母が乳がんになりまして・・・。

40歳アラフォーのシングル女です。母が乳がんであることがわかり、これからは乳がんと向き合う日々。

退院して10日経ちました

2011-07-04 21:35:06 | 切除後の生活
6月24日に退院してから、
気が付けば、10日経ちました。。。

なにが一番つらいって、母曰く、
「とても疲れやすい」ことだそうです。

痛みはもちろん常にあるので、鎮痛剤と保冷剤で冷やし・・
ということを日々しているのですが、
痛みは、少しずつひいてきています。

ただ、69歳(11月で70歳です)という高齢なことも
あり、たった2週間の入院ですが、
かなりの体力の低下、なようです。

ベットを居間に設置したこともあり、
何かしていてもしんどくなったら休めるようにと退院した日に
いろいろと退院後の生活を苦痛なく過ごせるようにしたのですが。

こればっかりは、
本人にがんばってもらうしかなく。
痛みは鎮痛剤で緩和させ、とりあえず、患部は安静に、そして
身体はできるだけ動かす時間を増やすようにと常々言ってます。

若ければ、復活も早いのですが、
高齢なため、入院前とおりに急な動き、できると思っていても
足が上がっていなくって転倒・・てことになったら
それこそ、乳がんどころではなくなります。
・・・寝たきり老人・・・
それだけは避けなければならないので、
母にも少しずつがんばるようにって言っています。

母退院後、
高齢のWANにイボができてしまい、その週の日曜に獣医さんへ。
そして、昨日はWANのイボ切除(局所麻酔)。これは、
あっという間に終わったんですが・・・

ようやく、ほっとした感じです。

退院後、家族に話す

2011-06-26 16:02:31 | 退院
本当は、24日金曜日に母は退院しました。
しかし、最も扱いにくい、家族(父と妹)へは、「月曜に退院」といってます。

それは、26日日曜に父方の伯父の3回忌であり、先に金曜に退院と言ってしまうと、
家にぞろぞろと面倒みてほしい父の姉がやってきます。
「退院おめでとう」という顔をみせつつ「しんどいときはお互いに助けあわな」と
いっているおば。

それが、目に見えているので
母は「月曜退院」にしてほしいとの希望でした。

2週間足らずの入院期間ですが、かなり体力低下しています。

なので、家事は大半まだ私がしており、大きな買い物なんかもしています。

母は、犬の散歩くらい。

そのくらいしないと、本当に体力低下をきたしてしまうので、少しずつ歩くように
言ってます。

金曜に発達障害の妹へ連絡しました。
まだ創部が完全に治癒していないので、創部痛や創部からの浸出液が出るという
ことを考えると、4歳くらいの男の子供は非常にやっかいです。
元気なころでさえ、この子がやってくると
「疲れた」と連発して、家のことな~んにもしない始末。
そして、もう一つ、妹は年老いた70前の母がなんとか言っているパート(生活費)
なのに、その中から生活雑貨を母に購入してもらう状態

これには、私も怒り心頭
いい加減にしろ、です。
子供も保育所に入れて、自分はフリーになっているのに自分で買いに行かない。
なんだそりゃ

そのあたりを含めて、
退院後、1ヶ月は療養期間。
なので、子供は禁止。
年老いた両親を頼らず、自分で何でもするように自立するいい機会だから、と
メールしました。

いつもは、メールすると、即返事してくるタイプなのに、未だに連絡なし。
母には、今日「お姉ちゃんから聞いたから、お母さんが元に戻るまでは待ってるから」と
連絡してきており、母が「お姉ちゃんに返事しておきなさい」と言ったにも関わらず、
連絡ない・・・

このまま連絡なければ、
今日の夜には「メール読んだのか」と「都合の悪いこといわれたら無視」というのは
40歳前の大人がすることか、と。
元もとキレルタイプなので、そのあたりを心配しているメールを送るつもり。

いい加減にしてほしい。

ま、妹が今後どうなろうとなんらしらないが、
母に対して影響を及ぼすのは非常に困るから。

本当に目をさましてほしい。

発達障害だし、実家は田舎で、周囲にもそういうことを理解しているような環境下では
ないので、きっと「かわったひと」であの子の人生は終わっていくのだろう・・・
それもかわいそうなことだ。
わかっているのに、それがうまく伝えられないのは。
母もわかっているけど、小さいころから障害もあったし、いじめにもあっていたから・・という
負い目もあるのか、ここってところが、言えない。

親しかもう言ってもらえないのに。
親もこの状態。


ま、これも人生なのかな。


今は、母がとりあえず元気になってよかった。


退院

2011-06-24 21:19:30 | 退院
今日は、母が退院しました
6月13日に入院、6月16日に手術、そして、今日、24日退院

乳がんが見つかって、約1ヶ月足らずで、終わりました

同室の患者さんがたにも見送っていただき、
みなさんで連絡先交換し。。。

本当にみなさんと前向きに話ししながら、心のケアも終わって。。という感じです。

ワコールのリマンマ下着も昨日の夜に届き、今日は初めてつけました。

「とっても着け心地がい~~~」と。


家に帰ってきて、WANと再会~
涙涙の感動か?・・・と思いきや、
WANはいつもと違う母のニオイに戸惑っている様子で、むしろ私のほうばかり
見ていましたね。。。

すぐに、いつものWANになりましたけど


本当は十分温存で可能な状態だったのですが、思い切って全摘。
これで、放射線療法もなく、スッキリ終わり

あとは、定期的な外来での診察ですね。

私もこの2週間ほど、気が休まらない上に、仕事・WANとNYANの世話・仕事等・・・
ようやく、ほ~っとしました

術後4日目~新しい下着

2011-06-20 19:44:46 | 術後
昨日の日曜日。
母から「もう元気だから今日は来なくっていいよ」と言われ、
甘えて、1日家での用事をして過ごしました。

母が帰ってくる準備も。
くもりだけど、梅雨の合間でもあり、
シーツや枕カバーなどをお洗濯したり、
ワコールのリマンマ下着を購入する前に、近くのスーパーの下着売り場に
あった前開きのブラジャー(ゆったりサイズ)を購入。

久しぶりに、私の趣味でもある「うさぎさん作り」し始めました。
なんだか、集中しているとちょっと気持ちも楽に。

今日は、下着を持っていきました。
母から「調度いいよ~」と。

創部に入っているドレーンは、水曜日くらいに抜去できそうと先生から。
チューブ内の排液の色も黄色に。

痛みもなく、シャンプーも自分でしています。

リンパ節を郭清しなかったので、随分と楽なようです。

同室の術後にお世話になった2人も日曜、月曜と相次いで退院。
今は、2日前に子宮筋腫で入院した方と2人。
その新しい人は明日手術です。
その方ともすっかりとなじんでいて、「みなさんからの流れで・・」といい雰囲気。

おかげさまで、母の退院も見えてきました。

術後2日目

2011-06-18 17:48:28 | 術後
母は、16日の9時過ぎに手術室に入り、おおよそ1時間ほどの手術を受けました。
術直後は、「痛い・・痛い・・」「今まで生きてきた中で一番痛い・・」とうなってました。

その後、少しずつ鎮痛剤が効いてきて、ましになってきました。

母は、本当に初期だったので、
「一番簡単な手術で終わりました」
「ご希望とおり、全摘しました。リンパの転移はなかったのでリンパは取っていません」
「チューブが1本入ってますが、あくまで傷口からの出血を逃がすためのもの。リンパではありません」
「人それぞれ、違うので、3日~7日抜けるのに日がかかります」

で、術後2日目をむかえた母は、
とっても元気になってました。

朝はすこし痛かったので、昼にロキソニンを服用し、15時にはすっかり痛みもなくなって
きていると。
午前中は看護師さんにシャンプーしてもらい、16時~下半身のシャワーをすると。

昨日、病院前の信号のところまで10分足らず歩いただけで、
とってもしんどかった・・こんなに体力落ちているんだな、と感じたと。

そりゃそうですよ。だって、69歳ですから。


今日は、傷口のドレーンからは、
血液~黄色混じりに変わりつつありました。
傷口もきれいで、腫れもなく、
美容テープで止めてありました。
すごくへっこんだ感じはなく、驚くほどではなかったので、母もすこし気持ち楽になってます。

このまま順調にいけば、来週末には退院の予定です。

ということで、昨日私は、ワコールの「リマンマ」のカタログをもらいに行って、
母と見てました。
手作りパッドの作り方や、今あるブラジャーの補正の仕方、などなど・・
退院までに前開きの分を購入できるかな~