これは10数年前に書いたものです、、。。
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「おふぇりや遺文」
小林秀雄の数少ない創作のなかでも『おふぇりや遺文』ほど批評家を悩ますものもあるまい。
またこの『おふぇりや遺文』に言及しているものもそうはいまい。
かのシェークスピアの代表作である『ハムレット』。
その恋人であるオフェリヤ。
小林秀雄はオフェリアの秘められた哀しみ、魂の奥底を観る。
気がふれて入水自殺したこの女性にひとは何を読み取るのであろうか?
ロミオとジュリエットの対極に位置するかのような、この作品。
作者が主役を引き立てるために必要としたのか?未来無き絶望とはこのように死に至らしめるのか?
華々しいものではない、平凡な悩みのヒロインの物語。
この一見何気なく何処にでもありそうな心理を何故選び描いたのか。ここに小林秀雄の秘密が見え隠れする。
観ようと思えば何処にでも『真理』はそこかしこに転がっているのだと。
和やかな眼だけが恐ろしい、と言い切る小林秀雄。
大義名分やヒロイックなるものは平凡人にはたまらなく刺激であるか。
では日常の自分達の実生活はそれほどつまらなく退屈であるか。
無能有能とは如何なる基準をもってすべきや否や。
主人公と脇役とは如何なるからくりであるか。
諸君、しかと見たまえ、君たちの足元にあるものを、とでも言いたげな小林秀雄の名状し難い音調を聞くのは私だけであろうか?
この拙い感想と引用文を、世の鋭敏と称される批評家に無視され続ける『おふぇりや遺文』に捧げよう。
「なぜ、あなたはいつも横を向いていらしたのか、なぜ、わたしの無邪気を育ててはくださらなかった。何もかも黙って見ていらしたのじゃありませんか。育ててくださったら、どうしてわたしは無邪気が悲しいものだなどと申しましょう。無邪気がこみ入っているなどともうしましょう。」(おふぇりや遺文より)