
2008年NHKの大河ドラマ「篤姫」は好評のうちに終った。
これまで幕末・維新ものは視聴率が取れず、その上あまり知られていない
篤姫では一年のロングランを不安視する向きもあったようだ。
しかしながら平均視聴率は24%と久し振りに高視聴率をマークした。
篤姫ブームを巻き起こした人気の秘密は何処にあるのだろう。
毎週欠かさず観た私なりの評価すべき点を挙げてみた。

第一に、
この時代の表舞台では日本の歴史に残る大きな事件が相次いで起こっている。
1853ペリーの来航、1854和親条約の締結、1858井伊直弼による安政の大獄、
1860桜田門外の変、1861公武合体、1863薩英戦争、1864~66長州征伐、
1866薩長同盟、1867大政奉還と王政復古(江戸幕府の滅亡)、1868戊辰戦争、
1869版籍奉還、1871廃藩置県とまさに激動の時代だ。
人物も、島津斉彬、井伊直弼、西郷隆盛、大久保利通、坂本竜馬、
徳川慶喜、岩倉具視ら枚挙に暇がないほどである。
かつてNHKの大河ドラマで主役を演じた名前も多い。
ドラマではそうした時代背景や事件を描くのではなく、
時代の流れに巻き込まれる人たちの苦渋や、否応なく変化する日常の生活を
描いた。

第二に、
主役級に演技力の確かな若手、宮崎あおい、瑛太、松田翔太、堀北真希を
起用したこと。
脇を固める重厚な役者陣も見逃せない。
島津斉彬の高橋英樹、老女幾島の松坂慶子、母お幸に樋口可南子、
13代将軍家定に堺雅人、家定の生母本寿院に高畑淳子、老中阿部に草刈正雄、
井伊直弼に中村梅雀、和宮付典侍に中村メイコ、勝海舟に北大路欣也と、
豪華な布陣は見る者に信頼と安心感を与えた。
中でも、西郷隆盛の小澤征悦、大久保利通の原田泰造は期待どおりだったし、
大奥御年寄滝山を演じた稲森いずみは秀逸だった。

第三に、
脚本家の田淵久美子は、宮尾登美子の原作には登場しない肝付尚五郎
(後の島津家家老小松帯刀・瑛太)が、篤姫(於一)に恋心を抱き続ける
設定にし、小道具としてお互いが持つお守りと、対局する囲碁が効果的に
使われた点だ。
在り得ない話を在りそうな話に一変させ、恋というテーマを最後まで
持続させた手腕はさすがだ。

第四に、
女性としての於一・篤姫・天樟院が同じ女性の幾島、本寿院、滝山、
和宮と相対し、接して行く過程の描き方がおもしろい。
例えば江戸に向かう船の中で、篤姫が「幾島、私はそちがきらいじゃ」
すると幾島が「存じておりまする」と応える。
二人がお互いの心の絆を深めるシーンだ。
本寿院は嫁としての篤姫に辛くあたるが、いつしかすっかり頼りにしてしまう。
宮家から嫁いだ和宮とは軋轢も多かったが、一本筋が通った一途な天樟院を、
和宮は「母上さま」と呼ぶようになり、多くのことを学んだと尊敬の念を抱く。
大奥1000人の奥女中を束ねる滝山は、将軍家定の跡目をめぐって天樟院と対立
するが、やがてその魅力に引き寄せられ天樟院のために尽力する。
大奥が滅びることになって苦悩する天樟院に滝山は、
「天樟院さまがいたからこそ大奥は混乱もなく無血開城できたのです。
自らの運命を知った大奥が天樟院さまをここへ呼び寄せたに違いありません」
滝山のこの言葉で、大奥を閉じる役割こそ自分に与えられた天命だと、
天樟院は悟る。

第五に、
このドラマは現代に通ずる激動の時代を女性の立場でいかに
乗り越えるかというテーマが底流にある。
男社会ではなく、家庭を守る一家の母として、家族をいかに守るか、
襲い掛かる荒波にどう対処するか、逆境の中で賢く、力強く生きていく、
何より家族を大切にする母の愛がテーマなのだ。
「篤姫」は、負ける側の究極のホームドラマを描いたと言えよう。
於一が島津家の分家・今和泉島津家から島津本家の養女に決まった時、
乳母の菊本(佐々木すみ江)は「女の道は一本道にございます。さだめに背き、
引き返すは恥にございますよ」という言葉を贈る。
これこそ篤姫の生き方そのものになった。
徳川家を憂い、大奥の千人の家族を守るためにとった天樟院の行動は、
江戸城を無傷で遺し、江戸を戦乱から護りぬいたのだった。

以上、私なりに考察した好評の要因を列挙してみた。
他にも大奥の女たちが着たおびただしい衣装の着せ替えも女性には興味の的だったらしい。
しかし宮崎あおいこそ大河ドラマ「篤姫」を大ヒットに導いた最大の立役者に違いない。
文中 天樟院の樟は 正しくは 王へんに章
宮崎あおいの 崎は大のところが立です