※この記事はPERSONA5 THE ROYALの終盤のネタバレを含みます。未プレイ・未閲覧の方はご注意ください。
ペルソナ5 ザ・ロイヤルというゲームのラスボスに、丸喜拓人という人物が存在する。
彼は自身のペルソナの力を用いて、現実世界を「誰もが幸せになれる世界」に書き換えようとしていた。
つらく苦しい出来事が一切起こらず、過去に起こった悲劇はすべて幸福な事象に置き換えられ、自分が望むままの人生を歩むことができる、そんな世界に。
彼は自身が抱える悲劇から逃避したく、また周囲の幸福を真に願った結果、現実を書き換えるという行動に至ったわけだが……
私からすれば、ありがた迷惑どころか真の絶望を与えられそうな行動だと思うのだ。
心理学の話題の1つに『自己決定理論』というものがある。今回は2019年に発表された論文から引用する。
自己決定理論によると、内発的動機、つまり人間のやる気には自律性・関連性・能力の3つが必要不可欠であるという。
平たく言えば、自分が物事の舵を切っているという感覚と、自分の行為が自他ともに影響を与えているという感覚と、自分が持つ能力をいかんなく発揮できているという感覚が、やる気の発生もしくは維持に不可欠なのだという。これらの要素をひとまとめにした言葉を用い、自己効力感がやる気の発生もしくは維持に不可欠であると説明してもよい。
そしてこれらの要素がそろったとき、人間は行動に楽しさを見出し、より質の高い幸福を求めようと努力し始めるのだという。
では、その逆は?
他人・周囲に物事の舵を切られているという感覚と、自分の行為が自他ともに影響をほとんど与えていないという感覚と、自分の能力にかかわらず物事が進んでいるという感覚がそろったとき、どうなるのだろう。
恐らく、やる気はほとんど生成されないはずだ。
自分の意志・能力では回避不可能な出来事が周囲から継続的に与えられたとき、生物は行動する気が失せてしまう。これを学習性無力感という。
この現象は特に虐待を受け続けた人に起こりやすく、それゆえに誤解されるのだが、学習性無力感のトリガーは『虐待』ではなく『虐待を受け続けた』ことである。
自分にはどうしようもない状況の継続が学習性無力感のトリガーであるため、どうしようもない状況というものが、例え客観的に見ても幸福であろう出来事であっても、無力感は発生し、やる気は失せていくのだ。
丸喜拓人が作った世界は、「誰もが幸せになれる世界」
つらく苦しい出来事が一切起こらず、過去に起こった悲劇はすべて幸福な事象に置き換えられ、自分が望むままの人生を歩むことができる世界。
言い換えると、自分の能力や立ち位置をまったく考慮せず、また今日に至るまでの苦楽のほとんどを否定され、ただ頭で思い描いた風景を、ほぼ強制的に与えられる世界となる。
日々研鑽することで沸き上がる情熱と、悲劇を再解釈することで得られる学びが投げ捨てられたその世界にあるのは恐らく、幸福ではなく、退屈。そして絶望。
そんな世界への招待状を、もし丸喜拓人から渡された場合、
あなたは、どう答えますか?
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参考文献
C.K.John Wang,Woon Chia Liu et al. (2019) Competence, autonomy, and relatedness in the classroom: understanding students’ motivational processes using the self-determination theory.