以前、ドイツを旅行する機会があった。すべての旅程を終え、フランクフルト国際空港の日本航空搭乗ゲート前のベンチに座り、成田行きの便の搭乗ゲートが開くのを待っていると、近くの席に座っていた20代と思しき二人連れの女性客の会話が耳に飛び込んできた。「もう、日本に戻らなくちゃなんない。わたし、日本にいると人の目が気になって、いやでしょうがない。海外にいるときは気にしなくてすむんで楽なんだけど・・・」こう話した女性は夏のボーナスを使ってで友人とドイツ旅行を楽しんできた、少し神経質っぽい感じはするが、東京のオフィス街でよく見かけるごく普通のOLといったふうである。彼女の言葉は、われわれ日本人の多くが生活の中で感じている当たり前の空気のような居心地の悪さが、異国から日本に戻るときに、ふと、口に出てきたように聞こえた。このような日本人の居心地の悪さの底には何があるのだろうか。
日本人には視線恐怖症の傾向が強いといわれるが、なぜ、他者の視線が気になるのだろうか。先ほどの女性が「人の目が気になってしょうがない」と感じたことは、われわれが日常の人間関係で感じる「他者との違い」の感覚に関わることと思われる。われわれは和気あいあいとした居心地のよい「良い人間関係」を重視し、「一心同体」が人間関係の理想とする傾向が強い。もしも何かの拍子に、「みんなとは違う自分」という自己の存在に気づいてしまうと、他者からその違いを見られるのではないか、そしてその違いを他者から排除されるのではないかということが気になるのである。短期間滞在する旅行者として、フランクフルトやベルリンのような大都市を観光しているぶんには、街ゆく人々は多種多様な肌の色、髪の毛の色、体形で、ビジネススーツやカジュアルウェア、あるいは民族衣装などを身にまとっていて、「他者との違い」が当たり前に感じられる。そのような環境で彼女は、自分と「他者との違い」を意識する必要がなくなり、居心地が良いと感じていたが、いよいよ日本に帰る飛行機に乗る段になると、日本では否が応にも「他者との違い」をまた意識せざるを得ないと憂鬱になって、友人に嘆息混じりにこぼしたのだろう。
この「他者との違い」についての感覚は、決して彼女固有の感覚ではなく、日本人一般に共通する感覚であり、日本人を特徴づける大きな要因になっているのではないだろうか。