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くつろぐぶろぐ~For Rest in Forest~

森の暮らし・森プルライフ・森羅万象感じるままに

モノクロの風景

2009-01-10 | 雑感
 1/3   1/10

きのう降った雪で高原の森の景色は一変した。

サンデッキの積雪は10cmほどだった。新年が明けて初めての雪だ。

穏やかな晴天の日が続いていて、昨年26日の4cmの積雪も大方融けて
わずかばかりが残っていた。(左の画像)

「今年は雪が少ないのかな?」と、淡い期待が脳裏をかすめたが、
どっこいそうは問屋が卸さない。きのうは小雪だったがほぼ一日降った。

東京は初雪だそうだ。とうとう本格的な雪のシーズン到来だ。

八ヶ岳南麓のここ蓼科高原の森は標高が1200m以上で、住宅は深い森の
針葉樹に覆われていて、冬の北風をものともしない。
だから冷たい風が吹き荒れることなど滅多にないのだ。
しかし標高800mの街に下りると、気温は4~5℃高いのだが、風が強くて
寒さを余計に感じる。木枯らしが吹きすさぶ街を散歩するなどゾッとするが、
その点森の中は静寂に包まれ、風もなく、空気が張り詰めているので、歩く
姿勢も背筋が伸びる。

長野県は南北に長く面積も広い。
同じ内陸性気候でも北と南では気象条件がかなり違う。
北信の長野市は日本海に近く、北陸と気候が似ている。
中信の松本市や諏訪市は山梨県の天気と類似点が多く、
南信の飯田市は愛知県や岐阜県と似ている。
今日の天気は、長野では引き続き雪で、松本、諏訪、飯田では晴れか曇りだろう。
いずれの地方も標高差で気温に大きな違いがある。

いま午後3時を過ぎたところだがサンデッキの気温は氷点下4℃を示している。
これからは真冬日が続き、きのうの雪は根雪になるだろう。

雪で一変した風景はモノクロの世界になった。

モスグリーンの屋根も白に変わった。保養所の茶色い屋根も真っ白だ。
この森には派手な真っ赤なスポーツカーが雪で覆われて、赤を消した。
すべての色が隠されて、白と黒のモノクロだけになる。

夜は星の煌めきと雪明りが辺りを照らす。
日中はまばゆい空の青さと暮れなずむ夕焼けが天然色の世界を復元させる。

雪国の風景は何処も同じに見える。
それは色がないから・・・・・

雪国の冬は長いという。
それはモノクロの世界だから・・・・・
モノクロの世界は時のたつのがゆっくりだから・・・・・





Time goes by

2008-12-26 | 雑感



今年も残すところあと五日だ。

いつもと変わらぬ年の瀬を過ごし、新年を迎える。

来たる年はいろいろなものが停滞し、不況の荒波が押し寄せ,

100年に一度の暴風雨に見舞われるかも知れないという。


2008年は天変地異も起こり、CHANGE(変革)を掲げた黒人の

オバマ氏がアメリカ初の黒人大統領に選ばれた。

為替や株式が異常な変動を見せ金融危機が起こった。

世界の景気が大きく変化した。

ちまたでは若者たちの心に異変が生じた。

「誰でもいいから殺したかった」とナイフを振りかざす。

政局は混迷し、福田内閣から麻生内閣に顔は変わったが、

政治の停滞は一向に変わらない。

今年の世相を表す漢字一文字の「変」な2008年はもうじき暮れる。


二年振りにブログを再開しようと思い立った。

広い世界を見るために。

新しい変化を求めて。 

ブログはタイムカプセルに

2008-05-21 | 雑感
      サンセット

 「くつろぐぶろぐ~For Rest in Forest~」は、昨年夕陽の沈む水平線の彼方の

地底に、タイムカプセルとして埋蔵いたしました。


 私の大事な「日記」と「アルバム」は、此処に集ってくれた友人たちの懐かしい

思い出と共に封印し、大切な宝物として永く保存されるでしょう。

 新規投稿もしなかったこの一年余りの間、留守宅を時折訪ねて下さった方には

申し訳ないことを致しました。謹んでお詫びします。

 そして、ありがとうございました。

 またお逢いできる機会があればと願っています。さようなら・・・・・・。

いいお年を

2006-12-31 | 雑感
あと数分で年が変わろうとしている。
森の森閑とした山荘での年越しはいつものことだ。
今日は温泉に浸かり、海鮮鍋で温かな夕餉に、年越し蕎麦も戴いた。
テレビは「紅白」しか観るものがなかった。
音声だけ聞いて、ブログのコメントに返事を書いた。

「紅白」は今井美樹と徳永英明だけはじっくり観て聞いた。
徳永の『壊れかけのradio』は聴き応えがあったし、大好きな歌だ。
今井美樹はげっそり痩せたような感じがした。
とっても素敵な人なのに残念だ。

「紅白」が終って「ゆく年くる年」に切り替わった時のあの静寂感が
いつもいいなと思う。
新しい年を迎える心の準備ができ、「ゴ~ン」という鐘の音を合図に
身体全体が凛となる。

2006年ありがとう。
今年のことはしっかり刻んだ。

2007年は「アクティブに!」を目標にした。
いい年にしよう。
それは心がけしだいだ。

ここを訪れてくださった方々に、
「いいお年を」と願ってやみません。

今年は暖冬?

2006-12-16 | 雑感
   2006.12.15の森

珍しくこの高原の森に雪がない。
師走も半ばを過ぎて今年も残すところ二週間になった。

気象庁の発表によれば、「南米ペルー沖の海面水温が秋以降高い状態が
続き、エルニーニョ現象が発生している可能性が高く、春まで続く見込み
だ」ということである。
2002年から03年冬にかけて以来の四年ぶりに暖冬になる可能性が
高いらしい。

エルニーニョ現象が発生すると、冬の西高東低の気圧配置が崩れ、北西の
季節風が弱まる。

厳しい冬を覚悟している私にとって、「暖冬」の予報は嬉しい限りだが、
喜んでばかりはいられない。
エルニーニョの発生は異常気象を引き起こすことにもなるからだ。
世界的な干ばつや集中豪雨などの大雨被害が予想される。

地球温暖化の影響で、毎年世界のいたるところで大雨や洪水、少雨・干ばつ、
大寒波や台風の襲来、異常な気温の上昇が起こっている。

今年八月以降、オーストラリアやインドネシアでは記録的少雨を観測した。
一方、アフリカ東部では大雨に見舞われ、洪水被害が頻発した。
こうした現象は地球規模・グローバルで起こる。

エルニーニョ現象が暖冬や冷夏を招くと、衣料品などの消費が落ち込んで、
景気にも影響し、マイナス要因となる。
景気は生活にも直結する。

暖かい冬を喜んでばかりはいられない。

日本の南東に高気圧の発生が続くようだと暖冬傾向だ。
気をつけて気象情報を見ることにしよう。




3年連用ダイアリー

2006-12-15 | 雑感
先月末に3年連用ダイアリーを買った。

平成19・20・21年の3年間を綴る日記帳だ。
同じ日付のページにあえて手書きで3年間の日記を書き込むのだ。

去年まではパソコン日記を書いていたが、今年はブログに切り換えた。
ブログは日記というより人の目を意識した記事のようでもあった。
毎日PCに向かって、休日も外出がめっきり減った。
投稿することが日課になり、目標になった。

天職だと思って頑張っていた仕事も、妻の転地療養を機に辞め、
高原の森に移住して早6年半が過ぎた。
今は生活費を稼ぐだけの週四日の仕事をしている。
四勤三休という訳だが、妻の通院が金曜にあるので3年ほど前から
必然的にそうなってしまった。

今の暮らしや生き方に後悔や不満がある訳ではないが、振り返れば
決してポジティブとは言えない。
単調で平凡な暮らしはある意味“しあわせ”と言えるだろう。
しかし「生きること」は成長であり、生きながらえることとは違う。

この一年、ブログを通じて多くの人と出会い、友となり、様々な思いに
触れて、得たものも多かった。
他人の生き方・考え方を追体験することで視野も拡がり、知識も増えた。
そうした友たちのポジティブな生き様を見るにつけ、ある懸念が生まれた。

今の私は成長しているのだろうか?
(いや、違う。隠居同然の暮らしだ)

まだまだ年金生活は先のことなのに、これでいいのか?

新しく学びたい事だってあるに違いない。
何かで人の役に立てる事もあるだろう。

“足るを知る”暮らしぶりはこのままでいい。
生き方を変えよう。
日常の過ごし方をポジティブに工夫してみよう。

これまでの自分になかった物を身に付けよう。
2~3年をメドに「学ぶこと」から始めよう。

「3年連用ダイアリー」がその成長を書き記すことを信じて・・・








丹人氏に捧ぐ

2006-11-15 | 雑感


標高1300メートルの信州の高原の森から、遠い西の稜線に沈む夕陽を撮った。

13日の私の記事と写真にコメントを寄せてくださった友部丹人氏が、これら
の写真を「感動の画像」と評して下さり、ご所望されましたので、ここに一枚、
サイズを大きくしてアップ致しました。

  (画像データ)
    カメラ:OLYMPUS CAMEDIA X-2
    サイズ:640x480
    撮影日:2006.11.12 16:33

  『稜線に 沈む夕陽に 心染め 家路を辿る 秋の夕暮れ』(辺離寓)

古寺の楓

2006-11-09 | 雑感
  

信州の高原の燃える紅葉もそろそろ見納めだ。

きのう夕方の地元のニュースで、真言宗の古刹の楓が報道された。
この森から10キロほど下った標高900M程のところに、楓の紅葉が
名所になっている古い寺がある。
TVは中継車を繰り出して、ライトアップされた美しい楓を映していた。

毎年11月のこの時季にローカルニュースでも取り上げられて訪れる人
も多い紅葉の隠れスポットだ。
およそ100年ほど前に京都から移植された「一行寺楓」が、今年も盛り
を迎えたようだ。

今日は幸いにも雲ひとつない快晴のお天気に恵まれた。
私も妻とメロンを伴って、陽が西に傾く頃この真っ赤に染まった楓を見に
行った。
空の青と紅葉の赤が、コントラストの美を醸し出し、美しかった。

モミジやカエデの紅葉は、太陽を背にして見るよりもむしろ逆光で透かす
ように見たほうが色鮮やかに映える。
二枚の写真もそのようにして撮影した。

  

境内には十数本の楓があるが、まだ緑の葉もあれば落葉している葉もある。
紅葉の仕方もその年の気候によって毎年さまざまだ。

楓の最後の輝きを見ると、この辺りの紅葉の季節も終わりを告げる。

晩秋の冷たい風が頬をよぎって、真っ赤な葉を揺らした。




誰もいない海

2006-10-18 | 雑感
   イメージ

生まれ育ったのは海が見える場所だ。
潮騒が聞こえてきて、静かな波が打ち寄せる。

故郷の海、海水浴で遊んだ砂浜の海、デートでよく行った湘南の海、
観光で訪れた伊豆や淡路島の海、太平洋、瀬戸内海、日本海と、
島国の日本は何処にでも海がある。
陸の端っこに立てば大海原が見渡せる。
しかし海はそれぞれ違う表情をしていて、同じ風景ありえない。
人の顔がみんな違うように、海の顔もみんな違う。

秋も深まってくると、森に暮らしているせいか、無性に海が見たいと
思う時がある。
今日のように秋晴れの雲ひとつない日には、海に沈む夕陽を眺めたい
と思う。
一瞬の景色だが何もかも茜色に染めてしまうあの瞬間を見たいのだ。

山がちの信州から海に行こうとすれば、伊豆の海か、日本海だ。
東京お台場の夏の海は、暑い盛りに見てきた。
たくさんの屋形船が提灯を灯して、涼を楽しんでいた。
風情もあり、夏ならではの夜の海だった。

♪今は~もう秋~、だれも~いない海~♪

秋の、だれも訪れなくなった海の夕焼けが見たい。
寄せては引く波打ち際に立って、遠い遠い景色を眺めたい。

私はそこで何を感じ、何を思うのだろうか。

茜色に同化してしまった自分が見る夢は、一体何なのか、
それを知りたい。



静夜思

2006-10-09 | 雑感
    静夜思(せいやし)   李白


 牀前看月光    牀前(しょうぜん)月光を看る
 疑是地上霜    疑うらくは是(これ)地上の霜かと
 挙頭望山月    頭(こうべ)を挙げて山月を望み
 低頭思故郷    頭(こうべ)をたれて故郷を思う

 (口語訳)

 静かな夜に、ふと寝床の前に差し込む月の光を見ると、
 その白い輝きは、まるで地上に降りた霜ではないかと
 思ったほどであった。
 頭を挙げて山の上にある月を見て、月の光であったと知り、
 しみじみ眺めているうちに、故郷のことを思い、うなだれて
 物思いにふけるのである。


昨日の「二十四節気・寒露」にトラックバックを張ってくれた
ちょくさんの「十六夜の月」が見事な写真なのでお借りして
ここに掲載します。

 へたっぴ写真の部屋 http://blog.so-net.ne.jp/cho-i/

        

李白の「静夜思」がぴったりの月が出て、梢の隙間に月光がそそぐ。
高原の森の生活を顧みながら、故郷の穏やかな海を思い浮かべる。

月の光が波間にキラキラと輝いて揺れる。
漁をする船も月明かりに照らされてはっきりと見える。

ふる里で過ごした幾年月を海の景色とともに感慨にふける。

今宵は「寝待ち月」、月の出が遅いので寝て待とう。



隠れる夕陽

2006-09-27 | 雑感
  

写真は、お彼岸の頃の夕陽である。
真東から陽が出て、真西の遥か彼方に沈む夕陽。
天気さえ良ければ何処からでも眺められる美しい光景だ。

山の向こうに隠れるように姿を消す信州の盆地の夕陽。
白樺や落葉松の木々の隙間に、光をチカチカさせて名残惜しそうに
見え隠れしながら消えていく森の夕陽。
広い大海原の遠い水平線に、燃え尽きてまさに沈んでいくような夕陽。
島々が浮かぶ水面を、茜色に染めて島影に隠れる夕陽。
東京の高層ビルの谷間に落ちてゆく真っ赤な夕陽。

その風情や景色は同じ夕陽でありながら、見る場所によってさまざまだ。
そして見る人の心の在りようで大層違ったものにもなる。

秋は夕暮れが格別だ。

『枕草子』にもあるが、夕暮れ時にカラスがねぐらに急ぎ、雁が連ねて
飛ぶ姿や、陽が入り果てて、虫の音が聞こえてくるのも趣があっていい。

日の入りは一日の終わりを感じさせ、何故かほっとする。
今日一日の安堵に一息つきたい気分になる。
しかし、日本の何処かに、この夕陽を涙ながらに切なく眺めている人も
居るだろう。
あるいは暮れなずむ空など眺めていられない人が大半ではないだろうか。

夜の帳(とばり)がおりて、空には星たちが煌めき、月が光を反射する。

明日(あした)という字は明るい日と書く。

また東から陽が昇り、希望に満ちた光を浴びる。

喜怒哀楽

2006-09-21 | 雑感
人間には、「喜怒哀楽」の4つの感情がある。
その4つの感情を素直に表すことは、肉体においても、
精神衛生上においても、とても大切なことだ。

 「喜」は、誰しもが好み望むこと。
喜ぶということは、五感が、肉体がともに弾み、実に心地の
良いものだ。
それに伴って、夢や希望も見えてくることがある。

 「怒」の感情は、よく「怒り心頭に達する」等と表現する。
怒りを覚えた時は、大いに怒るべきだと思う。
怒りを、じっと我慢したり、コントロールをし過ぎると、心が
喘いだり、表情は厳しいものになる。
ただし、怒りの表現の仕方に、その人の人間性が如実に現れ
る感情でもある。
如何に表現するか、ぶつけるか、気を付けねばならないこと
だと思う。
相手に反感をもたれるような表現の仕方は、私は慎まなければ
ならない、と常々想っている。

 「哀」の感情は、哀しい時は思い切り悲しむべきだと思う。
涙が女性の象徴のように言われているが、男も悲しい時には
思い切り涙すればいい。
「男は泣くんじゃない・涙は恥かしい」とよく言われるが、哀しい
時に泣くために、男女平等に涙が用意されているのだ。

 「怒・哀」の感情を、コントロールし過ぎると、人間は“心の病”
にかかるのではないだろうか。
この2つの感情は、ともすれば「憎しみ・恨み」の感情へと導かれ
てしまうことが、多々あると思う。
「憎しみ・恨み」の感情の中からは、何も良いものが生まれないし、
育たないと想う。

 「楽」の感情は、心も全開で身体中で表現できる。
笑い声をあげたり、飛び跳ねたり、全身が浮き浮きして、実に心地
良いものである。

 「喜・楽」の感情の表現は、度を超すと周囲の顰蹙(ひんしゅく)
をかう場合があるが、人間としてちゃんと生きてさえいれば、その
あたりの節度は自然と身に付くものである。

人間は、ともすれば人目を気にして「喜怒哀楽」の感情を押さえ
ようとし勝ちである。

しかし、本来は素直に感情を表現するように、神が人間を創り給うた
と想う。

我が「愛娘」のメロンも、この「喜怒哀楽」の感情を実に巧みに表現する。
顔で表現は出来ずとも、眼で、声で、嬉しい時、楽しい時は全身で表現
して、私たちに訴える。

「素直なことは、いいことだ」

「知る」ということ

2006-09-19 | 雑感
人間はこの世に生まれて、生涯を終えるまでにどれ程のことを知るのだろうか?
膨大な数え切れない量の事柄を知るのだろう。
知るということは喜びでもあるが、 知らなかった方が良かったと思うことも
多々ある。
色んなことを知って人は成長するのだが、随分以前に「柳原宗悦」さんの著書
『心偈(こころうた)』を読んだことがある。
その中に、「見テ 知リソ ・ 知リテ ナ見ソ」という言葉があった。

「何か見てから知るのがいいのか、知った後で見なかったほうがよかった」と
いう意味なのだろうが、この言葉にはもっと深い意味があるように思えた。
 
私は、何かひとつのことを決める時、その事に付いての予備知識や先入観が
邪魔をしてしまうことがある。
 
「先ず見て、それに触れて、心に感じたことを素直に受け入れ、それを大切に
することが、一番大事なこと」ではないかと、私なりに解釈した。
先ず心の眼で見て、自然に無心にそのものと接し、そこから受けた感覚を大切
にして、横に置いていた予備知識、先入観と照らし合わせて見る。
 
感動と知識が、一体化すると豊かな遠近感のあるものとなるのではないか。
とは言えども、分かっていても実際にはできない事の方が多い。
 
難しいことは考えず、「知る」ということの喜びを追求すると、体感すれば
人は成長し、心豊かな人生がおくれるのではないだろうか。
 
この森で暮らし始めて、都会では体感できなかった感動を、数え切れないく
らい受けている。
自分の心の赴くままに、何かを見て、触れて、感じたことを素直に、真っ直ぐ
な気持ちで、心に受け止めたい。
形はなくても五感で感じたものを、ひとつでも多く心の中に溜めて生きたいと
思っている。

「知る」ということは、知識を人より多く持って、知識人として世の中に出て
振舞うことではない。

「知る」ことに喜びを感じ、心を豊かにすることが一番大切なことではない
だろうか。

車窓の景色

2006-09-16 | 雑感
          

     特急電車に乗ると

     ぼくは必ず窓際の席に座る

     窓から見えるのどかな風景

     田んぼや畑が通り過ぎていく

     たくさんの家が密集して建っている

     その一つ一つに生活がある

     そのひとりひとりに人生がある

     人生って何・・・・・・?

     これまで生きて来た自分の過去?

     それは知っている

     想い出としてちゃんと刻んでいる

     歩んで来た歴史がある

     じゃぁ、未来はどう?

     夢はあるけど・・・・・・

     何があるかわからない

     ぼくの人生はまだわからない

     電車は未来に向けてひた走る

     窓外の景色は

     ぼくの過去みたいにどんどん遠ざかる

     遠ざかって消えて行く

     微かな記憶だけがぼんやりと残る

     人生ってそんな不確かなもの?

     線路のすぐ脇の道を

     人が歩いている

     一瞬にして過去に追いやる

     人生って儚いものなの?

     いや、歩く先に未来がある

     走る先に未来が待っている

     人が生きるってことは

     未来を切り拓くこと・・・・・・




消えた赤いコート

2006-09-11 | 雑感
まだ結婚前の二十代の頃の話である。

私は東京の中央線の沿線の、六畳とキッチンだけのアパートに
住んでいた。
同じ沿線に、付き合っていた彼女がいて、時々私のアパートに
仕事帰りに立ち寄ってくれた。
彼女は近所のスーパーで食材を買ってきて、遅い夕飯を作って
くれた。二人は週に一回か二回はそうやって一緒に食事をした。

私は先週何年か振りに風邪を引いて寝込んでしまったが、風邪に
まつわる懐かしい想い出があった。

12月の二十日過ぎの頃であった。
街はクリスマスの飾り付けで賑わっていた。
折りしも風邪が流行っていて、電車の中はマスクをしている人が
多かった。

ご多聞にもれず、風邪をもらってしまった。
侘びしいひとり住まいの身、彼女に連絡だけして会社は休んだ。
彼女は毎日見舞いに寄ってくれて、雑炊やおかゆを作ってくれた。
会社は三日も休んだ。

若い頃の私は、風邪で寝込んだくらいでは不思議と食欲が落ちる
ことはなかった。
三日目の夕方、私は雑炊がすっかり飽きてしまって、彼女がびっ
くりすることを言ったのである。

「すき焼きが食べたいな。そしたら元気になるよ」と・・・・・

「39度も熱があるのに・・・すき焼き食べたいの?」

彼女は窓のカーテンレールに吊るしてあったワインレッドのコート
を着ると、出て行った。
スーパーに買いに行ったのである。

帰って来た彼女は早速キッチンに立って料理しだした。
30分くらいでぐつぐつ煮立ったすき焼きが出来上がった。
私は熱いのをフーフー言って食べた。
何故か彼女は食べようとしなかった。

「どうしたの?君、食べないの?」

「あまり食欲ないからいいわ、全部食べて」

彼女はそう言って、私が美味しそうに食べるのを嬉しそう
に見ていた。
結局ひとりで全部平らげてしまった。
あんなに美味いすき焼きは初めてだったような気がした。

彼女は、洗い物を片付けると、薬を飲ませ、氷枕を代えて
「ちゃんと寝ててね」と言って出て行った。

木枯らし吹く冬の夜道をひとりで帰って行ったのである。

後日分かったことであるが、その日は給料日前でゲルピン
だった。彼女は買い物に出た時はワインレッドのコートを
着て出たが、帰って来た時は着ていなかった。
一人前のすき焼きを作るために「質屋」でお金を借りたの
である。
自分が食べなかったのは、一人前のお金しかなかったから
に他ならない。

すき焼きを食べる時、そんな昔を想い出して笑う。
そのときの彼女が、妻のゆらである。