「やっぱりいい年してちゃらく生きると最後は滅びると思う厳しくなるし、それが許容されるのは20代前半までかと思う、30歳40歳すぎた人間がチャラいとただの痛い人間ですが、やっぱり人間的な魅力のあるなしは残酷に差がつくと思う。」

(注:ネタバレあり)
ぼくは愛を証明しようと思う。
統計的な本を読んで技術習得が必要なので、丸の内オアゾに行ったら、ブロガーの藤沢数希氏の『僕は愛を証明しようと思う』が平積みにされていたので、買ってみました。
もともと、大学時代の友人が外資系金融企業へ興味を持っていて、それを知ってか大学時代から藤沢数希氏のブログ『金融日記』は読んでいました。しかし、最近金融ネタが金融クラスターの人々の間で知識不足や間違いを指摘され続け、最近は恋愛工学なるナンパ術をわりかしハイエンドな若手サラリーマン向けにメルマガを書いて稼いでているようで。どこか、この藤沢数希氏はニヒルな冷笑的なことが目に付きます。
恋愛工学はいろいろな方面から批判が多く、特に女性からの批判はすごいです。いちばんよく書けているのは、「外資系OLのぐだぐだ」でしょうか。
今さらながら恋愛工学を賛美する男性に思うこと
そして、『ぼくは愛を証明しようと思う』の内容なんですが、一言で言うと「いかに戦略的に論理的に合理的に多くの女をものにしていかにたくさんセクッスして攻略するか」という大変、下衆い内容になっています。
登場人物の名前が「ワタナベ」と「永沢」で、『ノルウェーの森』をばりばり意識しています。『ノルウェーの森』でもワタナベと永沢さんは新宿で片っ端からナンパして、女と寝まくるというゲスい内容があります。筆者は明らかに『ノルウェーの森』を意識しています。
外資系コンサルやら金融の黎明期時代の頃によくあるようなフレームワークを駆使して、ナンパで連絡をゲットした女性をグルーピングかけて、そこからPDCAサイクルを回して、「俺の家にDVDあるからみない」ってなんとか自宅に誘い込んでなんとか性交に成功という内容になっています。
実際、「俺の家にDVD見ない」って自宅にわざわざわ誘うってなんか意図が見え見えすぎてあれです。ちなみに私は自分のアパートに人を誘う勇気はありません(笑)立地的に微妙ですし。
いろいろ大学で習うようなマーケティングや会社の営業研修でやるような技術とかちりばめられて(ページング、ミラーリング、バックトラック、イエスセットなど)、まあ、よく調べたわね、という感じはします。女性の視線の送り方なども細かく書いてあってまあ、なんかこれ書いている筆者は律儀だなぁと思ってしまいます。
「ASCモデル」なんてフレームワークっぽく言っていますが、Attraction→Confort-Building→Seductionという流れになっているらしいです・・・(笑)マーケティングのAIDMAモデルのパクりやん、みたいな。
極めてゲスい本ですが、たった3つぐらいだけ意外な気づきを得る記述がありました。
(1)「非モテコミットというのは、お前みたいな欲求不満の男が、ほっとやさしくしてくれた女を簡単に好きになり、もうこの女しかいないと思いつめて、その女のことばかり考え、その女に好かれようとすることだ・・・・・女はこういう男をキモいと思うか、うまく搾取しようとするかのどっちかしかないんだよ」(p.50)「もうその女しかない、と思い込む。女は男のそんな一途な想いを、心底嫌うんだよ」(p.169)
(2)「友達フォルダだ。いったんこの友達フォルダに入れられると、そこからまた男フォルダに移動するのは至難の業だ」(p.51)
(3)「安心して心を開ける相手に、自分の話を聞いてほしいという欲求をみんな持っている。」(p.188)
ここで大事なことは、「余裕のない奴が必死になってもダメなものはダメ、さっさと諦めて違う行動をしろ」ということかと思えました。
残酷ですが、ダメな時ってとことん何をやってもダメなときがあります。認めたくないぐらい、ムカつく瞬間ですが、どうしようもならない事実にどう向きあって、機転を効かせて次のステップを踏むかが重要かと思いました。
あと、私は、モンゴルに行ってから「人間を簡単に信じちゃだめ」「性悪説も考慮にいれるべき」ということを学びました。人間全般に言えることですが、こういうドライな付き合いをし続ける末路ってどうなんだろうと思うところがあって。特に男と女の関係、人生の伴侶に関して。ってか、こういう考えを30歳すぎたいい大人がしていると、結構「痛い」かと思います。
なぜこういえるか・・・・それはタイとかモンゴルで30歳以上歳の離れた愛人を持つところの末路というか、そういうのを見てきて、本当に信頼出来る人と時間を共有できた方が、最終的には豊かに生きられるのではないか、と強く思ったからです。それは私が大学時代に気づいたところであるんですが・・・。強いすさまじいまでの性欲を持った年配者を見て、あんまり性を冒涜すると罰が当たるんじゃないの?と思ったんです・・・。
ただ、以外にもこの『僕は愛を証明しようと思う。』結末は、意外なもので、一人の女性をちゃんと愛そうとするんだけど、結局ナンパをするとう感じでした。これをどう解釈するかは人によりけりだと思いますが。
最後に塾員なのでツッコミさせていただくと、田町がよく出てくるのですが、p.25に「僕は三田商店街のラーメン屋に行った」とあるんですが、三田商店街でなくて「慶応仲通り商店会」が正しいです。ツメが甘い・・・・!

(注:ネタバレあり)
ぼくは愛を証明しようと思う。
統計的な本を読んで技術習得が必要なので、丸の内オアゾに行ったら、ブロガーの藤沢数希氏の『僕は愛を証明しようと思う』が平積みにされていたので、買ってみました。
もともと、大学時代の友人が外資系金融企業へ興味を持っていて、それを知ってか大学時代から藤沢数希氏のブログ『金融日記』は読んでいました。しかし、最近金融ネタが金融クラスターの人々の間で知識不足や間違いを指摘され続け、最近は恋愛工学なるナンパ術をわりかしハイエンドな若手サラリーマン向けにメルマガを書いて稼いでているようで。どこか、この藤沢数希氏はニヒルな冷笑的なことが目に付きます。
恋愛工学はいろいろな方面から批判が多く、特に女性からの批判はすごいです。いちばんよく書けているのは、「外資系OLのぐだぐだ」でしょうか。
今さらながら恋愛工学を賛美する男性に思うこと
そして、『ぼくは愛を証明しようと思う』の内容なんですが、一言で言うと「いかに戦略的に論理的に合理的に多くの女をものにしていかにたくさんセクッスして攻略するか」という大変、下衆い内容になっています。
登場人物の名前が「ワタナベ」と「永沢」で、『ノルウェーの森』をばりばり意識しています。『ノルウェーの森』でもワタナベと永沢さんは新宿で片っ端からナンパして、女と寝まくるというゲスい内容があります。筆者は明らかに『ノルウェーの森』を意識しています。
外資系コンサルやら金融の黎明期時代の頃によくあるようなフレームワークを駆使して、ナンパで連絡をゲットした女性をグルーピングかけて、そこからPDCAサイクルを回して、「俺の家にDVDあるからみない」ってなんとか自宅に誘い込んでなんとか性交に成功という内容になっています。
実際、「俺の家にDVD見ない」って自宅にわざわざわ誘うってなんか意図が見え見えすぎてあれです。ちなみに私は自分のアパートに人を誘う勇気はありません(笑)立地的に微妙ですし。
いろいろ大学で習うようなマーケティングや会社の営業研修でやるような技術とかちりばめられて(ページング、ミラーリング、バックトラック、イエスセットなど)、まあ、よく調べたわね、という感じはします。女性の視線の送り方なども細かく書いてあってまあ、なんかこれ書いている筆者は律儀だなぁと思ってしまいます。
「ASCモデル」なんてフレームワークっぽく言っていますが、Attraction→Confort-Building→Seductionという流れになっているらしいです・・・(笑)マーケティングのAIDMAモデルのパクりやん、みたいな。
極めてゲスい本ですが、たった3つぐらいだけ意外な気づきを得る記述がありました。
(1)「非モテコミットというのは、お前みたいな欲求不満の男が、ほっとやさしくしてくれた女を簡単に好きになり、もうこの女しかいないと思いつめて、その女のことばかり考え、その女に好かれようとすることだ・・・・・女はこういう男をキモいと思うか、うまく搾取しようとするかのどっちかしかないんだよ」(p.50)「もうその女しかない、と思い込む。女は男のそんな一途な想いを、心底嫌うんだよ」(p.169)
(2)「友達フォルダだ。いったんこの友達フォルダに入れられると、そこからまた男フォルダに移動するのは至難の業だ」(p.51)
(3)「安心して心を開ける相手に、自分の話を聞いてほしいという欲求をみんな持っている。」(p.188)
ここで大事なことは、「余裕のない奴が必死になってもダメなものはダメ、さっさと諦めて違う行動をしろ」ということかと思えました。
残酷ですが、ダメな時ってとことん何をやってもダメなときがあります。認めたくないぐらい、ムカつく瞬間ですが、どうしようもならない事実にどう向きあって、機転を効かせて次のステップを踏むかが重要かと思いました。
あと、私は、モンゴルに行ってから「人間を簡単に信じちゃだめ」「性悪説も考慮にいれるべき」ということを学びました。人間全般に言えることですが、こういうドライな付き合いをし続ける末路ってどうなんだろうと思うところがあって。特に男と女の関係、人生の伴侶に関して。ってか、こういう考えを30歳すぎたいい大人がしていると、結構「痛い」かと思います。
なぜこういえるか・・・・それはタイとかモンゴルで30歳以上歳の離れた愛人を持つところの末路というか、そういうのを見てきて、本当に信頼出来る人と時間を共有できた方が、最終的には豊かに生きられるのではないか、と強く思ったからです。それは私が大学時代に気づいたところであるんですが・・・。強いすさまじいまでの性欲を持った年配者を見て、あんまり性を冒涜すると罰が当たるんじゃないの?と思ったんです・・・。
ただ、以外にもこの『僕は愛を証明しようと思う。』結末は、意外なもので、一人の女性をちゃんと愛そうとするんだけど、結局ナンパをするとう感じでした。これをどう解釈するかは人によりけりだと思いますが。
最後に塾員なのでツッコミさせていただくと、田町がよく出てくるのですが、p.25に「僕は三田商店街のラーメン屋に行った」とあるんですが、三田商店街でなくて「慶応仲通り商店会」が正しいです。ツメが甘い・・・・!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます