入院してから亡くなるまでの数日の間のことを、なるべく
思い出さないようにしてるけど。
何をしても何をみても、うみのことに繋がる連想ゲームは達人の域。
いつでもどこでも泣ける女優のようになり、
骨壷入り桐箱を抱いて寝るのは毎日のことになった。
ずっといっしょにいた。私の人生の中で、誰よりも長い時間。
一緒に出かけられるところは、バッグにいれて、いつも一緒だった。
今は、うみのお薬を飲ませることもなく、トイレシートを片付ける
こともごはんも用意しないし、カートでお散歩にも行かない生活。
うみのいない生活なんて、どう過ごしていいのかわからない。
そんな中、うみの写真を整理したり、お花を用意したりすること
だけは、しっかりできる。
特に、写真は、目が光って写ってる写真をなんとかしたくて
使い方がわからなかった画像編集ソフトのGIMPが、なんとなく
使えるようになった。
Before
After
このソフトをいじり倒してるあいだ、なんとなく、うみがそばにいる
気がした。
いつも寝てた場所をなんどか振り返ってみてみた。
基本的に、霊感とかない人なので、何も見えなかったけど。
私に、おしりや、背中をちょっとくっつけて寝てる感覚が
あるような気がしたり、背後に、いるような感覚があった。
見えないけど、感覚もないときがほとんどだけど、
うみはそばにいると思った。
お花の方は、昨日、目指していったお花屋さんにいいのがなく、
帰りはすっかり遅くなって、帰り道にあるお花屋さんは
もう閉まってて、ここで、すっかり悲しくなって、
うっうみっごめんねぇぇぇぇ~と、泣きながら運転するも、
時間が遅くなって、セルフ販売になってた、近くのスーパーの花屋さんに、
きれいなピンクのチューリップとレースフラワーを見つけた。
ここで、すっかりお手入れ不足に陥ってるベランダのお花を
しっかり育てようと決意。
そして、24日の月命日用のお花は、ちょっと遠くの良さそうな
お花屋さんでアレンジメントをお願いして、
そういえば、そのお花屋さんアレンジメントのお教室もあるから、
これから月命日にはお花がいるわけだし、いっそのことお教室に
通おうかなとかうみのことになると、俄然、覚醒する。
しかしながらこれについては、今日、そのお花屋さんに
行ってみたものの、いいお花がまったくなく、
そこに、アレンジメント教室に通う気は一気に失せた。
他に、お花屋さんをチェックしてなかったので、自分でお花を選んで、
作ってもらったけどお花はしおれかけだし、アレンジもあんまりで、
やっぱり昨日のスーパーのお花屋さんで、白のラナンキュラスと
レースフラワーを買い足して、自分で、ちょっと手直しした。
まだまだ、ぜんぜん、だめだめで、魂、半分抜けてますけど、
すこし、これからのうみとの過ごし方がみえた気がする。