お好み夜話-Ver2

カラダにいいことをやめてみる

「あきらめる」という言葉がある。

漢字で書くと「諦める」と書くことが多いし、この歳になるまでそれしかないと思っていた。

「大辞泉」での意味は、
「もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する」
とある。

多くの人は「あきらめる」にこの意味しかないと、漫然と信じていると思う。

このオヤジもそうだった。


何千年も前の中国で書かれた「易経」で、「易」と「不易」という考え方があるそうだ。

街角の当たるも八卦、当たらぬも八卦の胡散臭い「易者」のことは取りあえずおいといて、「不易」というのは変わらないこと、例えば季節の運行、昼夜の流れ、老化などで、それに対して「易」というのは体調など変化し続けるもので、変わって行く「易」のカラダを季節や天候に合わせながら生活することが健康を保つ秘訣だと説く。

そしてそこには、若返り、不死といった不自然な考え方はなく、人は皆歳をとり続け、老いて、いつかは死んでゆく。

そんなカラダの変化を潔く認め、受け入れる。

それが「諦める」=「悟り」という意味で、現代医学では「敗北」と考えられている「死」さえも、人の変化の一環として美しく認めようという考え方を何千年も前の人は受け入れていた。


ちなみに辞書で「明らめる」と引いてほしい。

そこには、
「事情や理由を明らかにする。はっきりさせる。心を明るく楽しくする。気持ちを晴れやかにする」
と書かれている筈だ。

世間一般で流通している負の意味の「あきらめる」とは違う意味が、じつはあったのだ。


久々にいい本に出会った。

それが

「カラダにいいことをやめてみる」。

著者の「桜井竜生」氏は、ブラックジャックに憧れ外科医になり、そこから漢方医に転身した経歴を持つ。

本の帯に書いてあることを羅列してみよう。

○ 医者なのに僕がクスリを大嫌いなワケ
○ 健康法は足し算から引き算の時代へ
○ サプリメントは不安に効く宗教
○ 言いわけのために飲む薬
○ 高級料理よりコンビニ食が健康的な時
○ 現代医学は体を機械としか見ない
○ 漢方が怪しいと思われてしまう理由
○ 病気は「むりやり」見つけるものではない


この本の中では、医師としての実体験に基づいた「あきらめ」で、もともと備わっているカラダという計測器のセンサーを鋭くして病気や不調の前兆を感じ、自らの自然治癒力を高めるため「カラダにいいことをやめる」引き算の健康法を説く。

この考えはまさに今ポンコツオヤジが実践していることで、それを専門家の立場で平易な言葉と説得力のある事例で述べている。

まえがきを読んだだけで、この人こんなことを書いて仲間から突き上げられるんじゃないか、と思ってしまうほど、真実を述べている。

その一文、
「本来なら、医者の寿命は、ほかの職業の人のそれより長いはずである。・・・・(中略)・・・・健康を学んだはずの医者自身が、自分を守れない。それが現代の医学である。医者に自分の健康管理をまかせたり、『医者が言うことは全部聞こう』なんていうのはナンセンスだ」

そうなんだよねぇ。

人が病気になるかならないか、どのくらい生きられるか、いつ死ぬか。

そんなことは医学的知識を持っていようがいまいがわからないし、はっきり言って予測不能だ。

エラそうに患者のことを怒る医者、上目線の医者だって、明日はどうなるかわからないのが最先端の現代医学で、今常識とされている治療が5年、10年後にはまったくデタラメになるという巨大な医療パラダイムが目の前に迫っているかもしれない。

そのときそのときで狼狽えて、人の言いなりになり、あれやこれやを取り入れて悪あがきするより、「明らめる」こと。

そしてカラダの声を聞き、カラダが求めることをする。

そうありたいと、心から思う。

「諦め」られない人、ぜひこの本を読むことをお勧めする。


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