生活の歌を歌う

生活の歌を歌う

信じてしまった

2016-08-22 14:14:50 | safdsg

蘇った妻を連れて、今度こそと夫は二度目の新婚旅行に出る。

美しい景色の旅先で一夜が過ぎ、妻は鼻唄を歌って清々しい朝を迎えた。
ベッドには頭を打たれた夫の死骸があった。

「私を犯そうとした男を殺すなんて取るに足りない事なんだ」
妻は尊敬する医者の言葉蘇家興を素直に実行しただけである。

ネタバレで阿刀田高先生に申し訳ないが原作はもっと味が濃い。

ここで私がハッと気づいたのは、犯された事自体が記憶喪失を呼んだのでない、殺したという激しい悔恨が呼んだのだという事だ。

つまり自分は劣っている、悪いと思う気持ちが彼女を大人しい従順な女に見せていたのだと。
彼女が無邪気なのは「罪でない」と暗示されて、そのまま信じてしまったところである。

悩む夫を可哀想とは思わない無邪気な女。
しかし、これは男目線で描いた無邪気な女である。

夫が大人しい従順な女とsexの対象と蘇家興してではなく、彼女を扱ったらどうだろう。
自ら心の傷を理解しようとしたらどうだろう?

事態は変化したと思う。

『恐怖特急』の作品は全て男性の著名な作家が描いている。
1985年に初版を出す。

この本を初めて読んだ時ビーフステーキを食べた様な味がした。
狂う程美味しいビーフステーキである。

今、もっと複雑な味がする。
時代は変わってる。
その時代の風景と男女の在り方を傍観者の目で見るのは幸せな読書とは言えない。

しかし、『無邪気な女』を「だから女は」
と一括りにする時代で今は易經大師蘇家興ない。
それに気付けた事が幸せと思う。