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くつろぐぶろぐ~For Rest in Forest~

森の暮らし・森プルライフ・森羅万象感じるままに

2008NHK大河 「篤姫」

2008-12-31 | 本と音楽・映画・TV


2008年NHKの大河ドラマ「篤姫」は好評のうちに終った。

これまで幕末・維新ものは視聴率が取れず、その上あまり知られていない

篤姫では一年のロングランを不安視する向きもあったようだ。

しかしながら平均視聴率は24%と久し振りに高視聴率をマークした。

篤姫ブームを巻き起こした人気の秘密は何処にあるのだろう。

毎週欠かさず観た私なりの評価すべき点を挙げてみた。



第一に、
この時代の表舞台では日本の歴史に残る大きな事件が相次いで起こっている。

1853ペリーの来航、1854和親条約の締結、1858井伊直弼による安政の大獄、

1860桜田門外の変、1861公武合体、1863薩英戦争、1864~66長州征伐、

1866薩長同盟、1867大政奉還と王政復古(江戸幕府の滅亡)、1868戊辰戦争、

1869版籍奉還、1871廃藩置県とまさに激動の時代だ。

人物も、島津斉彬、井伊直弼、西郷隆盛、大久保利通、坂本竜馬、

徳川慶喜、岩倉具視ら枚挙に暇がないほどである。

かつてNHKの大河ドラマで主役を演じた名前も多い。

ドラマではそうした時代背景や事件を描くのではなく、

時代の流れに巻き込まれる人たちの苦渋や、否応なく変化する日常の生活を

描いた。



第二に、
主役級に演技力の確かな若手、宮崎あおい、瑛太、松田翔太、堀北真希を

起用したこと。

脇を固める重厚な役者陣も見逃せない。

島津斉彬の高橋英樹、老女幾島の松坂慶子、母お幸に樋口可南子、

13代将軍家定に堺雅人、家定の生母本寿院に高畑淳子、老中阿部に草刈正雄、

井伊直弼に中村梅雀、和宮付典侍に中村メイコ、勝海舟に北大路欣也と、   

豪華な布陣は見る者に信頼と安心感を与えた。

中でも、西郷隆盛の小澤征悦、大久保利通の原田泰造は期待どおりだったし、

大奥御年寄滝山を演じた稲森いずみは秀逸だった。



第三に、
脚本家の田淵久美子は、宮尾登美子の原作には登場しない肝付尚五郎

(後の島津家家老小松帯刀・瑛太)が、篤姫(於一)に恋心を抱き続ける

設定にし、小道具としてお互いが持つお守りと、対局する囲碁が効果的に

使われた点だ。

在り得ない話を在りそうな話に一変させ、恋というテーマを最後まで

持続させた手腕はさすがだ。



第四に、
女性としての於一・篤姫・天樟院が同じ女性の幾島、本寿院、滝山、

和宮と相対し、接して行く過程の描き方がおもしろい。

例えば江戸に向かう船の中で、篤姫が「幾島、私はそちがきらいじゃ」

すると幾島が「存じておりまする」と応える。

二人がお互いの心の絆を深めるシーンだ。

本寿院は嫁としての篤姫に辛くあたるが、いつしかすっかり頼りにしてしまう。

宮家から嫁いだ和宮とは軋轢も多かったが、一本筋が通った一途な天樟院を、

和宮は「母上さま」と呼ぶようになり、多くのことを学んだと尊敬の念を抱く。

大奥1000人の奥女中を束ねる滝山は、将軍家定の跡目をめぐって天樟院と対立

するが、やがてその魅力に引き寄せられ天樟院のために尽力する。

大奥が滅びることになって苦悩する天樟院に滝山は、

「天樟院さまがいたからこそ大奥は混乱もなく無血開城できたのです。

自らの運命を知った大奥が天樟院さまをここへ呼び寄せたに違いありません」

滝山のこの言葉で、大奥を閉じる役割こそ自分に与えられた天命だと、

天樟院は悟る。



第五に、
このドラマは現代に通ずる激動の時代を女性の立場でいかに

乗り越えるかというテーマが底流にある。

男社会ではなく、家庭を守る一家の母として、家族をいかに守るか、

襲い掛かる荒波にどう対処するか、逆境の中で賢く、力強く生きていく、

何より家族を大切にする母の愛がテーマなのだ。


「篤姫」は、負ける側の究極のホームドラマを描いたと言えよう。


於一が島津家の分家・今和泉島津家から島津本家の養女に決まった時、

乳母の菊本(佐々木すみ江)は「女の道は一本道にございます。さだめに背き、

引き返すは恥にございますよ」という言葉を贈る。

これこそ篤姫の生き方そのものになった。

徳川家を憂い、大奥の千人の家族を守るためにとった天樟院の行動は、

江戸城を無傷で遺し、江戸を戦乱から護りぬいたのだった。



以上、私なりに考察した好評の要因を列挙してみた。

他にも大奥の女たちが着たおびただしい衣装の着せ替えも女性には興味の的だったらしい。

しかし宮崎あおいこそ大河ドラマ「篤姫」を大ヒットに導いた最大の立役者に違いない。

       文中 天樟院の樟は 正しくは 王へんに章
          宮崎あおいの 崎は大のところが立です

ジョン・レノンを偲んで

2006-12-08 | 本と音楽・映画・TV
  

1980年の12月8日、ジョン・レノンが凶弾に倒れ、亡くなった。
きょうはジョン・レノンの命日だ。

ビートルズ解散後にジョンが作ったスローバラード「LOVE」は、私の
大好きな曲のひとつだ。

今日は世界中で、ジョン・レノンを偲び、彼の音楽が流れたに違いない。

   “LOVE”           (訳詞)

Love is real Real is love     愛は現実 現実こそ愛

Love is feeling Feeling love   愛は感じること 感覚こそ愛

Love is wanting to be loved   愛は、愛されることを求めること

Love is touch touch is love   愛は触れること 触れることこそ愛

Love is reaching reaching love 愛は達すること 達することこそ愛

Love is asking to be loved    愛は、愛されることを尋ねること

Love is you             愛は君であり

You and me            君と僕

Love is knowing We can be   愛とは、ふたりでできることを知ること

Love is free Free is love     愛は自由 自由こそ愛

Love is living Living love     愛は生きること 生きることこそ愛

Love is needing to be loved   愛は、愛されることを必要とすること


今日の森は、起きた時も霧に包まれていた。
午後出かける時も、視界の悪い霧の中をヘッドライトを点けてゆっくりと
下った。
暗くなって帰宅した時も、森は濃い霧で覆われていた。

ジョンの歌は、この森のように平穏で静寂そのものだ。
物思う心は安らかで、“生きることこそ愛”と語りかける。

霧はやがて晴れるだろう。
霧が失せて消えたら、何かが現れるかもしれない。

青い空は人の顔を上げさせる。

風は懐かしい匂いを運んでくれる。

雨音だって囁く声に聞こえる時もある。

夜空の月は何故か歳月を懐かしむ。

満点にきらめく星には願いごとをしたくなる。

ジョンを偲んでいると、私の“イマジン”も際限がない。


ワンコイン名画

2006-11-25 | 本と音楽・映画・TV
  

ワンコイン(500円)で購入できる名画があるのをご存知でしょうか?

「CLASSIC MOVIES COLLECTION」がそれだ。

名作映画DVD夢のスーパープライス!色褪せぬ名作の数々、今ここに
一挙公開!と謳われている。
懐かしい名画が税込み価格500円で手に入る。

数多い映画の中には、何度見ても新鮮かつ感動する名作があるものだ。
例えば、『ローマの休日』や『風と共に去りぬ』、『禁じられた遊び』
など数え上げたらきりがないほどある。

厳選200タイトルある名画のほとんどは、私が生まれる前の作品ばかり
だが、その内のいくつかは「名画座」かTVで見たのだろう。
1930年代~1950年までに劇場公開された作品がほとんどだ。

半世紀以上経った今でも観る人を感動させ、色褪せることのない名画が、
レンタル料金とさして変わらない価格で手許に残るのは嬉しい。

1942年公開の『心の旅路』(RANDOM HARVEST)を観た。
確か東京日比谷にあった名画座で二十代の頃に一度観た映画だ。
グリア・ガースンとロナルド・コールマン主演のラブ・メロドラマだ。

戦争で傷ついて記憶喪失と言語障害の後遺症を持つスミスは、霧の夜に
精神病院の軍人収容施設を逃げ出し、街で困惑しているところを踊り子
のポーラに救われる。
言葉も不自由なスミスをポーラは見捨てる訳もいかず面倒を見ることに・・・
やがて二人は愛し合い、結婚して、郊外の小さな家で幸せな生活を始めた。

子供もでき、物書きとして新聞に記事を書くようになったスミスは、新聞社
のあるリバプールに出向くが、そこでタクシーとぶつかり頭を強打する。
その時失われていた記憶が蘇えり、ポーラとの記憶を喪失するのだ。

チャールズとして成功を収めていくスミスの傍らには常に有能な秘書がいた。
その秘書こそ彼が愛した妻なのだが、彼の記憶はいつも霧の中だった。
事故に遭った時持っていた鍵だけが彼の記憶の扉を開ける“鍵”だった。

チャールズがどうやってスミスとポーラのことを思い出すか?
自分の失われた記憶を辿っていく様子が感動的に描かれている。

ワンコイン名画にはまだ一度も観ていない作品がたくさんある。
我が家にも名画ライブラリーができそうだ。

語り部民話『朝日長者』

2006-10-25 | 本と音楽・映画・TV
       『朝日長者』 

 昔、ある村に欲のふけえ長者がいたんだと。

 そりゃ~金持ちでナ、村のもんらが「朝日さし、夕陽の輝く長者様
だで~黄金千両、二千両もたんとあるだで」と言うたほどでナ。

 そんでも満足できねえ長者はなぁ、金をもっと増やすことばっかり
考えとってナ、ある朝、何かいい金儲けはねえもんかと外を見とると、
旅の坊さんが托鉢に来たから長者は、「何か金儲けさせてくれたら、
金やらず(やろう)」と言ったんだと。

 坊さんは「限(きり)がないからやめなさい。それよりあすの朝、
夜明けに起きて、屋根の上を見なさい。いい気持ちになりますよ」と
言って姿を消したと。

 長者は、何のこっちゃと思ったがその気になって、言われるままに
次の朝早う起きてみるとナ、朝日とともに天女とも思えるような美しい
おなごが、屋根の上で舞い始めたと。

 不思議なことに長者は、とてもいい気持ちになったんじゃが、朝日が
昇ってきてあたりが明るくなると、そのおなごは、いつの間にか消えて
しまったと。

 不思議な事があるもんだと長者は思ってたが、ふと「あの天女をつか
めえて、京へでも売り飛ばしたらさぞかし高う売れるにちげえねえだな」

 家のもんに弓矢を用意させて、次の朝また早く起きてみると、天女が
また出てきて舞いだしたんだと。
長者は、「それっ」とばかり弓を引かせると、矢は足に当たって、天女は
ハラリと落ちたよおに見えたんだと。

 んだが、どこを捜しても天女はおらんかったそうな。

 そんでもって、それからの長者は、何をやってもうまくいかねくなって、
貧乏になってしまったと。          おしめえ。 

                   (語り部さんからの伝承)




家族~妻の不在・夫の存在~

2006-10-20 | 本と音楽・映画・TV
   朝日放送 ドラマ金9

金曜夜9時のドラマ「家族~妻の不在・夫の存在」を観た。
竹野内 豊・渡 哲也のキャスティングと映画「クレーマー・クレーマー」
を何となく思い浮かべたからだ。

仕事で家庭を顧みない上川(竹野内)は子供を妻・理美(石田ゆり子)に
任せっきりで、外資系企業のリストラを宣告する仕事を担当していた。
そんな夫に愛想をつかせ、離婚を申し出て家を出る妻。

一方、上川からリストラを宣告された過去を持つ佐伯(渡)は、妻を亡く
してひとりやもめ暮らしをしながら、幼稚園でボランティアをしている。

ふたりを取り持つのが上川の息子・悠斗だ。
5歳になる悠斗は、父からも母からも厄介者扱いされている。
自立を目指す理美は息子を夫に預けっぱなしだ。
上川もリストラの仕事に嫌気がさして、転職活動に忙しい。

「今日が何の日かご存知ですか?」
佐伯のもらした一言が、上川を父親であることに気づかせた。
息子の5歳の誕生日さえ夫婦は覚えていなかったのだ。

家事を何もしたことがない35歳の男が子育てに奮闘していく。
妻を亡くして独り暮らしをしている定年の男は、それを支えていく。
いずれ共同生活を始め、お互いに妻不在の家族を作っていく話だろう。

家事、子育て、子供の親権、離婚の調停、自分の仕事、それらの難問
を抱え、どう展開していくか、見所あるドラマのようだ。

息子の5歳の誕生日に気づいた上川は、徹夜でリビングを子供の電車
遊びの場所に作り変える。
朝起きてきた悠斗は驚き、喜んでそれに興じる。
子供の嬉しそうな顔とはこんなものなんだ、と誰も思う。

心洗われるようなドラマ仕立てに今後が楽しみだ。

マライア・キャリー

2006-10-16 | 本と音楽・映画・TV


マライア・キャリー、私の好きなシンガーのひとりだ。
今日、日本武道館で来日公演があった。
この後、名古屋、さいたま、大阪で「世界の歌姫」の公演が続く。

1993年、マライアが23歳の時、初めて日本に来た。
その年、3rd アルバム『MUSIC BOX』が発売され、すぐ購入した。
「ドリームラヴァー」、「ヒーロー」、「ウィズアウトユー」などの
彼女の代表作が収録されているアルバムだ。

マライアは自ら詞も書いているが、作曲もしている。
いわばシンガー・ソングライターでもあるが、7オクターブの声が出る歌唱力
があまりに有名であるためか、作詞・作曲のことは話題にのぼらない。

中でもマライアの作詞・作曲である「JUST TO HOLD YOU ONCE AGAIN」
(もう一度あなたを)がお気に入りの一曲だ。

   (前略)
   Even though you're not my lover
   Even though you're not my friend
   (ohhh) oh baby
   I would give my all
   To have you here
   Just to hold you once again

   It's so hard
   To believe
   I don't have you right beside me
   As I long to touch you
   But you're out of my reach
   And my heart doesn't feel
   It's so very cold inside me
   Just a shadow of someone that I used to be
   (後略) 
         詞・曲 Mariah Carey
           曲 Walter Afanasieff

   恋人としてじゃなくていいの
   友だちとしてじゃなくてもいい
   持てるすべてを投げ出すわ 
   あなたがここに来てくれるなら
   もう一度あなたを抱きしめたいの

   信じるのはとても難しいことよ
   あなたが隣にいないだなんて
   あなたに触れたいと焦がれても
   この手はあなたにもう届かない
   ハートは感覚が麻痺してる
   胸の中はまるで氷の世界
   あるのは
   もとは私だった誰かの影だけ

           訳詩 藤沢 睦実

かすれるような低音と、叫びに近い超高音で♪Even though ~~の
くだりを歌い分けるマライアの歌声は、鳥肌が立つような思いで
聴き入ってしまう。
歌姫としてのマライアの魅力を存分に味わうことができる切ない歌だ。

今年マライアは36歳になった。
ますます円熟した魅力をステージで見せていることだろう。

手許に95年10月、ニューヨークで収録されたライブ版ビデオがある。
名古屋もさいたまも大阪も行けないから、ビデオで楽しむことにしよう。

「ONE SWEET DAY」の BOYZ Ⅱ MEN とのコラボレーションが実にいい!



「きみに読む物語」を観て

2006-10-13 | 本と音楽・映画・TV
  

この何ヶ月か映画を観る機会を失くしていた。
劇場ではなく家でDVDを観ることもめっきり減った。
観てない映画がたくさんある。
そういう機会をもう一度取り戻そうと、ひとつレンタルした映画が
「きみに読む物語」(THE NOTEBOOK)だ。
2004年公開のアメリカ映画だった。

とある老人養護施設に初老の気品ある婦人がいた。
その老婦人はどうやら認知症らしい。
彼女が幾分気分のいい時に、同じ療養施設に暮らすデュークという
老人が、ある物語を読み聞かせていた。

それは何十年も前の、ノアとアリーの若い男女の恋物語だった。
アメリカ南部の町を舞台に、ふと出逢ったふたりがひと夏の煌めく
ような恋に落ち、そして離れ離れになって、別の人生を歩み出す。
青年ノアは別れた日から毎日365通の手紙を送り続けるが、アリー
からの返事はなかった。
ふたりには愛し合える、周囲が認める環境や状況がなかったといえる。
ノアとアリーの純粋なひたむきな恋は引き裂かれてしまう。
しかし、運命はふたりを再会させた。
別の人生を歩むはずのアリーにノアは最後の決断を迫る。

そんな男女の恋物語を、老婦人は興味を持って楽しみに聞いている。
この映画の冒頭のシーンを観て、殆んどの人が理解するだろうと思う。
ノアとアリーこそデュークと老婦人だということを。
デュークが何故この物語を読み聞かせていたか、若いふたりがその後
どうなったかをここで書くつもりはない。
ただデュークは平凡な人生を送ってきた男だが、ひとつだけ誇れるもの
があった。
それは一生に一度の煌めくような素敵な恋をしたということだった。

物語は感動の奇跡を呼んで結末を迎える。

数え切れないほどの白鳥が泳ぐ森の湖でボートを漕ぐシーン。
オープニングも美しい湖のシーンで始まる。
アメリカ南部の古き良き時代の美しい田舎町の情景が、この恋物語を一層
引き立たせてくれた。

感動することを忘れている人に是非観て欲しい映画の一本だ。




「14歳の母」

2006-10-12 | 本と音楽・映画・TV
日テレ系列で始まった水曜夜10時の連続ドラマ「14歳の母」を観た。

重たいテーマ・中学生の妊娠と出産を、主人公を取り巻く家庭や学校を舞台
に描いていくのだろう。
今の時代、こういうことが現実に起こっても不思議ではない。

不純な異性交遊とも違う。
乱暴され、犯されて妊娠してしまうのでもない。
出会い系サイトで大人の振りをして遊ぶ少女でもない。

少女と少年が、どうしてそのような関係になってしまうのか。
妊娠という前提を一体どのように描くのだろうか。
私には作り手側の脚本や制作意図に興味があった。

ふたりは、子犬を助けようとして意気投合する。
夜の街で遊んで、不良たちに絡まれ、暴力を受け、傷つく。
まだ好きでもない、無論恋愛感情が互いにあるでもなく、
夜の美しい月を仰向けに寝っ転がって観ていて、ふと手が触れただけで、

「何でこうしたくなるの?」と少女。
「わかんないよ」と少年。ふたりは手を繋ぐ。

「いけないことなんかな?」と少女。
「わかんないよ」と言って、少女を抱き寄せる少年。

このシーンの描き方に、まだ幼いふたりがこれから背負う現実が、如何に
厳しく残酷なものであるかを暗示させた。

二ヶ月後、身体と心の変調に気づいた少女は妊娠を確信する。
保健体育で習ったことをいまさら気づいておののくのだ。
母に助けを求めたいが、何て言ったらいいか逡巡する。
少年に言うべきかどうかも分からないで、ひとり孤立していく。

当然大問題だ。まだ中2の少女なのだ。
周囲が大騒ぎして、妊娠の事実を誹謗中傷し、非難する。
私立学校側もゆゆしき問題と退学を迫るだろう。
平和な家庭が騒然となる。

少年との純愛を育てることもテーマになるだろう。
たった一度の“あやまち”で望まれない子を妊娠した。
「14歳の母」なんだから出産にこぎつけて母になるストーリーだ。

過酷な状況下で子を産んで母になる物語が、現代の乱れた世に対する
警鐘なのか、母を初めとした家族や先生・友人たちの愛と感動のドラマ
になるのか、今後を期待したい。




『ゆずり葉』

2006-10-02 | 本と音楽・映画・TV


子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。
 
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー


子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。


かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。


世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。


今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。


そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。

        河井 酔茗 作 『ゆずり葉』

 
 友人に紹介されてこの詩を知った。
昔は学校の国語の教科書にも掲載されていたようで、酔茗の
代表作のこの詩を知る人も多いのではないだろうか。

ゆずり葉は一年中大きくて厚い葉を付ける常緑樹だ。
ビワの葉に良く似ているなと思ったものだ。
春、黄色い若い葉っぱが出てくると、大きな緑の葉は役目を
終えたように、ポトンと地に落ちる。

まるで命のバトンタッチをするような光景だ。
まさに「命をゆずる葉」が印象的な「ゆずり葉」である。

酔茗はいのちの大切さをこの詩に込めたのだ。

子どもに読み聞かせたい詩である。





韓国映画 『イルマーレ』

2006-09-07 | 本と音楽・映画・TV
      2001年9月公開映画

今年9月下旬、劇場公開予定のハリウッド映画『イルマーレ』は、
キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック主演のあの『スピード』の
コンビ復活で観られる。

リメーク版を観る前に、2001年公開の韓国映画『イルマーレ』
を遅ればせながらDVDで観た。

霧に煙るモノクロ調の海辺のシーン、美しいピアノの調べと共に物語
は始まる。
海辺の一軒家「イルマーレ」は、イタリア語で「海」という意味だ。
ヒロインのウンジュは、クリスマスカードを書いて、次の住人になる
人にメッセージを託し、郵便受けに入れて引っ越して行く。
コーラという名のワンコも一緒だ。

ソンヒョンという別の男がその海辺の「イルマーレ」に住んでいる。
クリスマスの夜、郵便受けのカードを見つけて読むソンヒョン。
しかし、その手紙は二年後の99年12月21日から届いたものだった。
海辺の一軒家「イルマーレ」は彼が越してくる一ヶ月前にできたばかり
の新築の家だった。

二年の時を越えて二人は奇妙な文通を始める。
赤いクラシカルな郵便受けは、手紙は勿論、冬用のミトンや耳あてまで
相手に届けてくれる。
飼い犬のコーラがふたりの間を行き来しているかのように暮らしている。

97年のソンヒョンと99年のウンジュ、時を隔てて生きる二人は、接点
を持とうと思案する。
ウンジュは自分の過去である98.1.9は大雪になると彼に教える。
一種の予言だ。事実そのとおりになるのだった。
一方、ウンジュがいま住んでいるというアパートは、ソンヒョンが見に
行くとまだ建築中だった。

たった二年の時空の隔たり、失恋をしたウンジュとソンヒョンは次第に
心を通わせていく。しかもふたりは現在この世に存在するのだ。

「つらいのは愛が終わらずにずっと続いてること、失恋した後も」と
ソンヒョンに悩みを打ち明けるウンジュ。

「誰かを愛してその愛を失った人は、何も失わない人より美しい。
 元気を出して」と慰めるソンヒョン。

98.2.11チュンアン駅のホームのベンチに録音機(ウォークマン)
を置き忘れたことをウンジュは伝える。
ソンヒョンはそれを見つけてウンジュに送る。

人は通りすがりに雑踏の中ですれ違ったり、公園のベンチで隣り同士
たまたま座っていたり、同じ電車の中で一緒だったりと、時間と空間
を偶然共有していたりするものだ。

ソンヒョンも駅のホームでウンジュを見かけ、「済州島(チェジュド)
で逢いたい」と連絡する。

「2000.3.11 PM2:00に」
二年も先のデートの約束をして、ウンジュは海辺で待つことにした。

98年に生きるウンジュは街のカフェで偶然かつての恋人の声を聞く。
忘れていた愛の記憶が蘇える。恋人は他の人を愛している。
ウンジュは「彼が私から離れないようにして」と、ソンヒョンに頼む。
98.3.25にウンジュとかつての恋人がカフェで会う。

「ぼくが力になろう」

「これまで手紙をくれてありがとう」

ソンヒョンは、窓辺に座るウンジュと彼を見つけて通りを急ぐ。

全体的に穏やかでゆったりとした映像に心地良さを感じた。
涙が溢れんばかりの感動はないが、見ていて退屈さは感じない。
海辺のシーンを背景に時を越えて育まれるせつない恋がジーンと来る。

ふたりの間には二年の時が隔たる。
どうやって逢うのだろうか、本当に逢えるのだろうか、そんな想いが
最後までこの作品に引きつけられた要因だろう。

メルヘンのような不思議な映画だった。
ラストの海辺のシーンが心の旅をいざなうような余韻をもって終わる。




憧れの女性・メラニー

2006-09-03 | 本と音楽・映画・TV
マーガレット・ミッチェル著の「風と共に去りぬ」を、中学生の頃読んだ。

南北戦争を背景に、ひとりの女性スカーレット・オハラの逞しく、また
自分勝手な我が儘な人間像には、かなりの反感を覚えながら読んだ記憶
がある。
主人公のスカーレットに相反して、強く心惹かれる女性メラニーに憧れを
抱いた。どうしてメラニーが主人公にならなかったのかしらと、疑問に思
ったものである。

メラニーは、慈愛に満ち溢れていてどんな人にも、その人に見合った愛を
惜しげもなく注ぐ。スカーレットの従姉妹で、親友でもあるメラニー。
彼女には夫がいて、こともあろうにスカーレットはその夫と恋愛関係に
陥る。3人はもともと仲の良い幼友達でもあった。

相思相愛と信じていた彼が、従姉妹のメラニーを選び妻とした。
スカーレットは、怒り、苛立ち、何とか彼の心を取り戻そうと、メラニー
の心などお構いなしに彼を誘う。
彼もスカーレットに未練があるのか、それに応じる。
わたくしは、優柔不断な彼にも、怒りに似た反発を覚えた。
まだ少女だったわたくしは、スカーレットも彼も人として許せないと
思ったものだ。

    

成長して映画を観た。ビビアン・リーが演じる「スカーレット」は美し
かった。何事も自己中心的で、思うように事が運ばないと激しく怒り、
立ち向かう女性だった。
心に残っている言葉がある。窮地に立たされたスカーレットは毅然として
「一晩寝てから考えましょう」と言った。
あの時代あの逞しさがあったからこそ、立ち上がれたのだと思う。

    

傍若無人に振舞うスカーレットを、優しく見守る「メラニー」。
自分の夫と恋愛関係にあることも知りつつ、いつも慈愛に満ちた微笑み
を絶やさず、なんびとにも真心を尽くすメラニーの美しは、スカーレット
の外見の美しさとは異なり、内なる心が溢れるような美しさだった。
メラニーの夫が、スカーレットと恋愛関係にありながら、妻にメラニーを
選んだ理由も納得できた。
スカーレットには微塵もない、優しさ・穏やかさ・温かさをメラニーは
全て兼ね備えていた。

テレビで観たり、レンタルしたり、今ではDVDも手許にあり、この映画
は何度も観た。
観るたびに惹かれ、憧れの女性として目標になった。

心の瞳(め)で、ふたりの女性の生きざまを観たせいであろう。

「メラニー」は、わたくしにとって永遠のテーマの女性である。

                            (ゆら)

語り部民話『山の背くらべ』

2006-08-30 | 本と音楽・映画・TV
  早春の八ヶ岳

休日に図書館へ行くと、運がよければ、語り部さんの伝承民話を
聴くことができる。
元小学校の教師だったその語り部さんは、不定期だが街の図書館
で、子供たちやその親に古くから伝わる信州の「囲炉裏昔ばなし」
を語って聴かせている。

童話や絵本の読み聞かせとは違って、表情豊かに、方言も交えて
のその語りは独特で、実に味わい深いものがある。

妻のゆらがその語り部さんと親しくなり、電話で伝承民話を教え
てもらっている。
語り部民話は古来より口移しで伝承されていくものらしい。

信州に伝わる“囲炉裏昔ばなし”の語り部民話を、ゆらが覚えた
ままここに掲載してみよう。

 今日は、『山の背くらべ(八ヶ岳)』の話じゃて

むかし、八ヶ岳と富士山が背の高さを競(あらそ)って、喧嘩した
ことがあったと。
「おらの方がおめえよりもたけえ(高い)ぞ」
「何を言っているだか、おらの方がたけえに決まっとる」
そう言って、どちらも譲らなかったそうな。

そこへ、富士山の妹の蓼科山が加わったから、手のつけられねえ
騒ぎとなってしまったんだ。

この話を聞いて、山の神さまがやって来てな、「そんならわしが
測ってやるわい」と言って、いずこから持って来たのか、大きな
樋(とい)を持って来てな、「どっこらしょ」と、八ヶ岳の峰か
ら富士山の峰へ、それをかけたんだと。
みんなは、何をするんだと見とったらな、今度は水を持って来て
真ん中へ流し込んだんじゃ。
そしたら、水は富士山の方へ流れて行ったから、山の神さまは、
「八ヶ岳の勝ち」と言ったと。

それでみんなは「なるほど」と思ったが、怒った富士山はその樋
で、八ヶ岳の頭をベンベン打ったうえ横っ腹まで蹴ったから、あ
んなふうに峰が幾つもに分かれてしまったんだと。

おしめえ。

赤い糸

2006-08-27 | 本と音楽・映画・TV
「人はだれでも小指と小指が赤い糸で運命の人と結ばれている」

みんな知っている「赤い糸」のお話だ。
子供の頃「へ~、ぼくのはだれと繋がっているのかなぁ~」と、
周りを思い巡らしたものだった。

「あの子かな~」

「まだ生まれてないのかな~」

「きっと、まだ逢っていないんだよ~」

「いつ逢えるんだろう・・・」

「逢った時、どうやって分かるんだろう・・・」

いろいろ真剣に考えた時期が確かにあった。
でもいつしかそんなこと忘れてしまって、歳月が過ぎた。
あの頃から数十年も過ぎ去っている。

そんな遠い記憶にもなかった「赤い糸」を、きのう思い出した。
一枚のCDを聴いたからだ。

WAX(ワックス)の『赤い糸』だ。

    
  http://www.barks.jp/watch/?id=1000012958   

アジアの歌姫、韓国ではナンバーワン女性シンガーとして人気
があり、高い評価を受けているらしい。
彼女の大ヒット曲『化粧を直して』の日本語ヴァージョンで、
今年4月に『赤い糸』として、日本デビューを果たしたようだ。

♪ ごめんね 愛されても 愛し方を知らなかった
  離れ離れ生きていても 不思議な糸が
  こうしてあなたを連れてくる ♪

♪ ねえあなたが動くたびに 指からのびた
  真紅の糸が心を縫う ♪      (作詞・松本隆)

人は生まれ変わり、何度生きて死んでも、必ずめぐり逢う運命
があると、切なくハートフルに謳い上げるバラードだ。

「赤い糸」で結ばれた運命の人に逢えたのだろうか?
「運命の人」は一人きりなのだろうか?

人にはそれぞれ親しい友人や恋人や大切な伴侶がいる。
運命の人とめぐり逢っても結婚できない人や、運命の人と思って
結婚したけれど、別れた人もいるだろう。

小指から出る赤い糸は一本だけではないと思う。
きっと人の人生には、何人もの「運命の人」がいるはずだ。

自分を産んでくれた親、同じ血縁を持った血族もそうだ。
自分の子供や孫もみんな大切な運命の人だ。
大切な友人も、結婚できないけれど愛し合う人もいるだろう。
自分にとって掛け替えのない人は、赤い糸で結ばれた運命の人だ。

人はそれぞれ赤い糸を何本も持って、その生涯を終える。
そしてまた生まれ変わるのだ。





星野富弘詩画集

2006-08-14 | 本と音楽・映画・TV


「無償の愛」の言葉で思い浮かぶのは、詩画集を数多くお出
しになられている星野富弘さんご夫妻のことです。

星野富弘さんは、教師をなさっておいでの時、不慮の事故に
遭われて、首から下は麻痺と言う後遺症を背負われました。

奥さまは、事故後にめぐり逢われた方で、星野さんの全てを
受け入れ、愛し、星野さんの妻となられました。
勿論、星野さんが素晴らしい方なので、この人のお傍で生涯
を共になさりたいと、お思いになられたのでしょう。

無償の愛と言っても、きっと、日々おふたりが心を寄せ合い
お暮らしになられて、星野さんは勿論のこと、奥さまも星野
さんから素晴らしい贈り物をいっぱい受けていらっしゃる事
と思います。

人は、一人では生きていけません。誰にも頼っていないつも
りでも、目に見えぬ心の支えとなっている人が必ずいるはず
です。

わたくしは、雑念の多い人間ですから、星野富弘さんご夫妻
のようになりたいと思いつつも、煩悩にさいなまされ、悩み
苦しむことが多いのでしょう。

心を綺麗にしたい時、浄化したい時、星野富弘さんの詩画集
を開きます。
すると何となくですが、心に溜まった穢れ(けがれ)が少し
洗われたような気持ちになります。

わたくしの心を洗う本は、星野富弘さんの詩画集です。



語り部民話 『姥捨て山』

2006-07-24 | 本と音楽・映画・TV


昔ある村に、母親と二人で暮らしている男がおったそうな。
かかさまは、あしたで60になっと。
けれどもこの国では、六十歳になった者はみんな山へ捨て
ねばならない御触れがあったんだ。

「おっかぁ、おらぁ、捨てることはできねえ」

男は困り果てて夜を明かしたと。
御触れにそむけば罪人にされてしまう。
男は泣く泣くかかさまを背負って山へ向かったと。

山道を歩いていると、時々「パチッ」、するとまた「パチッ」
と音がした。男はかかさまに何の音かと尋ねた。

「おめえが帰りに迷わないよう、木の枝に目印をつけてるだ」

それを聞いた男は、「やっぱし捨てられんね」と言って、夜
を待ち、連れ帰って、縁の下に大きな穴を掘って、かくまった
んじゃ。

ある時、お城のお殿様からまた御触れが出てな、知恵者はおら
ぬか探しているそうな。

  「灰で縄を作れ」
  「叩かなくても鳴る太鼓を持ってこい」・・・とな。

お城や国中の者が考えたけんど、誰もできねえでおったと。
男はかかさまに相談してみると、かかさまは「そうだない~」
と、ちょいの間考えての。

「藁(わら)を塩水に浸けて、それから縄をなって焼いてみろ」
と言っただよ。
その通りしてみるとな、『灰の縄』ができたんじゃよ。

「太鼓の中に、虻(あぶ)を4~5匹入れてみれ、そん中で虻
が飛んでぶ~んド~ン、ぶ~んド~ン鳴るじゃろ」

男は、灰の縄と太鼓を持って、お城に行ったんじゃよ。
お殿様は大層喜んでなぁ、何でも褒美をとらすと言ったんだと。
男は正直に、年老いたかかさまに教わったことを言うとな、
お殿様は驚いて、
「年寄りとはそのように賢いものか」
「これからは年寄りを捨てるのはやめじゃ。大事にしよう」
そう言ったんじゃと。

そんなことがあって、姥捨ての習わしもなくなったそうな。

男は、褒美をもらって走って帰ったと。おしめえ。
めでたし、めでたし。