岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

東京都紀行

東京都紀行 2011年9月

何となく前の晩からワクワクしていた。東京だった。
新幹線のぞみ号の指定席(窓際)を予約した。東京だった。
車内で、背もたれをやや後方に倒し、本を読んだり、窓外の景色を眺めたりしてゆったりした気分で過ごした。東京だった。
品川駅手前で満員の通勤電車が並走するのを見た。窓ガラスにトカゲのように手を当ててへばりついているホワイトカラーの乗客が見えた。人間の住む所じゃないな。東京だった。
品川駅からどこへ行けば、ゆりかもめに乗って、有明テニスの森公園へ行けるのか。その道順が分からなかった。東京だった。
のっぽのビルの群れ、風変わりな形のビル、黄色いタクシー。東京だった。
東レパンパシフィックテニス、そこで世界のトッププレーヤーを見た。イバノビッチ、シャラポワを間近に見た。東京だった。
夕方、銀座三越の中のすし屋「築地青空三代目」へ行くためにエレベーターに乗った。隣にはエレガントな若い女性たちが絹とダイヤモンドの匂いを漂わせていた。勘定の際、店名の由来を聞いたら、板前が、たまたま斜め前で食事していた二人の青年の一人を「うちの社長です」と紹介してくれた。若社長が「おじいさんが築地で魚屋を・・・」と説明し出した。その声はどこまでも軽く、明るく、まさに青空に響き渡るような声だった。東京だった。
次の朝、南青山のスターバックスでコーヒーを飲んだ。朝からなぜかジャズが流れていた。朝のスターバックスでジャス、かなりいいんじゃねえの。右隣の、そのまた隣の席に、若い女の子がノートに何かを書いていた。よく見ると、12色ほどの短い色鉛筆がテーブルの上に置いてある。絵日記のようなものを書いているようだった。私は窓の外に揺れていた一本の雑草を見ていた。「こんな所に名もない雑草がはかなげに生きている」私は心の中で呟いた。東京だった。
青山学院の校門の前を通った。上品な、富裕階級の匂いがした。東京だった。
ホームで、時計回りと反時計回りの山手線が走っているのを確認した。東京だった。
地図上で、蜘蛛の巣のように張り巡らされた交通網を調べた。東京だった。
帰りのホームの土産物売り場で「東京ばなな」を見た。東京だった。
刺激的な二日間だった。東京だった。
行ってみたい所は山ほどあった。東京だった。
交通費が高かった。東京だった。
また行きたい。東京だった。

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