ばりん3g

「だから、失敗を無下にするのはやめてほしい」出版バイアスに対する現実的な反論

学術界隈には出版バイアスという言葉がある。

ものすごく簡単に言えば「思うような成果が得られなかったから、この論文は出さないでおこう」「失敗しちゃった研究は報告しないでおこう」とする傾向や、否定的な結果があまり出版されない事実からくる憂いを指す。

学術界隈も成功ばかりではなく、時に失敗や、まったく予想してない結果を得ることがある。心理学の研究ではこうなるだろうと仮説を立ててそれを検証するという流れがあるが、仮説どおりの結果が得られないことがある。

仮説通りの結果が得られなかった研究は学術誌等で掲載されづらい傾向にあり、転じて、掲載されないことを理由に失敗した研究をお蔵入りにしたくなる心理的傾向が発生する。これが出版バイアス。

「完成品が出るまで絶対に作品は出さない」「未熟なものは出さないし即削除」「どうせ評価されないから出しても意味ない」に近い心理状態と言える。

 

心理学の論文を2年で800本読んだ心理学徒は思う。

そのバイアスに従うのだけは絶っっっっっっ対に辞めてほしい。

私からすると、仮説を立てて、手続き組んで、結果が出て、仮説通りでしたっていう予定調和な論文は正直読んでて面白くない。いや学びがない訳じゃないのよ。でもそこで起こっているのは論理の補強であって発展ではないのよ。刺激的じゃないのよ。

仮説通りの結果が得られなかった論文はたくさんの示唆や発展のきっかけがある。既存の論文と照らし合わせて分析して、手続きの致命的な欠陥を見つけたり、違う理論形態を引用すれば一貫性のある説明が出来たり、あるいは純粋に「なぜそうなるのか」という新しいリサーチクエスチョンが出来たり。これがめっちゃ楽しいのよ。

この快楽に近いものとしては、自分の主張とは食い違う、或いは全く逆の主張が目に入ったとき。論文として掲載されているということは一定量の信頼性と妥当性が確保されている、つまりただ頓珍漢な発言ではないということ。であれば、私の主張と食い違う理由が必ずどこかにあると仮定が置けるし、それを議題に掘り進めることができる。自分の主張と相手の主張が食い違う原因が見つかって、それを踏まえるとどっちの主張も成立する一貫したグランドセオリーが見つかったときは昇天ものである。

 

単なる知識集積のためではなく、その分野の探求が目的の人にとって、失敗例というのはこれ以上ないぐらいの題材なんだ

そしてその探求をする場が学術であり、その探求の最たる材料となりうる失敗例がなかなか掲載されないのは憂うべきことである。直近読んだ100本のうち、得られた結果の大部分が仮説通りにならなかったと主張したのはたったの2本だけだもの。少なすぎるわ。

 

だから、失敗を無下にするのはやめてほしい。

失敗により心身が傷ついた人にとっては、酷な言葉かもしれないが。


論文を参考にいろいろ喋るブログです。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「小ネタ・雑談」カテゴリーもっと見る