美術グループ「ベクトル」は来年(2011年)10回目の展覧会を迎えます。
今回は2002年に開催された第1回展「10のベクトル」のカタログより、「ベクトル」の誕生についてメンバーの中井幸一氏が寄せた文章を紹介させていただきます。

「10のベクトル」展の誕生
世紀末から新世紀にかけて、この国のアートシーンは大きな変化を見せはじめた。 予兆は20数年前から見られたが、決定的に印象づけたのは横浜トリエンナーレだった。 古いアート意識の中に居住していたわれわれは、次第に時代から乖離されていくような焦燥感にかられていたが、非日常的な聖別されたアートの概念からの脱却の糸口が掴めなかった。
そんな時一人の男が「われわれも“来て、見て、触って、楽しむ”ような作品を創ろうじゃないか」と周囲に語りかけた。 言葉をかえるとこれは「芸術作品」という概念を「芸術理念」という概念と交替させようという提案であった。 数か月後主旨に賛同した10人の仲間が集まった。 何回かミーティングを重ねた結果、各人が持ち寄ったネーミングの中からグループ名を選ぼうということになった。
それが図らずも各人の意識をあぶり出すリトマス試験紙のような役割を果たした。 30数案集った中には、自己解放、自己探索、グローピング(手探り)など、自己の意識を照射したものが多く見られた。
その中から「10のベクトル」というネーミングが採用された。ベクトルとは一定方向に向けるという意味で、「来て、見て、触って…」というコンセプトを踏まえながら、各人が自らの道を歩むというフレキシブルな語彙が共感された。 次のミーティングでは会場構成について具体案が検討された。当然の成行きとして各人が考えている作品の内容や大きさについて話し合われた。 一同はバーを越えるという意識では一致したが、越え方にはもちろん各人の主張があった。
ある作家は「芸術作品」という重い荷物を背負ったままバーをこえる方法を模索してみたいといった。 別の作家はインタラクティブな作品を通じて、来場者の参加を得て、展覧会場は作品鑑賞の場という既成概念を修正したいと語った。 さらに別の作家は作品の支持母体は従来どおりでもよいが、付加するコミュニケーションは他の分野のア-トと結び付いたノン・アートとして「芸術作品」という固定概念から解き離されたいといった。
今回の展覧会はスペ-ス的にみても、横浜トリエンナーレで一人の作家が占めていたのと同じぐらいのスペースを、10人の作家に割り当てるという、文字どおりの小さなスペースの実験である。 しかしわれわれは問題は各人が提起した実験の内容だと考えている。ぜひご来場いただき、有益なアドバイスをくださいますようお願いします。 (中井幸一)
今回は2002年に開催された第1回展「10のベクトル」のカタログより、「ベクトル」の誕生についてメンバーの中井幸一氏が寄せた文章を紹介させていただきます。

「10のベクトル」展の誕生
世紀末から新世紀にかけて、この国のアートシーンは大きな変化を見せはじめた。 予兆は20数年前から見られたが、決定的に印象づけたのは横浜トリエンナーレだった。 古いアート意識の中に居住していたわれわれは、次第に時代から乖離されていくような焦燥感にかられていたが、非日常的な聖別されたアートの概念からの脱却の糸口が掴めなかった。
そんな時一人の男が「われわれも“来て、見て、触って、楽しむ”ような作品を創ろうじゃないか」と周囲に語りかけた。 言葉をかえるとこれは「芸術作品」という概念を「芸術理念」という概念と交替させようという提案であった。 数か月後主旨に賛同した10人の仲間が集まった。 何回かミーティングを重ねた結果、各人が持ち寄ったネーミングの中からグループ名を選ぼうということになった。
それが図らずも各人の意識をあぶり出すリトマス試験紙のような役割を果たした。 30数案集った中には、自己解放、自己探索、グローピング(手探り)など、自己の意識を照射したものが多く見られた。
その中から「10のベクトル」というネーミングが採用された。ベクトルとは一定方向に向けるという意味で、「来て、見て、触って…」というコンセプトを踏まえながら、各人が自らの道を歩むというフレキシブルな語彙が共感された。 次のミーティングでは会場構成について具体案が検討された。当然の成行きとして各人が考えている作品の内容や大きさについて話し合われた。 一同はバーを越えるという意識では一致したが、越え方にはもちろん各人の主張があった。
ある作家は「芸術作品」という重い荷物を背負ったままバーをこえる方法を模索してみたいといった。 別の作家はインタラクティブな作品を通じて、来場者の参加を得て、展覧会場は作品鑑賞の場という既成概念を修正したいと語った。 さらに別の作家は作品の支持母体は従来どおりでもよいが、付加するコミュニケーションは他の分野のア-トと結び付いたノン・アートとして「芸術作品」という固定概念から解き離されたいといった。
今回の展覧会はスペ-ス的にみても、横浜トリエンナーレで一人の作家が占めていたのと同じぐらいのスペースを、10人の作家に割り当てるという、文字どおりの小さなスペースの実験である。 しかしわれわれは問題は各人が提起した実験の内容だと考えている。ぜひご来場いただき、有益なアドバイスをくださいますようお願いします。 (中井幸一)