創造雑感

創造雑感ノート

「闇の眼差し」(拙著 詩集「暗き淵」より抜粋)

2022-06-20 11:39:32 | 文学 詩 

 

この文章は23年前のものです。

内容は下記の説明文にあるようによく使われる「精神衛生学」です。

感覚界の足場が消失した意識状態で自己を如何に持ちこたえられるか?

あらゆる分野で表現されている、近代以降より今日まで続く個人の受難劇の核となっているものです。

このある種の虚無空間とも謂える状況に個人は己の方向性を失ってしまう。

その意識状態、空間でのつぶやきとも捉える事が出来ます。

 

 

***

 

 

近況を書いた文章が消えてしまった。
それで、似た内容の詩を代用して掲載する。
だが、この内容自体は決して健康な意識状態とはいえない。

ただ、精神衛生学としては有効である、というに留める。


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「闇の眼差し」(拙著 詩集・暗く淵より抜粋)

 

闇に融ける、この安らぎ、この郷愁に似た感覚を我は楽しむ。

 

幼い頃、私は意味もなく闇を恐れていた。一切を無化する得体の知れぬもの。


本能に宿った恐怖か?無意識に対する恐れか?その区別も定かならぬはるか昔。


今、闇の懐に抱かれた私は眠りを眠る。

真の闇を知る者にだけに与えられたこの甘美な至福、無――
恐れや畏怖は眠りの本質を理解し得ぬ者の幻想である。

一度この闇の魔力に取り憑かれれば、安らぐことの蜜の甘さ、陶酔が全身を、魂を満たすであろう。

久遠の闇は私を無に、全てにする。

無常も無明も時に呪縛されることの無い此の空間
私は闇と化し、大いなる眼差しと化し一切を観、何も観ない。

生も死も無いこの無上の恍惚とした空間

一切と無

光は死に、時も死に、我も死に、意識も無と化し・・・・・・

闇の全てが私であり全てであり光でもあるこの空間、誰がこれを知り得よう。

誰が耐え得よう・・・・・・この漆黒の闇に――


私は闇と化し 眼差しと化す この・・・・・・

 


二〇〇〇年一月六日

 


「パッション」秘儀

2022-05-09 03:01:06 | 文学 詩 

 

 

 

「パッション」秘儀

 

激しい轟音と共に俺の意識は上昇し、発光に包まれ、失神した。

俺の全細胞は霊光に焼かれた。名状し難い至福と苦痛によって俺の意識は変容した―――

狂おしい覚醒が灼熱した……

 心身はのたうち、俺は苦痛の極限状態の甘美に痺れた。
 地上を超えた絆が俺を捕らえては引きずり、粉々にした……

俺の眼前に殉教者の亡霊共が嵐の如く容赦無くまとわりついた。
俺は両極の拷問を熾烈に味わった。避けがたい運命に俺は呪縛されたのだ。


.......俺は全てを飲み込んだ。

    避けられぬ運命と観念せざるを得なかった。俺の魂は灼熱した。マグマの奔流が裡から肉を裂き、迸る――

世を絶した光源が闇を照らし、魂を灼く。


 俺はあらゆる他者に光の矢を放ち続けた・・残忍非情、仮借ない過酷な活動は狂人と等しい。殉教者と同化した俺にはただ火を投げつけるしか出来なかった。
 
 やがて、業火の渦はそちこちに火の手を上げた。消化する隙を与えず浄化の炎を片っ端に点け回った。地上のいかなる弁明も弁解も釈明も焼きつくす衝動が突き上げ、引きずる。

ああ、この狂おしいパッションを何としよう……

ゴルゴダの秘儀、名状し難い苦悩と無力――

そうだ、ひとは極限状態の持続の中で真の自我に目覚める。だが、つぶさに検証すると眼の眩む多様さであった。自らの視点が全てに通用する訳ではない。

更なる緻密な検証が要求された。
 俺は言葉を原初に辿った。......心魂から霊へ――

 ああ、あまたの魂は霊界の入口の門前でのたうっていた。彼らは地上の同胞への同情ゆえに倒れたのである。
 自称神秘家共は所詮現実逃避から自己の幻想に呪縛されている。世の思想家共は知的錯乱を受け入れては生存を憎んでいる。矜持もなければ探求する度胸も無い。惰眠の真理をほざいている。

   ああ、誰も彼もが尤もだ。だが、これはしたたかな伝道の手段だ世間知を逆手に取ることだ。過去の殉教者の先 に行くために......

   今日、悪魔と呼ばれるルチファー、アーリマンの双方のうち後者の力は猛威を奪っている。物神思想がそれである。だが、この事情は誰もが耳を塞ぐ。地上の習慣は細胞の隅々まで染み込んでいる。

 ああ、俺は埒もないことを言っている。外道の言葉とは言うまい。だが、語
るべき言葉は同じ言葉なのだ。パンはパンである。飯は飯である。金は金であ
る。

 ああ、言葉、言葉、言葉、……
  
俺の情熱は奥に、中心に潜む、マグマの如く。

俺は今如何ともし難い光景を前に佇んでいる。自己の無力を痛感しつつ、灼熱する忍耐の鎧を着て、……風景と化している。
                          
       
 二〇〇〇年一月六日 


われとわれ ―― 友へ

2019-11-16 18:31:00 | 文学 詩 
われとわれ       ―― 友へ


われはわれにあらずわれわれにありてもわれにあらずわれとわれわれはわれに

ありわれはわれをわすれわれにあらずわれわれをわれとおもうことでわれをわ

すれわれをすくいわれをうしないわれわれのなかにわれつづける われのはて

にありてもわれにあらずわれわれのなかにとけてもわれにあらずわれをわれわ

れのなかにとかしてわれわれのなかのわれをしるしぬしるわれわれのなかのわ

れはわれをわれわれのなかのいちぶとしてぜんたいとしてわれわれははてしな

くわれているわれをしるかんじるみるわれのわれわれはわれわれのわれをおも

うおもうわれはわれのはてにありわれのなかにありわれわれはわれであるとわ

れとわれわれはとけてとけずわれをしりさらにわれはわれわれのなかにわれと

われわれわれわれとわれはわれであるとしるわれはわれになりてわれとわれわ

れとわれのわれをむすぶこんなんをしりわれははてしなくわれをわれていくの

をわれわれのわれとしるわれはわれにあらずわれはわれにあらずわれはわれに

ありわれはわれわれにありわれとわれはわれわれにありとしりわれはわれとな

るためにわれとわれわれとわれをわれにあらずわれにありとなすわれわれとわ

れはわれにあらずわれでありわれわれはわれわれにあらずわれでありわれとわ

れはわれわれとわれであるわれとわれゆれわれゆれわれゆれわれるわれわれと

われわれとわれ
                       
 一九八九年六月二十六日




「小林秀雄論」より

2019-10-12 05:36:00 | 文学 詩 
「私の眼は光っているが、私の胸は暗いのだ」
小林秀雄が「ルナアルの日記」のなかで チェホフの日記の言葉を引用したものだが、小林秀雄自身も又実生活のなかで同じ想い を痛烈に味わっていた。この言葉の分析はたやすい。科学者の透徹した眼差しと真の宗 教家の情熱さえあれば誰でも吐ける言葉である。人生のあらゆるものをまるごと事実と して受け入れ、それに手を加えようとすれば、いやでも胸は暗くなる。しかしそれを達 観する事が出来れば、何の事はない、単に人間の宿命というワンパターンの見せ物にす ぎぬ。だがそれに自らが関与するとたちまちのたうつことになる。自己の無力さを思い 知るからである。この関の事情を悟性で理解する事は誰にでも出来る。だがパスカルが 言ったように「大人物にとっても、小人にとっても、起こる事件は同じ、不快さも同じ、 情念も同じである。だが、一方は車輪のふちにおり、他方は中心近くにいる。だから、 同じように動かされても、動き方が少ない。」(パンセ、一八○、田辺保訳)これは又、逆も然りである。ミクロもマクロも同現象と映ずる。


「小林秀雄論」サイト
http://selfawareness7.web.fc2.com/about1.html?fbclid=IwAR1YTYCKAupcTPwkVNbohT5haGFlEz3Dsm1iA6oSZxvqAAL4H_4AF75pSXQ