私は30年前、鈴鹿サーキットでレーシングエンジンの命ある音に感動し、それが夢、希望となった。最初はコツコツ、何とかチャンピオンに周りの人に助けられて、鈴鹿を走りだした頃、私は九谷の習い子、いつも夢を追いかけ「何とかならないか」で走る、子供の頃「何とかなるだろう」で何もならなかった。「何とかしなくては」で少しはよくなった。「昔通った道」、楽しみ、苦しみ、順をおってやってくる。もう慣れっ子。少しでも可能性があれば、続けたい。
古くから分業で焼き物が作られてきた。確かに一つ一つの工程難しい所ありますが、そこに盲点があります。 粘土のことも知らず、焼くことも、ましてや、ろくろで作るものと、鋳込み成型『石膏の型物に流して作る」のもの、大先生も問屋さん同じ扱い。売り手の都合ばかり、リーダ不在の茶碗祭り5レンジャー
お久ぶり、幼き頃父の工場で見た茶碗は青白磁だった。花坂陶石は微量に鉄分があり、環元焼成で青く、酸化焼成で黄色、私は生まれ育ち、目にしてきたことを作品につなげているようだ。今年も九谷茶碗祭りが始まる。茶碗祭り、お旅祭り、漆祭り、沢山の人がいったり来たりすれ違い、11時頃から同じ焼き物のたこ焼き、焼きソバに客を盗られる。「腹が空くと人は動く」たこ焼きには負けたくない。食べれないもの売って、まあ人の行動みているとたのしいわ