東京にいた俺は現地にいなかったことに後ろめたさをおぼえ
帰る足を失った焦りに毎日羽田に通った
しかしチケットは取れず毎日が過ぎていく
当日は帰り支度を整えて朝4時に羽田に向った
やっと最終便のひとつ前を取れて時間まで羽田で過ごした
何とか山形空港に降りた時は武者震いして
空港からの満員のバスに乗り込み山形駅へと
タイミング良く仙台駅行のバスは待つこと無く乗り込み
助手席含めて満員の車内は羽田での顔ぶればかり
お互い誰ともなく現地を案ずる会話でバスは仙台駅へと急いだ
駅前さくらの百貨店で降りた俺はすぐに東京の母親に電話して無事を伝え
この先何で帰るか途方にくれた
不思議と案じる俺の前に高砂駅行のバスが表れ
慌てて乗り込み目的の駅まで到着したが
国道45号線の街灯はある地点から真っ暗
家まで歩くすがら照明はどこにもない
とぼとぼ帰る道の空はやけに星空がまぶしかった
十人十色と言うが十人十難の世界は日常から真逆の世界で
自然と涙が溢れ明日から生きていくぞと心に誓った
数ヶ月はご存知のように食べ物を探しながらの生活だった
溢れる情報に耳を傾け涙する毎日が続き
知り合いと合うと男女問わず風呂に1週間2週間入ってないと自慢げに
生きるに一生懸命だった
あれから6年生活は戻ったがまだまだ非日常の生活をしている方々が・・
もう我々だけで良い
語りつくせね出来事に口を閉ざし
心病む多くの方々
追い打ちをかけた放射能
もうごめんだ
人間が制御出来ない物はいらない
まだまだ終わらない被災後
経験した者しか理解出来無い事柄
学べない愚か者達
それでも生きていくんだ
長々と取り留めも無く書いてしまいました
有難うございます