事しかありませんでした。
結局、生き残るために、そして人間のせつない願いでもある「和平と安らぎ」の道を選ばざるを得なかったのです…。
そうしなければ力と知能に優れた若者たちは、ただその「才」を有益に使う事なく、無駄死にするだけでしたから…。
古代ロシア民族も古代中国民族も、時間はかかりましたが、とても自然に「協調」の道を選んだのです…。
その後、男性の王がしばらくナーランダを統治しましたが、国内が平和を取り戻す程、繊細で慈悲の心の強い「女性の能力」が必要になってきました。
平和なナーランダが始まってから何百年の後には「クーエンゾー」と呼ばれる女性統治者が国民から自然に求められてゆきました。
「平和で豊かな世界は女性が統括する」と言う常識がナーランダに生まれたのでした。
その独自の思想を持ち、二千年余りの歴史があるナーランダの中で育ったガントとレイカはすっかりニコライ博士を信じてしまいました。
ニコライはここで待つようにと、二人の姿をスケッチブックに描き、テントの地面を指差し、両手をゆっくり伸ばし、「長く、長く。」とジェスチャーしました。
そして博士は自分の左手にあるパーチをひたすら右手で指差し笑顔で頷きました。
レイカは「あの人、ここでしばらく待っていろって言ってるのよ。
パーチの事も考えてくれるかも知れない。」
と言いました。
ガントも「ああ…そうだね、少しここに居させてもらおう。ここの人達も良くしてくれるよ。羊の肉をあんなに食べさせてもらった事は始めてだったしね、羊のチーズも、うちのチーズとそっくりな味がするし、ナーランダの外の人達も、ナーランダのようにみんないい人なんだよ!」と。
少し微笑んでからレイカはまた不安な表情を浮かべましたが、持ち前の前向きな性格から「きっとそうね、みんないい人達なのよ。」と答えました。
テントを後にしたニコライ博士の心は踊るばかりでした。
博士は思いました「…あれは未知の民族に違いない。愉快にあんな言語は使えまい…。あの言語から察するに、おそらく彼等の起源は古代ロシア系民族と、古代中国系民族が融合した部族に違いない…。
しかし彼等のは何故衛星写真にも写っていないのだ…?。もはやこの地球上で見られない地域は無いはずなのだが…。」と。
それはナーランダの上空は北方からの冷たい風と、南方からの少し暖かい風が合流する地帯で、常に霧や雲が発生し、晴れる日も少ないため、衛星写真に写る事はまず無いからでした。
ニコライ博士は帰路に着く時、カリディンに「あのガイドに頼んで彼らをもう少しここに留めてはくれないか…?。礼ははずませておこう…。
私はモスクワの大学にもどり、このレコーダーの音声を同じ大学の民族言語に詳しい先生に聞かせるつもりだ。
それからくれぐれも報道機関には知られないようにするのだ…もし知られたらあの少年達はただ面白おかしく書き立てられ、彼らの住む集落もあばかれ、彼らの最後の「楽園」も報道陣によってさらされてしまう…。そして私以外のロシアの研究者やアメリカの科学者によって世界に知らされ、近代文明を教えられ、この世から消えてなくなってしまうだろう…。
現代の快楽と欲望にまみれた暮らしを彼らは決して知ってはならないのだ…。そんなものは我々だけで充分だ。」と言いました。
カリディンは「…分かりました…最後の楽園ですか…」と呟きました。
カラサイの村人には博士のポケットマネーが与えられ、ガントとレイカの為の小さなドーム形のテントが用意され、三度の食事が村人から供給されるようになりました。
ガントはレイカに「なんだかとっても楽しい気分だよ!、全てが上手く行ってるよ。
あのおじさんはきっとパーチにかわる植物を持って来てくれるに違いないよ。」
と言いましたが、レイカの表情には不安の色が伺えます。
レイカはポツンと「だといいんだけど…。」と呟きました。
モスクワに帰ったニコライはさっそく同じ大学の民族言語学の講師、ナスターシャ・ラベンスキーにボイスレコーダーの音声を聞かせました。
ナスターシャは「博士にもこの言語はロシア語と中国語が融合したものだって事は分かったでしょ?。」と言いました。
ナスターシャは38才、二年前にこの大学に赴任して来たシングルマザーでした。
「ああ。名詞は少し分かるが、接続詞や動詞はサッパリなんだよ、聞いた事もない発音なんだ。」
ナスターシャは「確かに興味深い言語だわ…。少し時間をちょうだい、一週間ぐらいでなんとか大筋は訳してみるわ。」と言いました。
ニコライはナスターシャにカリディンがフラッシュをたいて写したガントとレイカの写真を見せました。
写真のガントとレイカの表情はこわばっています「彼らなんだよ…」とニコライは言いました。
ナスターシャは「あら!かわいい男の子と女の子だこと…ちょっと緊張してる見たい。でもこの羊の皮の上着、これはどうやって加工したのかしら…?縫い合わせた後が全然見当たらないわ。そしてこの藁で出来てるような帽子…こんな雑な作りのものは天山山脈の部族には見られない…、博士が興味を持つのも当然ね。
私だって今少しドキドキし初めたわ。」
「ナスターシャ、この事は大学やその他の人達には内緒にしてくれ。私はただ彼らが何を求めて山脈を下ったのかそれが知りたいだけなのだ…何やら困っている様子で…、そのレコーダーには私に必死で何かを頼み込んでいる声が入っているとしか思えないのだ…、彼等の透き通った瞳を見ていると、学者としての自分よりも、人間ニコライ・プルジェリスキーとして何かしてやりたくなるのさ…。」
「…また臭い事をおっしゃりますこと。博士は大物の民族学者なのにこんな小さな大学で教鞭をとられている…まぁ、あなたの欲のない思想は多くの学生から慕われてはいるでしょうけど…、奥さんと娘さんのために、嫌な仕事でも生活の為には少しでもこなさないと…!。
来年お嬢さんは大学院に進学されるんでしょ?。」
「…いや、それが私の悪いくせだとは分かっているが、やはり今回出逢ったあの若者二人を見たら、どうにも気になってね…」
「だからってずっと家にも帰らず、学内で寝起きですか?。」
「いや…、」博士はバツが悪そうに微笑みました。
それから10日間、博士は朝から教鞭をとり、昼食の後はお気に入りのコーヒーを楽しみ、世界の不幸なニュースに心を痛め、講義が終わると所蔵の民族学の本や、言語学の本に没頭していました。
「ナスターシャの翻訳が遅いな。」と思っていた矢先、何枚かの原稿を持ったナスターシャが博士の研究室のドアを叩きました。
次回へ。
と言いました。
カリディンは言いました「博士、彼らの言葉をボイスレコーダーに収めましょう」と。
「うむ…録音を開始してくれ。」
それから一時間程、ニコライは、何かを訴えようとしているガントとレイカに、またスケッチブックとマジックを使いながらコミュニケーションを取りました。
ガントはレイカに「…どうやらこのおじさんは悪い人じゃなさそうだよ…」と言い。
「私もそう思う…」レイカもささやきました。
彼らの見立ては間違ってはいませんが、博士以外の人々はそうでもない事は現代人の皆さんはすでにご承知の事と思います。
ナーランダの国民性は、おしなべて温厚で、人を疑うことをあまり知りません。なにしろ二千年以上、世界の潮流を知らず、「井の中の蛙」なのですから。
ナーランダの最初の民族は古代ロシア人と同じく古代中国人合わせておよそ8千人ほどおりましたが、高山のカルデラに着く前に、その七割の人々が寒さと高山病のため、命を落としました。
ロシア民族と中国民族がほぼ時を同じくしてあのカルデラに逃げ来んだため、両部族はそこでまた争いを初めました。
混乱は数年にわたり続きました。戦を逃れ、新天地を求めたてやって来たこのカルデラでもまた戦となる…。
この状態に収拾をつけたのは、ごく自然に発生した「協調」でした。
疲れ切った両部族は夫を失い、子を失ってゆきます。
体も弱り、「飢え」が蔓延し、ただひたすら己の主張を通すため、力により相手を滅し、そしてまた味方の数も減ってゆく…。
彼らは生き残るために、ごく自然に「和平」と「協調」を持つようになりました。
この謎のカルデラ「ナーランダ」で生き残る為の自然な成り行き…それはやはり相手を認め、相手の優れた所を学び、また相手が知らない事を優しさを持って教えると言う事しかありませんでした。
結局、生き残るために、そして人間のせつない願いでもある「和平と安らぎ」の道を選ばざるを得なかったのです…。
そうしなければ力と知能に優れた若者たちは、ただその「才」を有益に使う事なく、無駄死にするだけでしたから…。
古代ロシア民族も古代中国民族も、時間はかかりましたが、とても自然に「協調」の道を選んだのです…。
その後、男性の王がしばらくナーランダを統治しましたが、国内が平和を取り戻す程、繊細で慈悲の心の強い「女性の能力」が必要になってきました。
平和なナーランダが始まってから何百年の後には「クーエンゾー」と呼ばれる女性統治者が国民から自然に求められてゆきました。
「平和で豊かな世界は女性が統括する」と言う常識がナーランダに生まれたのでした。
その独自の思想を持ち、二千年余りの歴史があるナーランダの中で育ったガントとレイカはすっかりニコライ博士を信じてしまいました。
ニコライはここで待つようにと、二人の姿をスケッチブックに描き、テントの地面を指差し、両手をゆっくり伸ばし、「長く、長く。」とジェスチャーしました。
そして博士は自分の左手にあるパーチをひたすら右手で指差し笑顔で頷きました。
レイカは「あの人、ここでしばらく待っていろって言ってるのよ。
パーチの事も考えてくれるかも知れない。」
と言いました。
ガントも「ああ…そうだね、少しここに居させてもらおう。ここの人達も良くしてくれるよ。羊の肉をあんなに食べさせてもらった事は始めてだったしね、羊のチーズも、うちのチーズとそっくりな味がするし、ナーランダの外の人達も、ナーランダのようにみんないい人なんだよ!」と。
少し微笑んでからレイカはまた不安な表情を浮かべましたが、持ち前の前向きな性格から「きっとそうね、みんないい人達なのよ。」と答えました。
テントを後にしたニコライ博士の心は踊るばかりでした。
博士は思いました「…あれは未知の民族に違いない。愉快にあんな言語は使えまい…。あの言語から察するに、おそらく彼等の起源は古代ロシア系民族と、古代中国系民族が融合した部族に違いない…。
しかし彼等のは何故衛星写真にも写っていないのだ…?。もはやこの地球上で見られない地域は無いはずなのだが…。」と。
それはナーランダの上空は北方からの冷たい風と、南方からの少し暖かい風が合流する地帯で、常に霧や雲が発生し、晴れる日も少ないため、衛星写真に写る事はまず無いからでした。
ニコライ博士は帰路に着く時、カリディンに「あのガイドに頼んで彼らをもう少しここに留めてはくれないか…?。礼ははずませておこう…。
私はモスクワの大学にもどり、このレコーダーの音声を同じ大学の民族言語に詳しい先生に聞かせるつもりだ。
それからくれぐれも報道機関には知られないようにするのだ…もし知られたらあの少年達はただ面白おかしく書き立てられ、彼らの住む集落もあばかれ、彼らの最後の「楽園」も報道陣によってさらされてしまう…。そして私以外のロシアの研究者やアメリカの科学者によって世界に知らされ、近代文明を教えられ、この世から消えてなくなってしまうだろう…。
現代の快楽と欲望にまみれた暮らしを彼らは決して知ってはならないのだ…。そんなものは我々だけで充分だ。」と言いました。
カリディンは「…分かりました…最後の楽園ですか…」と呟きました。
カラサイの村人には博士のポケットマネーが与えられ、ガントとレイカの為の小さなドーム形のテントが用意され、三度の食事が村人から供給されるようになりました。
ガントはレイカに「なんだかとっても楽しい気分だよ!、全てが上手く行ってるよ。
あのおじさんはきっとパーチにかわる植物を持って来てくれるに違いないよ。」
と言いましたが、レイカの表情には不安の色が伺えます。
レイカはポツンと「だといいんだけど…。」と呟きました。
モスクワに帰ったニコライはさっそく同じ大学の民族言語学の講師、ナスターシャ・ラベンスキーにボイスレコーダーの音声を聞かせました。
ナスターシャは「博士にもこの言語はロシア語と中国語が融合したものだって事は分かったでしょ?。」と言いました。
ナスターシャは38才、二年前にこの大学に赴任して来たシングルマザーでした。
「ああ。名詞は少し分かるが、接続詞や動詞はサッパリなんだよ、聞いた事もない発音なんだ。」
ナスターシャは「確かに興味深い言語だわ…。少し時間をちょうだい、一週間ぐらいでなんとか大筋は訳してみるわ。」と言いました。
ニコライはナスターシャにカリディンがフラッシュをたいて写したガントとレイカの写真を見せました。
写真のガントとレイカの表情はこわばっています「彼らなんだよ…」とニコライは言いました。
ナスターシャは「あら!かわいい男の子と女の子だこと…ちょっと緊張してる見たい。でもこの羊の皮の上着、これはどうやって加工したのかしら…?縫い合わせた後が全然見当たらないわ。そしてこの藁で出来てるような帽子…こんな雑な作りのものは天山山脈の部族には見られない…、博士が興味を持つのも当然ね。
私だって今少しドキドキし初めたわ。」
「ナスターシャ、この事は大学やその他の人達には内緒にしてくれ。私はただ彼らが何を求めて山脈を下ったのかそれが知りたいだけなのだ…何やら困っている様子で…、そのレコーダーには私に必死で何かを頼み込んでいる声が入っているとしか思えないのだ…、彼等の透き通った瞳を見ていると、学者としての自分よりも、人間ニコライ・プルジェリスキーとして何かしてやりたくなるのさ…。」
「…また臭い事をおっしゃりますこと。博士は大物の民族学者なのにこんな小さな大学で教鞭をとられている…まぁ、あなたの欲のない思想は多くの学生から慕われてはいるでしょうけど…、奥さんと娘さんのために、嫌な仕事でも生活の為には少しでもこなさないと…!。
来年お嬢さんは大学院に進学されるんでしょ?。」
「…いや、それが私の悪いくせだとは分かっているが、やはり今回出逢ったあの若者二人を見たら、どうにも気になってね…」
「だからってずっと家にも帰らず、学内で寝起きですか?。」
「いや…、」博士はバツが悪そうに微笑みました。
それから10日間、博士は朝から教鞭をとり、昼食の後はお気に入りのコーヒーを楽しみ、世界の不幸なニュースに心を痛め、講義が終わると所蔵の民族学の本や、言語学の本に没頭していました。
「ナスターシャの翻訳が遅いな。」と思っていた矢先、何枚かの原稿を持ったナスターシャが博士の研究室のドアを叩きました。
次回へ。