ビンチの詩集

老人と地元をこよなく愛する者のつぶやき

活きろ そして軽やかに手放せ

2014年05月27日 | 仲間
 今日は、教授と二回目のお試しピラティスへ行ってきた。
 ここ何年も体幹を鍛えたことないから^^; すでに筋肉痛!
 やっぱりやるなら私は武道がいいかなぁ^^
 で、今日はこんな詩です。

 追記:ライオン様へ。
 出来ることなら君の友に伝えて欲しいm(__)m

 

 枯れることなく
 泣き濡れて 泣き濡れた あの梅雨
 遭難しかけた私に 君が
 発信し続けた「活きろ」の言葉
 その中に 君の友の詩もありました
 それは今も 私の胸の真ん中にある

 人生に時雨なき人は 地固まらず
 悲しくも 時は止まらない
 人は年を重ねるたびに 
 大切なものさえ変えてゆく
 されど積み重ねた思い出は
 過去に負けない未来をつくる為の糧

 すべてを信じ合える景色が広がる時は
 必ずやってくると 君の友が教えてくれた
 道標も はじめから そこにある 
 だから私は この先も 
 活きて欲しい 君の友に
 君がくれたピーターブルックの
 カッコイイ一言を送り返したい

「死守せよ されど 軽やかに手放せ」

日本語

2014年05月26日 | 社会
 一昨日の土曜日も引き続き正五九参りということで、
 私は人生初の成田山新勝寺へお詣りに行きました。
 亡き母が板橋の成田講の役員をしていて、
 両親は毎年護摩祈願へ行っていました。
 しかし、私は子供の頃も一度も同行したことはなかった。
 きっと兄たちも行ったことないと思います。たぶん?
 母が亡くなった時、成田山新勝寺からとても丁寧な
 香典が送られてきました。いつかお礼に行かないといけないと
 思いつつも4年が過ぎてしまった。
 母亡き後も講元から声をかけて頂いていましたが、
 タイミングも行く気も起きませんでした。でも、今年はなぜか!?
 どうしてもお礼詣りをしたく講詣りに参加しました。
 自分の護摩祈祷とは別に新勝寺へ心ばかりのお礼を致しました。
 護摩祈願後、新勝寺ならでは精進料理を頂きました。
 その中に現在は、成田山以外はほとんど市場に流通していない
 特大の「大浦ゴボウ」がありました。味はかなり甘く
 しっかりと味付けがされ「佃煮」のような感じでした。
 千葉県匝瑳市大浦地区限定の大浦ゴボウは、
 知られざる究極の伝統野菜の一つです。
 それを食せて非常に嬉し限りでした。ちなみに新勝寺は、
 このゴボウを大釜で一日中煮たあと、約3時間油で揚げ、
 その後砂糖、醤油、みりん、酒などで味付けするようです。
 お礼とお詣りが済んで、とてもスッキリした気分と
 ホッとした気持ちになりました。心から手を合わせることの大切さ、
 そして、それが出来る日本は、なんと厳かで尊い精神がある国
 なんだと改めて思う1日でした。
 で、今日はこんな詩です。

 

 今だからこそ
 私たちは 美しい日本語を
 忘れてはいけない
 美しい日本語の中に
 日本の精神があり 
 大和魂があるのだから

 美しい日本語は
 かしこまった言葉の中に
 ある訳ではない
 庶民が使う
 練れた言葉の中にこそ
 真髄があるのです

日本の姿

2014年05月20日 | 政治
 今日は、これから渋谷へ行ってきます。
 心友に祈願札渡しとちょろっと酒など、
 たしなむ程度に愉しんできます。f^^

 それと一変して…追記。
 なんだか大層な騒がしさになっているな。
 大きなライオン様の心は大丈夫か?
 ウチでいいなら、いつでも来い!
 私が出向けたらいいのだが、行ったところで
 酒を酌み交わすことしかできないから止めておく。
 こんなとき、まるみのお母さんがいたら
 叱咤激励と旨い鮨を食わしてくれただろうな。
 で、今日はこんな詩です。

 

 富士山の姿は 遠くから見るから
 美しい全容が見える
 富士の裾野にいては
 美しい姿を見ることはできない
 一生 裾野に住んでいたら 
 一生 美しい富士山を見ないで終る

 おわかりですか
 富士山を間近で見たり
 俯瞰して見るものではない

 いま 永田町では
 日本の本当の姿を見ていない

羽ばたく時

2014年05月19日 | 若者
 昨日は、正五九参りという事で寒川神社へ行ってきました。
 寒川様にいろいろと相談・ご報告をさせて頂きました。
 全くもって偶然に、雅楽も聴け、
 巫女の神楽「剣の舞」も観れました。ラッキーでした。
 もうすでにご利益ありましたf^^
 で、今日はこんな詩です。
 
 

 さよならに怯え トラウマに捕われ
 生きてゆくのは もうやめよう
 心のままに 自分を越えてゆきなさい

 傷つく言葉に 負けないで
 未来の輝きを信じて
 踏み出すなら 今の苦しみは
 高き誇りに変わる日が必ずくるわ

 生きる中で 喜びはなんて一瞬よ
 この世の時間なんて 束の間なの
 それでも 生きてこその世界に
 私たちは 生かされている
 無駄な時間は 一つもないの
 命こそ かけがえのない贈り物よ

 あなたは 自分の大空に
 好きなことを 描けばいい
 あなたは 自分の舞台で
 好きなように 踊ればいい
 さあ あなたらしく羽ばたきなさい

家族と云えども

2014年05月17日 | 家族
 今日の前置きも長いですよ~。あしからずf^^
 昨日とある事があり、亡き両親と兄の写真を整理していたら
 ノスタルジックに陥ってしまった!
 いつも笑っていた母なのに、どの写真も笑顔がなかった。
 逆に日頃は、仏頂面の父が写真の中では笑顔が多かった。
 そして、物静かな兄の写真は、はしゃいだり、
 格好つけてみたりと私の知らない兄の姿があった。
 私は何を見てきたのだろう。写真は、すべてではないけど
 その一瞬の時を語っている気がしました。
 家族だからこそ、尚更わからないこともたくさんある。
 亡き両親や兄の真意を垣間見れたひと時でした。
 大正時代に恵まれた生活をしていたお嬢様の母は、
 父と結婚して本当に苦労しっぱなしだったのかもしれない。
 我が子には、凛とした母の姿と笑顔を見せ、
 微塵たりとも心の苦を出さなかった人。
 父の方は、5才という幼少に親が病死。
 大きなお屋敷に住んでいたのに親の死後、
 親戚に乗っ取られてしまった。
 結局、歳の離れた兄弟の家を転々として育てられた。
 そんな父が念願だった母と結婚した。
 きっと人生を心から楽しめたのだろう。
 本当に幸せだった気がする。なぜ念願だと言うと…
 父は母より2才年上ですが尋常小学校の同級生。
 その頃から父は母に一目惚れ。
 母が女学校へ通う姿も物陰で見ていたそうです。
 その後、母が大学を卒業し2年だけ銀行へ勤め、
 周囲が結婚を考えはじめたとき、人を通じて
 お見合いを持ちかけたのが父でした。
 母の母に気に入られる父の作戦が功を奏して結婚へ。
 そのとき母は、結婚を誓った好きな人がいました。
 しかし、その人を諦め仕方なく父と結婚した。
 むかしは、親の意見がすべてでしたからね。
 いま思えば、父は相当なストーカーです(^^;)))
 (これは↑本人から聞いた本当の話し)
 それでも、晩年の父と母の写真は、もちろん父は
 満遍の笑顔ですが、母も和やかな顔のツーショットが多かった。
 なんだかんだ言っても、むつまじい素敵な夫婦だったと思います。
 みなさんも、もし、丸一日空いている時間があるとき
 写真の整理をして見てはいかがでしょうか。
 隠れていた真実が読み取れるかもしれません。f^^
 で、今日はこんな詩です。

 

 家族だからの理由で
 考えが通じてると信じるのは
 大きな間違い
 思いを押し付けるれば
 悩み 苦しみの元となる

 家族と云えども 一人ひとり心は違う
 でも ひとつだけ
 変えられるものが あるとしたら
 それは 自分の心

 家族と云えども 心を察し合うとき 
 優しい言葉と思いやりが生まれる
 自らの心を変えたとき
 辛さは浄化され 静かに幸せが訪れる

 争いを遠ざけたなら 自分の心を 
 変えてみることからはじめよう