43歳・既婚・子宮体がんブログ

子宮摘出手術決定。

ストレスと悪夢

2021-02-28 19:16:03 | 日記


私がストレスに弱い人間であることは、散々語ってきたので省略する。

昨夜は悪夢を見た。
消灯時間である9時〜1時までは比較的ぐっすり眠っていたのだが、一旦導尿作業に起こされ、次に眠った時、嫌な夢を見た。
詳細は省くが、とにかく目の前から主人が忽然と消える夢。
どれほど声を張り上げても、主人の姿は見当たらない。
大昔に住んでた家での出来事で、懐かしさなんてどうでもよくて、一生懸命駆けずり回り探していた。

まるで闇だった。


どうしようもない絶望を感じた時、ようやく目は覚める。

寝汗というよりは水を被せたような状態の私。
ただの夢だったことに安堵し、声を押し殺し泣き始めた。

入院してからこっち、寝汗はほぼ毎日かいている。
普段はちっともかかないくせに。
恐らくはストレス。
いつまで経っても神経が昂ぶっているせいだ。

その後もなかなか眠れず、ようやくウトウトし始めた時、時計の針は五時を指していた。
以前よりマシだと思うが、身体の疲れはそう簡単には抜けない。
ただ回復を焦ってもろくなことにはならない為、いまはじっくり、ここに居るほかないのだ。

そして現時点の一番のストレスは、「排尿障害」にある。
膀胱近くの神経をカットしてるため、どうしても普通の尿意感覚が戻ってこない。

朝昼晩、夜中。
膀胱に溜まっている尿を取り出し計測。
自尿と膀胱に残る量を見てお医者様が退院を判断するらしい。

「時間はかかりますよ」

と最初に教えてくれていたが、本当にかかりそうで怖い。
こればかりはどうしたら良くなるといった解決方法がないため、不安が募るのだ。

コントロール出来ない尿意。
本日、若き先生が「必ず治りますよ」と仰ってくれたので頑張れる。

術後10日が経つが、退院の目処は未だ見えない。

 


不眠、そして耳鳴り

2021-02-27 01:44:47 | 日記


血糖コントロール入院のときから睡眠は浅く、しかしながら毎回寝汗をどっぷりかいていて、まるで熟睡出来ているかのような錯覚に陥っていた。
実際には短時間の睡眠を何度か繰り返していただけなのだが、今回も前回同様。
数十分の眠り×五回………といった、ちっとも休まらない状態が続く。

一般病棟に戻ってから数日はこんな感じで、日中は常に頭が痛む。
立ち上がると目眩によるふらつき、こめかみの痛さ、光に対する過剰反応。
まさしくボロボロだった。

それに追い打ちをかけたのが耳鳴りだ。
看護師さんの声がまともに聞こえなくなるほど、ボワンボワンとした音が右耳に入り込んでくる。
遥か遠くから話しかけられているように感じ、何度も聞き返す。
これは相当なストレスだった。

辛さを看護師さんに訴えると、主治医先生が即耳鼻科の予約を取り付けてくれた。ありがたい。

後は首から背中にかけての痛み。
特に背骨右側付近が痛くて痛くて、何度寝返りをうったことか。
もちろん湿布を頂き、看護師さんに貼っでもらうが、効果はさほどでも。
ペットボトルをベッドの上に置き、その上で背中をゴロゴロさせたほうが数倍気持ちよかった。

とまあ満身創痍の身体を引っさげ、耳鼻科へと車椅子で向かう。
もちろん看護師さん付添いのもとなのだが、目眩を持つ患者に車椅子は地獄だ。
すごーく気持ち悪くなってしまった。

それでも何とか検査を終え、先生の判断から薬を処方していただく。
てっきり耳鳴りと起立性頭痛(目眩)は耳鼻科担当だと思っていたが、起立性頭痛については内科の問題らしい。
やれやれ。

しかし耳鼻科の薬は驚くほどよく効いた。
三日ほど経てば、耳鳴りもそこまで苦痛ではなくなった。
ただ頭痛は変わらずあったため、ロキソニンを処方してもらう。

薬を服用しながらのゆっくりとした回復。
体力と精神力に自信がない私だが、こうして手術してから無事8日を迎えることが出来たのも、先生はじめ看護師さんたちのケアがあったからこそ。
とても、有り難いと感じます。


ちなみに個室が空いたのは一昨日なんですが、もう今更なので断りました。(笑)
同室の方たちと打ち解けたから、という嬉しい理由もあります。


一般病棟へ

2021-02-26 08:27:28 | 日記


看護師さんから「恐らく明日には一般病棟に移れると思いますよ〜」と嬉しい知らせを受けた時、私は心底胸を撫で下ろした。
これで主人があの大荷物を持ってきてくれたら、外界との連絡手段【スマホ】を手に入れることが出来るのだ。
※後々知ったが、そこまで厳しい決まりではなかったらしい。同室の人は看護師さんによるよー!私スマホ、触ってたもん。と教えてくれた(涙)

集中治療室最後の日。
朝は重湯を食べ、ベッドの側で立つ練習をした。(ご飯は半分残した)
もちろんフラフラの身体で、だ。
意地でも立ってやるという気持ちで脚を踏ん張った。
しかしながら頭が安定しない。
腰から下が自分のものではないように重く、それでもベッドに座り込んだりはしなかった。
まるでこのミッションこそが一般病棟行きのチケットであるかのように。

体力の限界が来たとき、どさっとベッドに横たわり、またしても時が経つのを待つ。
確か午後、それもしばらく経ってから、一般病棟の看護師さんたちがベッドを持ってやってきてくれた。
首を長くして待っていた私の目は、涙で滲んでいたことだろう。
それほど嬉しかった。

同じ階だしゆっくり歩いていくかと思いきや、どうやらベッドに寝たまま運ばれるらしい。
今から考えれば無謀過ぎる妄想だ。
腹からは3本の管。
尿管にも管。
手には点滴が刺さっていて、術後間もない体力最底辺の患者にはハードルが高すぎる試練だったのだ。

病棟に戻ってきた私は、あれ、個室空いてなかったのか、と少々ガックリする。
主人からも個室プリーズの意思は伝えてもらっていたし、それもまた空き次第ということで話は一段落しているようだ。
窓際のブースは冬場、時として冷気が忍び込んで来る為、一概に良いとも言えなかったりする。
まあこの時は動くこともままならなかったから、どこに居ても同じだろうが。
ただやはり、自動可動ベッドが欲しかった。
あれを手に入れるために個室を希望していたというのに。

長時間の手術で頭と背中は重く、とにかく自分で自分を動かすことが困難。
脚は血栓防止のため、一生懸命先っぽを動かす。
下腹から出た管は入れ物に繋がっていて、手術後の体液を外に排出しているので自分の体の一部だと思って慎重に取り扱ってくださいと言われた。
いきなりの難関ではないか。
狭いベッドスペースに最重要課題である怪しげな容器があるだけでも、ストレスマックスだ。

そしてようやく大切な荷物とスマホが届く。
主人には手間をかけさせて申し訳ない気持ちでいっぱいだが、とにかくこれでお互いの気配を感じることが出来るぞ!
主人はもちろんのこと、友人やSNS民たちのメッセージがすごかった。
目頭が熱くなって当然である。

時を取り戻すかのようにLINEをしていたが、実際目が光を拒否するかのようで、どんどん疲弊は膨らんでいった。
You Tubeなんてとんでもない。
疲れて寝て、また触ってみるものの疲れる。
二日間、集中治療室にいたのだから当然かも知れないが、とにかく私はとことん疲れていた。 

そしてこの夜から始まる不眠。
それがまさかの弊害をもたらすとは。

入院生活はまだまだ続く。

 


集中治療室

2021-02-24 18:05:51 | 日記

発熱している、と感じたことはなかった。
しかしながら定期的に測定される体温は39度近くあり、自分が恐ろしく熱を出しているとわかる。 
寝て、起こされて、また寝て。
丸い無機質な時計が一周したかと思っていたが、実際はたった3時間ほどしか経過しておらず軽く凹む。

時間よ、進め!

 

看護師さんはわりと足繁く通ってくれた。
耳に届くのは血栓防止マッサージ機の音と、頭元で聞こえる電子音だけ。
隣の部屋に老人(男性)が寝ていることは看護師さんとの会話でわかった。

集中治療室にはもちろんスマホなど持ち込めない。
実際、手術前の意思疎通が出来てなかったせいで、主人は恐ろしく大きな私の荷物を一旦全部持ち帰る羽目になっていた。
その中に大事なスマホもある。

このシステムについては、病院にヒトコト物申したい。
集中治療室に入る予定の患者には最小限の荷物だけをもってくることと伝え、その後一般病棟に移ってから、家族が送り届ければいい。
二度手間、三度手間はいかんともしがたい。
切れそうな主人の顔が目に浮かんだ。

これについては婦長の名札をしたキレッキレの看護師さんが後々謝罪にこられた為、私としては溜飲を下げるしか無い。
しかし当日の主人の不機嫌さは押して図るべし。
聞いた時、少し笑った。

だいたい手術の結果についても不安で仕方のない家族なのだから、少しでも精神的、肉体的負担を軽くすべきではないのか?と思う。

術日前日と当日二泊三日、万が一何かあったときのため、彼には近くのホテルに宿泊してもらっていた。
雪の中、タクシーでの行き来。
大変だったろうな。

私は意識が戻ってから、どうにかして主人と連絡を取りたいと思ったが、叶うことはなく、執刀医YDr.から電話で手術について説明がなされていることを聞いたのはしばらく経ってからだ。

8時間半の大手術。
内容については後ほど教えてもらったから、その時の私は自分の体がどうなっているのか全くわかっておらず、主人が不安がっていないかどうかだけが心配で仕方なかった。

何にせよ、時が経つのは遅い。
遅すぎる。
口には酸素マスクが装着されていて、渇くことはなかったが、ぼやっとする頭のまま時計とカレンダーを交互ににらめっこする事は五分で飽きた。

寝て、起きて、また寝て。
徐々に熱が下がっていく。
血糖値も計られていて、後から計測したのを見て、んぎゃ!ってなるくらいそれらは高かった。
ま、術後はそんなもんらしい。
ベッドはなかなか柔らかく、もちろんモーターで上げ下げ出来るタイプ。
今の一般病棟はまさかの手動なため、本当にあれは有難かったなぁと感じた。
やはりそこは市民病院。予算下りないのかな?是非とも投書しておこう。

 

不思議とお腹は空かなかった。
そして次第に自分が今何月何日に生きているか不安になってきた。
熱が出て、頭おかしくなってるんじゃないか?

そこで口ずさんだのが、いろはにほへとちりぬるを(略)だ。
何回も何回も口にして、頭が生きていることを確かめる。
手足の指も動かし、麻痺などないことを確認する。
この頃になると、手術がうまくいったことは先生から聞いていた。

思っていたよりガンが浸潤しておらず、必要以上のリンパ節を取り除かなくてよかったことも教えてもらった。

だからこその8時間半。

出血もそこまでひどくなかった。

 

主治医と患者。
私のような手術初心者にとっては、彼しか頼る人がいない。
親を待つ雛のように全神経を集中させる。
もちろん私だけが彼の患者ではないのだから、過度な期待は出来ないが。

それでも情報の欠片すら漏らすまいと必死だ。

 

集中治療室でまる二日間暮らして思ったこと。
二度と手術はごめんだってことだけ。

でもその愛想も何もない空間で、主人や友人たち、他界した父、愛猫への感謝を何度口にしたことか。
何度涙したことか。

だから決して無駄な時間ではなかった。
身体の回復も含めて。 

あそこは必要な場所、そして時だったのだ。

 


手術当日

2021-02-23 21:47:01 | 日記

朝、栄養補助食品のようなドリンクを二本飲み、それが意外とおいしかったことに胸を撫で下ろした。

午前七時までの大事な朝食。

 

今日は私にとって大切な一日である。
検温や血圧測定、諸々の流れの中に、シャワー後の剃毛があり、可愛い看護師さんに呼び出された私はさくっと全部剃られた。←うっすら残っていると思うがまさか全剃りとは思わない
手術中は色々管も通すわけだし、別に恥ずかしいわけではないが、可能であるのなら自分でやりたい作業だ。

その後、病室でかの有名な血栓防止ソックスを履き、スタンバイ完了。
いよいよ逃げも隠れもできない。
時間になるとご丁寧に看護師さんが1人付き添ってくれ、手術室まで案内されるらしい。

確か9時15分。
先生曰く、大手術なので、予定通りコトを進めなくてはならないのだろう。
珍しいくらい、まったくの時間通りだった。
可愛い看護師さんが呼びに来る。

「○○さーん、そろそろ行きましょうか。」
「イヤです。」

なんて我儘な大人にはなれない為、「はい」と小さな声で付き従った。

現実味はなく、どこなくフワフワした感じ。私は今から腹を割かれるんだよー!って言えば言うほどメルヘンだとおもう。

 


病棟と同じ階にそこはあった。
何度か名前を確認され、重そうなくせに足先一つで軽く開くドアを抜ける。
廊下は広く、手術室は何部屋もあるみたいだが私が行くのはもちろんたった一つだけだ。
入ると麻酔科のスタッフさんたちが忙しそうに準備していた。

「宜しくお願いします」

此処に居る人、全員に挨拶したかったが、やはり流れ作業のように手術台に横たわらされ、私は銀色に光るまるで大きな厨房のような部屋を見渡した。
そしてそのままの感想を伝えた。

「それは初めて聞いたわぁ。」

目の前の美人さんが笑いながらおっしゃる。
そして左手には点滴?を繋ぐため、若き研修医のお嬢さんが指示の下、血管を探していた。
酸素測定器やら何やらかんやら。
私に出来ることは「血管見えづらくてゴメンナサイ」と謝ることだけ。
あとは下らない話を口にしたり、全身麻酔したスタッフさんの話を聞いたりして、どんどん準備は整っていった。
過去に「デートの途中で目がさめた男子高校生」がいたらしく、それはさぞや気の毒だと盛り上がる。
皆明るく、私の不安を吹き飛ばすような人たちばかりだった。

しかし麻酔はここからが本番。
というか私の場合、大苦戦した。

硬膜外麻酔………ググって頂けたら分かると思うが、これがあるのとないのとで術後の痛みが天と地ほど変わってくる。
下半身を大きく開く私にとって、これは当然ながら必須項目であった。
しかし残念なことに、肉厚な背中(もしかしたら全身で一番厚いのか?)が邪魔をして背骨が確認しにくい。
きっとベテランであろうお姉さん医師も「んー?あれぇ?」と言った感じで戸惑っている。
ちなみに一番最初、痛み止めの注射をするのだが、我慢できないほどの痛みではない。
手術ハイになっていたからかも。
今思い起こせば、外来でされたらブチ切れるタイプの痛さだ。

その後、あるべき場所に細い管を通すわけだが、そのあるべき場所を探すため、お医者様は苦戦されているのだ。
ヘソを見るよう指示されて十分。
私が入院する前、外来診察を受けた一番えらい先生が彼女に電話で呼び出された。
※実は個人的にこの先生が好きです。
雰囲気がアメリカ映画にでてくる味のあるおじさんって感じで親しみがもてる。

背中の肉を押しながら、それでも何回か失敗し、エコー越しにチェックしたり、めちゃくちゃ時間かかってたのは、全て肉厚な背中のせいです、はい。
何度か押されるような感覚………というか、衝撃が走ります。

ここでいたっ!!ってなったら失敗。
衝撃を痛みと捉えるかどうかは人次第。
まあ、普通に痛いわな。

トータル三十分の死闘の末、「よし入った!」と安心できる声が聞こえてきた。
もうここで拍手喝采でしょ、普通なら。
しかし皆さん、そんな時間すら惜しいらしい。

「さ、麻酔かけますよー!」

私にとって最大の恐怖、【全身麻酔】をそんな簡単に「コンビニいきますよー!」的なな感覚で告げないでほしい。

もっと溜めて溜めて!

あまりにも普通に準備万端。

後はまな板の上の鯉になるだけ。

「いい夢みれるといいね」
誰かがそう言って見送ってくれた。

 

 

そう…………
いい夢…………

後から聞いた話、およそ10秒でぐっすり夢の中だったらしい。
落ちる瞬間、首と胸の辺りがほわっと温かくなったことだけ、覚えている。

夢についてはあまり記憶にない。

果たして外国だったかな?
灰色の路地と雨。
特に楽しい夢ではなかった。

私の感覚時間にして15分。
しかし現実は8時間半。

ほんとすごいよ、麻酔って。
医療ってすごい。

「○○さーーん、終わられましたよ!」
「…………ありがとう……ございます」

執刀医である主治医先生のお顔があったような気がして、私は安心してまた眠りについた。
集中治療室に運ばれた後、寝たり起きたりの繰り返しでほぼ二日間を此処で過ごす。

正直スマホの使えない、無の二日間は、ひたすらきつかった。

 

続く