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箱根駅伝~名選手紹介④~

2024-12-11 18:05:23 | 日記
中村孝生
白状します。物心つく前の方なので、ほとんど存じ上げません(笑)。

日本の元陸上競技選手。群馬県出身。
群馬県立前橋工業高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。

これまで連続したWの流れから、一転?
いえ。地元のヒーロー?をご紹介します。

中学生の頃、友人から初めて聞いて知りました。
めちゃくちゃ走るの速かったと。

高2でインターハイチャンプなので、そら速いっすよね。

 1970年代から1980年代にかけて長距離種目で活躍した。モスクワオリンピック代表、アジア大会2冠などの実績を誇る。
 瀬古利彦らとしのぎを削った名ランナーである。1980年ヱスビー食品入社。モスクワオリンピック代表に選出されるも、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響で日本選手団は不参加を決定。不運に泣いた。
 ヱスビー食品陸上競技部競技部長を務めた。立正大学陸上競技部駅伝部門の初代監督を経てアドバイザーとなる。

1974年 インターハイ5000m優勝
1975年 インターハイ1500m・5000m優勝。2冠を達成
1977年 箱根駅伝3区区間賞
1978年 日本インカレ10000m優勝。
1978年 バンコクアジア大会800m・5000m優勝。2冠という快挙を成し遂げる
1980年 箱根駅伝4区区間賞

 インターハイ(2年生時)では800m・1500m優勝の瀬古をおさえ、5000mで優勝した。 大学入学後はオールラウンドプレーヤーぶりを発揮。
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【箱根駅伝】早大・花田監督がチームづくりに手応え「戦えるような状況が整ってきた」

2024-12-11 16:53:04 | 日記
【箱根駅伝】早大・花田監督がチームづくりに手応え「戦えるような状況が整ってきた」 

 来年1月2、3日に行われる第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出場する早稲田大の花田勝彦監督(53)は、選手層の厚さに手応えを感じている。

 今季は出雲駅伝で6位、全日本大学駅伝5位と表彰台には届かなかった。10日に都内で行われた箱根駅伝に向けた記者会見では「今季のチームの状況は非常に選手層は厚いと思っている。昨季のメンバーであればおそらく入れないくらい。今季のメンバーであれば16人目の選手でも、前回であればメンバーで走っていたかのようなチームをつくってきた」と明かした。

 五輪2大会出場の花田監督は母校の指揮官に就任して3季目。「エントリーメンバーに関しては非常に最後まで悩むような状況であった。過去2回はなかなか勝負できないような状況だったけど、今季は夏から箱根駅伝に向けてチームづくりをしてきた。戦えるチームをつくりたいと思ってやってきた。戦えるような状況が整ってきたかなと思っている」と自信を口にした。

 箱根駅伝の目標は3位以内を掲げ「本当にみなさん強い。そういう中でも実力でしっかり3位以内を勝ち取れるような走りができたらいいな」と気合十分。箱根路で早稲田の底力を見せつけることはできるか。
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箱根駅伝~名選手紹介③~

2024-12-11 14:40:46 | 日記
武井隆次
私が箱根駅伝、陸上競技にのめり込む一番のきっかけとなった人物と言って過言ではないです。

 日本の陸上競技選手。前エスビー食品陸上競技部監督。専門は長距離走。
 墨田区立鐘淵中学校、國學院久我山高等学校、早稲田大学人間科学部スポーツ学科卒業。

 1989年の高校3年時、高知インターハイで同学年のライバル柳倫明(市立船橋3年、のち明大)や中村博幸(大牟田3年、のち日大)らに競り勝ち、1500m(3分53秒35)・5000m(大会新14分13秒73)で優勝し、注目される。同年10月27日の浜松中日カーニバルでは、「高校生として初めて」5000mで14分台の壁を破る13分57秒90を記録する
 同年11月、全国高校駅伝都予選では、共にインターハイに出場した植井孝秀(3年、のち中大)、弟・武井康真(2年、のち中大)、翠尾崇(3年、のち東海大)らと共に東京高校記録を出し、例年のように全国優勝も射程に捉えていた。しかし、都大路では1区(10.0km)で区間賞(29分49秒)に輝きながらも本来の力を発揮出来ず、チームもメンバーの故障入れ替えもあり総合10位2°08:42に終わった。

 1990年、早稲田大学入学。同大学競走部では同期の花田勝彦、櫛部静二とともに早大三羽烏と呼ばれる。 第60回(1991年)日本インカレでは10000M(28分42秒94)と5000M(13分56秒03)の二冠。また、箱根駅伝では1年から3年連続区間新、4年連続区間賞と大活躍。3年時の第69回では渡辺康幸が入学し、早稲田大学は総合優勝を果たす。
  • 第67回箱根駅伝 (1991年)1区 21.4km 1:03:26 区間賞、区間新
  • 第68回箱根駅伝 (1992年)1区 21.4km 1:03:22 区間賞、区間新
  • 第69回箱根駅伝 (1993年)7区 21.3km 1:02:53 区間賞、区間新 ※ 2008年に東海大学の佐藤悠基に破られるまで長らく区間記録として残った。
  • 第70回箱根駅伝 (1994年)4区 20.9km 1:03:28 区間賞
 ちなみに、箱根駅伝での3年連続区間新を記録したのは6人のみ(のちに第81-83回の今井正人や第82-84回の佐藤悠基らがいる)。
 
 大学卒業後、エスビー食品に入社。長らく伸び悩んでいたが、2002年のびわ湖毎日マラソンを2時間8分35秒で優勝。釜山アジア大会代表に選出され、大会本番では銅メダル(3位)を獲得する活躍を見せた。
 しかし、オリンピック出場は果たせず、怪我の影響もあって引退した。引退後、ヱスビー食品に残りコーチをしていたが、瀬古利彦の異動に伴い、後継指名を受け監督に就任。2008年4月、早稲田実業学校コーチに就任した。

 お正月、それとなくテレビで箱根駅伝を観戦していた当時の私にとって、1区でいきなり1年生が区間新記録のロケットスタート。
 そのインパクトは凄まじいものがありました。この時から、「臙脂に白字でW」がマジで格好良い!となったのです。

 当然、駅伝に詳しいわけではなかったので、後々調べてみると、「高校生として初めて」5000mで14分台の壁を破った方なので、そら凄いですわね。

 このロケットスタート直後、櫛部さんの2区大ブレーキが起こります…。今であれば、間違いなく途中棄権でしょう。正月早々、とてつもないインパクトでした。

 渡辺康幸さんは常に強い、タフネスさがありました。留学生を除き、基本的には「負けない」。
 一方、武井さんは狙ったレースでは外さない強さがあったように感じています。
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東京国際大 11月逝去の横溝三郎監督に箱根駅伝力走届ける 中村勇太監督代行「監督の写真も一緒に」

2024-12-11 14:20:43 | 日記
東京国際大 11月逝去の横溝三郎監督に箱根駅伝力走届ける 中村勇太監督代行「監督の写真も一緒に」 

◇第101回東京箱根間往復大学駅伝エントリー発表会見&トークバトル

 東京国際大は、亡き指揮官に力走を誓った。
 予選会8位で2年ぶり本大会出場を見守った横溝三郎監督(享年84)が11月14日に肝臓がんで死去。トレーニング施設に横溝さんの写真を飾り、選手たちも練習前後に手を合わせている。
 中村勇太監督代行は「監督の写真も一緒に運営管理車に乗りたい。沿道から力を送っていただければ」と語り「良かったね、と言葉をかけていただけるような結果を目指したい」とシード権獲得を目指す。

 ご冥福をお祈り申し上げます。
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