一期一会
2012-04-27 | 日記
いちご-いちえ【一期一会】生涯にただ一度まみえること。一生に一度限りであること。(広辞苑)
『平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである』(wikipedia)
・・・という意味なんだそうです。僕はてっきり『一生に一度の偶然の出会い』という意味だと解釈していたので、少し勘違いしていました。
さて、昨日ジムへ向かう途中に昼食をとろうとSweet Tomatosというサラダバーのあるレストランへ立ち寄った際の出来事です。事前精算制なのでレジで並んでいると、前に並んでおられた80代前後のおじいさんが杖を壁に立てかけたまま前へ進んでいかれました。僕は慌てて『お忘れ物ですよ!』と言って杖を片手に近寄ると、『あぁ、ありがとう。大事な物を忘れるところだったよ。』と言って笑顔で受け取られました。ここまでは何でもない、よくある話です。
そのおじいさんは僕の顔をしばし眺め、『君は中国人か?』と聞いてこられました。ここまでもよくある話です(笑)
僕が『いえ、日本人です。』と答えると、『日本人! (日本語で)ドコ!?』と返してこられたのです。例えばこれが『コンニチワー』等なら決して珍しいことではありませんが、5W1Hが使えるというのは多少なりとも日本語がわかる証拠です。
『名古屋と言う都市ですが、ご存知ですか?』(正確には名古屋から約50kmも離れている【いなべ市】という田舎町ですが、そんなことを答えてもわかってもらえるはず無いので大概は名古屋出身ということにしています)
と返すと、『知っているとも!私は日本に5年も住んでいたんだ!』と言われるではありませんか!
この年代の方で以前日本におられたというのは、殆どが米軍関係のお仕事に従事されていた方ではないでしょうか。審判学校でお世話になった【サージ】こと、ディック・ネルソンもその一人です。案の定、この方も米軍に在籍中に横浜、立川、別府、そして沖縄と、計5年間を日本で過ごされたそうです。
『よかったら一緒に食事しないか?妻がそこにいるんだが、君さえよければ是非!』と言われるので、断る理由などありません。奥様は最初こそ驚いておられましたが、快く相席させてくださいました。
おじいさんの名前はArtさん、この6月で88歳になられるそうです。日本におられたのが朝鮮戦争がこう着状態になった1951年からということですから、今から約60年も前のことです。それでも、時折日本語を並べながら日本での思い出を沢山語ってくれました。
60年も前のことですよ!考えられますか?少なくとも、僕は60年後にアメリカで審判していたことを事細かに覚えている自信がありません(というか、60年後に生きている自信すらありません)。
その後僕はジムへ行かなくてはいけなかったので一足先に失礼しましたが、名前とメールアドレスを書いたメモを渡してくれました。お礼のメールを出したところ、しっかりと返信までいただきました。本当にお元気なおじいさんです。
タイトルの一期一会とは少し違っているかもしれませんが、このような偶然の出会いもあるのだと再認識したのでした。
『平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである』(wikipedia)
・・・という意味なんだそうです。僕はてっきり『一生に一度の偶然の出会い』という意味だと解釈していたので、少し勘違いしていました。
さて、昨日ジムへ向かう途中に昼食をとろうとSweet Tomatosというサラダバーのあるレストランへ立ち寄った際の出来事です。事前精算制なのでレジで並んでいると、前に並んでおられた80代前後のおじいさんが杖を壁に立てかけたまま前へ進んでいかれました。僕は慌てて『お忘れ物ですよ!』と言って杖を片手に近寄ると、『あぁ、ありがとう。大事な物を忘れるところだったよ。』と言って笑顔で受け取られました。ここまでは何でもない、よくある話です。
そのおじいさんは僕の顔をしばし眺め、『君は中国人か?』と聞いてこられました。ここまでもよくある話です(笑)
僕が『いえ、日本人です。』と答えると、『日本人! (日本語で)ドコ!?』と返してこられたのです。例えばこれが『コンニチワー』等なら決して珍しいことではありませんが、5W1Hが使えるというのは多少なりとも日本語がわかる証拠です。
『名古屋と言う都市ですが、ご存知ですか?』(正確には名古屋から約50kmも離れている【いなべ市】という田舎町ですが、そんなことを答えてもわかってもらえるはず無いので大概は名古屋出身ということにしています)
と返すと、『知っているとも!私は日本に5年も住んでいたんだ!』と言われるではありませんか!
この年代の方で以前日本におられたというのは、殆どが米軍関係のお仕事に従事されていた方ではないでしょうか。審判学校でお世話になった【サージ】こと、ディック・ネルソンもその一人です。案の定、この方も米軍に在籍中に横浜、立川、別府、そして沖縄と、計5年間を日本で過ごされたそうです。
『よかったら一緒に食事しないか?妻がそこにいるんだが、君さえよければ是非!』と言われるので、断る理由などありません。奥様は最初こそ驚いておられましたが、快く相席させてくださいました。
おじいさんの名前はArtさん、この6月で88歳になられるそうです。日本におられたのが朝鮮戦争がこう着状態になった1951年からということですから、今から約60年も前のことです。それでも、時折日本語を並べながら日本での思い出を沢山語ってくれました。
60年も前のことですよ!考えられますか?少なくとも、僕は60年後にアメリカで審判していたことを事細かに覚えている自信がありません(というか、60年後に生きている自信すらありません)。
その後僕はジムへ行かなくてはいけなかったので一足先に失礼しましたが、名前とメールアドレスを書いたメモを渡してくれました。お礼のメールを出したところ、しっかりと返信までいただきました。本当にお元気なおじいさんです。
タイトルの一期一会とは少し違っているかもしれませんが、このような偶然の出会いもあるのだと再認識したのでした。
その本社がデトロイト郊外にあり、そこを訪れた2000年にハウスをキーピングしていた初老の方もやはり海軍関係で佐世保にいたといっていました。
野球の旅をしていると様々な体験や出会いがありとても楽しいですネ。
野野球ってすばらしいスポーツです。