33年間待ったのだ。
それはスターウォーズとは違った意味で、その後のシリーズで誰もが謎に答えようとしなかったからだ。
映画「プロメテウス」を観た。
実は、先行ロードショーですでに観ているのだが、納得できなくて再び観たのだった。
⚠⚠⚠ !!
ここから先は我知らずネタバレをして仕舞うだろうから、まだ観ていなくて、これから観ようとしている方は、読まないほうがいいかもしれない。
しかし個人的には、「エイリアン」と違って謎は「な~んだ」という程度だったが、「エイリアン」など観たこともない人には普通のSF映画として楽しめるかもしれない。
なまじ「エイリアン」シリーズを観ている人ほど、よほど落胆が強いかも・・・。
それでは始めよう、残念な33年後の感想を
まずは → 「ウェイランド」社の公式サイト をご覧頂きたい。
この作り込み、このバックグラウンドの重厚さ、33年の間に物語の核をなす企業のブランディングが完璧になったようだ。
このサイトでは2023年という設定だが、これから100年近く後に宇宙貨物船「ノストロモ号」はソロモン星群からの帰還中、地球へのコースを大きく外れ、ゼータ第2星団近くの惑星LV-426で異星人の宇宙船を発見し、そしてエイリアンと遭遇するのだ。
だがその前の2093年、宇宙船「プロメテウス号」は「エンジニア」と会うべく、2年以上の航海の果て衛星LV-223へ到達する。
ここですでに答えは出てしまった。
まず、人類を作りたもうたのが創造主だとしたら、「クリエイター/Creator」でなければおかしいのに、「エンジニア/Engineer」だと登場人物は言っている。
つまり彼らは「神」を求めて行ったのではなく、ダーウィンの進化論はまったく無視して、遺伝子操作で創りだされた人類の製作担当者だとわかって行ったということになる。
何のために という疑問は、「ウェイランド」社の創業者「ピーター・ウェイランド」のセリフ通りならば滑稽だ。
「リドリー・スコット」監督は「エーリッヒ・フォン・デニケン」の「古代宇宙飛行士説」に傾倒したことがあるということだが、日本の漫画「強殖装甲ガイバー」を事前に読んでいたら、もうちょっと違う展開があり得たかもしれない。
いやひょっとして、充分「ガイバー」を読み込んだうえでの「プロメテウス」だとしたら、33年前の「スペースジョッキー」の謎を絡めるのは容易だろう。
「ガイバー」の降臨者=エンジニアだとすると、やることはひとつ、地球という星を実験場として生体兵器の開発を行うことだ。
そしてその生体兵器=人類が出来損ない(危険)だとわかったから、廃棄、もしくは破壊するのだ。
さて上記のことは、33年待ち望んだオヤジの知りたいことのほんの末節だといっていい。
監督の意図や映画会社の思惑がどうだろうと、そこにどうエイリアンが絡むのかということが最大の関心なのだ。
第1作「エイリアン」から派生したオールドファン(あえてこう呼ぶ)の疑問は、大きくふたつに分かれる。
その1,エイリアンはどこから来たのか、土着の生物なのか ? あの無数の卵はどんなヤツが産み落としたのか ?
その2,巨人「スペースジョッキー」は何処から来て、何をしようとしていたのか、なぜエイリアンにやられたのか ?
エポックメーキングな映画「エイリアン」は大ヒットし、続編が「ジェームス・キャメロン」の手で作られた。
そのタイトルはズバリ「ALIENS」。
惑星LV-426に残された無数の卵と悪夢と戦うために再び訪れた「リプリー」のその後を描いた、アクション映画として。
疑問のひとつにシリーズ2作目は応え、「リプリー」の物語として展開してゆく。
そして「スペースジョッキー」が何処から来て何をしようとしていたのかという疑問には誰も答えず、33年が過ぎたというワケだ。
すでに出ている答え、「リプリー」の物語として展開する「エイリアン」の舞台は惑星LV-426だが、「プロメテウス」の舞台は衛星LV-223だということ。
そこには「H.R.ギーガー」デザインの人体のメタファーたる宇宙船や、少々スケールダウンした「スペースジョッキー」もいたが、1作目の前日譚としては納得がいかない部分のほうが多い。
そう「プロメテウス」は、まったく違う次元のお話しなのだ。
そう考えれば「エイリアン対プレデター」シリーズも、異星のクリーチャーを狂言回しにした「ウェイランド」社の社外秘として成立する。
(もっともプロメテウス以降、ウェイランド社は日本企業のユタニ社と合併してウェイランド・ユタニコーポレーションとして登場するのだが)
33年という年月は、ストレートに前日譚を描けない事情を生んだのだろう。
しかしどうせ最後に出てくるなら、過程のクリーチャーももうちょっと気が効いた造形にしてくれればいいものを・・・。
まったく西洋人は、触手が好きで、イカ・タコをデビルフィッシュなんぞと言ってゲテモノ扱いするから、毎度おんなじような造形になってしまうのだ。
「H.R.ギーガー」のデザインを、再び起用してくれればよかったのだ。
ヤツラが出てきただけで、映画がシラケてしまう。
そういう意味で、「プロメテウス」はエポックメイキングに成り得ない、大風呂敷を広げすぎた映画と言えよう。
すでに続編が進行中というが、取り敢えず「リドリー・スコット」が監督なら一応は観る。
その程度な、33年目の残念だった。
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mogmas
投げ子
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