愛犬と一緒にスウェーデンにいくには?

ペットと旅行に関する更新 のつもりが長年の放置
そして愛犬うみは、2014年2月24日虹の橋へ向かってTakeoff…

ご訪問いただきありがとうございます

うみが虹の橋に引越してから2年が過ぎました。

抱きまくら

2014-03-19 13:01:36 | うみ@虹の橋ステイ中
昨日は、ほとんど何もせず、思い出しては泣き、思い出しては泣き、
夕方から、骨壷のはいった桐箱をかかえて、寝てしまった。
硬くて四角い桐箱なんてかかえにくいはずなのに、
そうしてるとよく眠れる。
人からみたら、さぞかし痛い人に見えるだろうな。

骨壷は、ガラス製で、桐箱にいれて置くつもりはなかったんだけど
この間の地震で、心配になり、桐箱におさめて置こうと思ったところ
なんと、骨壷にとってのついた蓋をすると、桐箱の蓋が5mmほど浮いて
おさまらない。

送られてきたときは、蓋が逆さまにして、梱包されてあったので
おさまってた。
まさか、蓋をしめたらおさまらないとは思わなかった…。
ネットで買ったので、購入先にメールで、問い合わせると
桐箱に入れての保管、移動は想定してなかったと…。

これについては、サイトに掲載されていた桐箱と仕様がちがってるし
ちょっと言いたいこともあるけど、魂が半分抜けかかってる状態で、
無駄なエネルギー消費は避けたいので、きちんとおさまる
桐箱を発注した。材料費と送料のみで、4725円なり。

来週には届くと思うけど、蓋のきちんと閉まらない桐箱が
いまは、一番の抱きまくら。

眩しい朝日が苦手になった

2014-03-18 09:38:00 | うみ@虹の橋ステイ中
子供の頃から、雨降りや、曇った暗い日が嫌いだったのに
東南のベランダからの眩しい朝日にカーテンを開けずに
過ごすようになった。

なんでこんなに眩しい朝がくるのに、うみがいないんだろう
と思ってしまうから。
時が止まってしまう。というのはこういうことを言うのかな。
カレンダーからも季節からも取り残されている。

なんで、3月なんだろ?なんで、春なんだろ?
うみがいないのに。
毎日、時間だけが、過ぎていく。
うみのいた時間からどんどん離れていくのが、かなしい。

波があって、日によって、時間によって、大丈夫のときと
大丈夫じゃないときがある。
どうしようもなくかなしくなった時は、骨壷をかかえてる。
一緒にいる気がして、少し落ち着く。

絵心なんかまったくないのに、うみのスケッチをしてる。
コピー用紙に、普通の鉛筆で。
そして、こうして、ブログを書く。
姿のみえないうみと過ごす日常になれるために。

思い出を過去の日付で更新

2014-03-17 09:08:39 | うみ@虹の橋ステイ中
偶然だけど、長年放置しておいたgooブログが過去の日付で
更新できるブログであったことに感謝します。
うみがうちのこになってくれた1997年の日付でも更新できました。

サービス終了でなくなってしまってたブログもバックアップから
その時の日付で更新できてます。
そのブログも10年ぐらい前のもので、もうすっかり忘れてたような
ことも思い出し、若かりし頃のうみを懐かしんでいます。

最近のことは、まだ詳しく更新する気にはなれませんが
元気だったころのうみを思い出して、更新している間は、
何もする気のない私の心を幾分か元気にしてくれます。

放置期間の写真は殆んどないけど、思い出せる限り、
埋めていこうと思っています。



三七日

2014-03-16 08:17:16 | うみ@虹の橋ステイ中
21日たった。
この1週間は長く感じた。
うみのトイレはまだ片付けられないでいる。
その他のものもそのまま。
もう使うことはないんだけれど。

今週は、大きな地震があった。
その時は、ちょうど起きてて、緊急地震速報がなって
え?っと思ったら揺れ始めた。
めったに大きな地震はないけど、いつも一番に気になる
うみがいないことに、あぁもう心配しなくていいんだと
変にほっとする。

13年前の大きな地震のときは、うみは3~4歳ぐらい。
水槽がたおれないように片手で押さえて、片手でうみを
押さえて、揺れがおさまったとき、うみはおしっこを
ちびってました。

あのころは元気だったなぁ。若いから当たり前だけど。
ここ数年は多少の揺れは、ぐーぐー寝て、目を覚ましも
しなかった。
かみなりも、平気だった。

生きてる限り、いつかお別れは来るものだけど
うみはすごくがんばってくれたけど
毛玉のついたあったかいうみがいないことが
どうしようもなく、さみしく、かなしい。

写真に、夢にでてきてね。とお願いする。
そうすると、うみはでてきてくれる。
いつもほんのすこしで、顔がみえなかったりするけど。
今朝は、はじめて抱っこしてる夢だった。

やわらかくて、あったかい。
夢のなかで、ほかのワンコが亡くなったことになってて
でも、うみは生きててよかった。ということにになってた。
自分がかかえてるのに、客観視できてて、顔もみえる。
少しの間だったけど、嬉しかった。

うみまたでてきてね。



二七日

2014-03-09 10:52:20 | うみ@虹の橋ステイ中
14日たった。
でも、もっと長い間に感じる。
入院したときから、姿がないので、その分なのかもしれない。

部屋のどこにも、うみの姿がないのが、どうしてなのか
よくわからない。
夜寝る時、クッションと毛布の間に挟まって寝てた場所にも
トイレにも、台所にいる私をみてるときに、座ってた場所
にも、どこにもいない。

火葬にして、骨は全部持って帰って、骨壷にいれて置いてあって
写真に、ごはんとお水とお花をお供えしてるけど。
なんで、どこにもいないんだろ。と思う。

同じようにワンコを亡くした方のブログを読んだりすると
感じることは同じなんだと思い、少し落ち着く。
最初はなにもできず、辛すぎて寝てばっかり。
今は、ブログを読んだり、更新もしたり。

そして、いろんなことがかなしいけど、姿がないということが
さびしいと思う。
最近は寝てばっかりだったけど、気持ちよさそうに寝てるうみを
みるのが好きだった。

ヘルニアの手術をしてからの10年は、頚椎ヘルニアで強い痛みが
でたり、いつもうみのことが心配だった。
不満があったり、調子が悪いときは伏せで少し首を傾けて寝てて
調子がいいときは、横になって寝てたので、横になって寝てるうみを
みると、ホッとした。

ずっと寝ててもいいから、うみに会いたいなぁ。


世界で一番うみが好き

2014-03-03 18:40:48 | うみ@虹の橋ステイ中
数年ぶりにHomeのトップページを更新しました。

2014年2月24日うみが虹の橋に向かって旅立ちました。
うちに来て、16年と7ヶ月、推定16歳と10ヶ月でした。

2007年に乳腺腫瘍と避妊手術をしてから、怪我や病気になることもなく
お散歩でがんがん歩くというわけにはいきませんでしたが
元気に暮らしてました。

2009年にドッグカートを買って、お出かけはもっぱらカートの日々。


2012年後ろ足がたたなくなる前、カートから少しおろした時。



2012年に3回、後ろ足が立たなくなることがありましたが、注射と薬で
回復。
その頃から、ときどきむせるようになり、様子をみてたのですが
よくならないので、僧帽弁閉鎖不全もあることから、心臓のお薬を
少しずつ飲んでました。



そこからも、むせはするものの食欲もあり、カートでお出ましの日々。
2013年初夏、通院ではぁはぁして、舌が長くでたとき、左側側面の腫瘍に気がつく。
黒い悪性のものではないけど、見た目、良性悪性判断つかず。
高齢で、手術もできないので、そのままに。
2007年に、乳腺腫瘍の手術をした際、残した乳腺にできたシコリも少しずつ大きくなるが
これも、手術ができないので、そのままに。
2013年秋ごろからむせる回数が増え、この頃から、食欲はあるものの
好き嫌いを言うようになり、お薬を調整しつつ過ごして
ましたが、2013年年末、1年ぶりに撮ったレントゲンで肺に水が
少したまってました。

2014年、お薬を調整しつつ、好き嫌いをいいながらも食欲はあり
2月中旬頃、少しむせるのがおさまった日もあったのですが
そこから、すこし調子が落ちていました。

寝てる時間がだんだん長くなり、それでも、気持ちよさそうに
すーすー寝てるので、寝てるときはなるべく起こさずに過ごしていました。
入院する日の前日も、「うみちゃんお散歩行く?」っていうと
嬉しそうに、しっぽを2~3回ふり、いつもの海岸まで一回り。

その日20日も、昼ぐらいまですーすー気持ちよさそうに寝てました。
起きると、お腹がすいたといいにきて、「ごはん食べる?」と聞くと
自主的に左手でお手をして。

お薬を飲ませるための、缶詰を食べたあとに、まだお腹すいたと
訴えるので、もうすこし食べさせて、その後、呼吸が上がってしまいました。
少し様子をみていたけど、呼吸数が1分間に60ぐらい。(いつもは安静時20ぐらい)
病院に、電話してつれていくと、いつも病院にいくと、はっはっになるので
病院にいるときとしては、同じような感じでしたが
レントゲンで、肺がかなり白くなって水がたまってました。

即、酸素室での入院になり、利尿剤での治療になりましたが、
ずっとお薬を飲んでるので、薬の効き目はでないだろうと。
そして、酸素室で4日、苦しい日々を過ごし、24日の朝方、旅立ってしまいました。
家につれてかえりたくて、酸素ハウスのレンタルをして、24日の昼過ぎには
届く予定だったのですが、もし届いても、病院からの移動ができたか
どうか…。

もし、あのとき、もっと、こうしたらと思うことばかりと、
家でみてあげられなかったことが、本当に心残りです。
病院をでるときに、2001年頃からみて頂いてる病院の院長先生が
「あまり強そうな子じゃなかったのに、大事に飼われたから3年は
長く生きたと思いますよ。」とおっしゃってくださいました。

ここ数年、担当の先生はおんなの先生だったのですが、ときどき
院長先生が、年齢を確認にこられて、「すごいな」と言われてたのは
そういう意味だったのかと、その時知りました。

何年か前、犬と私の10の約束という映画があった時、公開前のCMで
「私は10年しか生きられません」というワンコのセリフが流れてて
その時、うみは10歳以上だったので、そのCMが流れるたびに、
はやく、公開日をむかえて終わってくれ。と思ってました。

その頃が一番怖くて、そこを過ぎた頃から、13歳、14歳、15歳、16歳…
もしかして、20歳ぐらいまで生きてくれるんじゃないかと思ったり
していたのですが…。
一生いっしょにはいられないのはわかってたのですが、こんな風に
お別れになるとは思いませんんでした。

入院するまで、自分でごはんを食べ、トイレもできました。
うみは、ほんとによくがんばってくれました。
24日に連れて帰り、25日は友引だったので26日朝まで、まる二日
いっしょに過ごしました。
最近は寝てる時間が長かったので、ほんとに寝てるだけのよう。

昨日が初七日で、うみと初めて会った場所に行ってきました。
過去に戻りたいと思ったことなどないのですが、今回ばかりは
うみと会ったあの日に戻って、また、うみに会いたいと思いました。

本当に本当に、ずっといっしょにいたので、いない生活を
どう過ごしていいのかわかりません。
いないということがわかっているようなわかってないような
感じです。

ずっと放置していたHPとブログで、もう読んでる人はいないと思いますが、
うみのことお知らせしたかったのと、私の気持ちを書きたくて更新しました。

少し下に、お別れの写真のUPします。(ダメな方はスルーして下さいね)




















うみ またね。