走行する電車の窓から外を見ると、道路が鉄道と平行して走っている。
ふと気配を感じて過ぎ行く景色を振り返ると、一陣の突風のように電車に追いついてくる影がある。
あっエイトマンだ
はたまた、あっサイボーグ009だ
そんな空想をしながら電車に揺られていた頃があった。
規格外の疾走感、有り得ないスピード、だけど「がんばれっ !! 」と応援したくなる熱い想い。
そんな衝動が突き上げてくる物語。
何のアテもなく入った本屋でふと手に取った一冊の帯に書かれたキャッチコピー、表紙の裏側の概略を読んで震えた。
このプロットは10年以上も前に考えていたものだ・・・・。
しかもまったく違う身近なストーリーで、たぶんベタだろう・・・・。
一度本を平棚に戻して、その場から離れた。
しかし心残りで、しばらくしてまた戻り、買った。
それが「走れ、健次郎」
表紙の絵も、タイトルもベタだ。
でも、なぜか惹かれる。
マラソンシーズン到来で、毎週のように駅伝がテレビ放映されるが、中継車が伝えるランナーの映像に映り込んでくる沿道を走る子ども達や追いすがろうとする自転車の人など、キロ2分台から3分という一般人では考えられないスピードで疾走するランナーに一瞬並走し消えてゆく人々。
テレビを通してだとその圧倒的なスピードはあまり感じられないかもしれないが、現場にいたら首をシュッと左右に振るほどの速さだ。
それがトップランナーが42.195㎞を走るサブテン(2時間10分以下)の実力で、沿道を興味本位で走る素人が並走できるのはほんの一瞬だけだ。
だが、その猛者達に中間地点を過ぎても食らいついてゆく沿道をひた走る謎のランナーがいたとしたら
彼が誰で、何のために栄光のゴールが有り得ない戦いを続けているのか
このレースはどこかが変だと、盛岡初の国際マラソン大会の中継を担う実況アナウンサー「桜井剛」が漠然と感じていた疑念が明らかになったとき、非公式のもうひとつのレースが沿道とネットで盛り上がり、やがて東京のキー局や大会スポンサー、陸連までも巻き込んで非常識な共感の輪が広がり、謎の沿道ランナーの走りが人々の魂を熱くさせてゆく。
なんというどストレートな話しだろう。
そして架空の盛岡国際マラソンの中継車に同乗しているかのような臨場感。
マラソン中継まるごと体験の一冊を、それこそサブテンの速さで一気読みした。
この数年で最速の一気読みだろう。
ただ単純に面白い、マラソン小説 ? というジャンルがあったら文句なくベスト1に推したい。
まあそうは言っても、マラソン歴も6年ほどになり場数だけは踏んでいるこのポンコツランナーから見たら、ちょっと都合が良すぎる場面もいくつかある。
だがそれを上回るほどの主人公「健次郎」への感情移入と、関わった人がみなハッピーになるどストレートな楽しさが補って余りある。
それに筆者が実際に岩手放送の人気アナウンサーであることも、局アナ「桜井剛」の心情と共にこの実況中継をリアルに伝えて面白い。
だけどほんとに、この本のタイトルと表紙絵はベタだなぁ。
買うのは恥ずかしいかもしれないけれど、読み出したらそれこそゴールまで止まらない一気読み必至だから、時間と場所を考えないとね。
さて、ひとっ走りしてこようかな。
10年以上前に考えた「走れ健次郎」と似たプロットとは ?
安政の大地震(1855年)で現代にタイムスリップした飛脚の主人公が、マラソン大会を目の当たりにして自分がいかに走ることを欲していたかをあらためて知り、沿道を衝動的に走ってトップランナーを追い抜くことで見いだされ、やがて正式にマラソン大会にエントリーし、世界の強豪達と勝負するというお話し。
10年以上も前ということは、まだマラソンのマの字も志していない時期だったが、亡くなったじいさんがマラソン好きでテレビでよく見ていて、それを見るともなしに眺めていて沿道を走る観客に思いを馳せて考えたのだった。
しかし、しょせん文才がないうえマラソンのことも興味がなかったため形にできず今に至るわけで、それだけにストレートに描かれた「走れ健次郎」に痺れるような感動を覚えたのだった。
お粗末・・・。
最新の画像もっと見る
最近の「読んでナイト」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事