生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
“病気は治そう、治そうと思うから治らないのです。 病気は本来無いと知ったらもう治っているのです” とおっしゃった。
すると青年は “人間は神の子で‘病気は本来無い’ということは聖典を読んでわからせていただきましたが、どうも、心の底から‘無い’と思いきることはできません。 それをどうしたら‘無い’と思いきることができるのですか? それを教えていただきたいのです” とたずねた。
谷口先生は “‘病気を無い’と思おうとするから‘無い’とは思えないのです。 ‘無い’と思おうとする心の中には、もう病気というものが存在すると前提されている。 そんな心で「病気は無い」などと考えようと思っても駄目である。 腹が減ったら、この腹が減るのをどうして治そうと考えても駄目である。 腹が減ったらご飯を食べればよいのである。 病気になったら、この病気をどうして治そうかなどとクヨクヨ考えては駄目である。 ‘ただ達者になったらよいのである’。 肉体の達者は達者という念の現われだから、もう自分は達者だと思ったらよいのである。 達者だと思えないのは心に隙があるからです。 心に隙があるのは暇だからです。 働きなさい” とおっしゃった。
“働いても疲れるのです” とその青年は言った。
谷口先生は “働いて疲れるのは、働くために働くからか、自分のために働くからです。 これをしてあの人を助けてやりたという気になって働けば疲れないのです。 ‘自他一体の力’ ― ‘全体’の力 ― ‘神’の力が加わるからです。 利己主義のために働いてはくたびれます ― 全体の力が流れ込まないからです。 私も会社で金を貰うために働いている間は疲れました。 人を助けたい ― こう思って 『生長の家』 を書き出してから疲れなくなったのです” とおしゃった。
『生命の實相』 頭注版 第34巻 道場篇 より