宇田川榕菴と珈琲

宇田川榕菴は江戸時代後期の津山藩医で日本の蘭学者です。日本における近代科学の確立に多大な貢献を果たしました。

オオガキ珈琲について

2012-10-13 01:19:33 | 珈琲について
寄せられたコメントの中に以下の内容がありました。

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岐阜県大垣市が「珈琲発祥の地」と発信して関連商品を販売するのは消費者に誤解を与えないでしょうか?。消費者庁のガイドブックには「ウソや大げさな表示など、消費者をだますような表示を禁止しています」とあります。
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上の写真にある「珈琲発祥の地 大垣」の見出しは「ウソや大げさな表示」になると思います。
理由は、こちらをご覧ください

現在の日本で一般的となった「珈琲」の字を考案した宇田川榕菴が大垣で生まれた訳でもなく、宇田川榕菴が訪れたことのない町、大垣が「珈琲発祥の地 大垣」として関連商品を売るのは、明らかに消費者に誤解を与えていると思います。

また違うコメントには
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大垣の関係者と思われるブログに「大垣を珈琲発祥の地と、いささか強引ですが、そういうことになっています。そういうことにしました。」と書いてあります。そういう思考回路だと思います。史実を無視してそういことにしたとの自覚があるだけに悪質です。
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とあります。

また、参考までに写真の中の(1)(2)(3)は大垣に伝わる資料ではありません。本当の宇田川榕菴ゆかりの地や施設から集めたものを使用しているのです。自前では何も用意できないのがオオガキ珈琲の実態です。

写真(1)(2)(3)の出典をなぜ明示しないのでしょうか?特に(2)については、著作権が存在します。使用許可を得ているのでしょうか?

史実に基づいた正確な情報を発信しなければ、本当の「オオガキ珈琲」ブランドを確立することは難しいのではないでしょうか。

取り返しがつかなくなる前に、早急に改めるべきだと思います。

珈琲発祥の地は大垣市か?

2012-10-01 18:28:47 | 宇田川榕菴と珈琲
否定的なコメントをいただいたので、史実に即して検証します。

まず、宇田川榕菴は大垣市では生まれていません。従って「大垣出身」または「大垣市出身」という言い方はウソになります。

榕菴は江戸日本橋の呉服町で生まれ、宇田川家に養子入りするまで呉服町で育っています。そして「珈琲」の字を考えたのは、宇田川家に養子に入ってからです。さらに言うと蘭学の名門、宇田川家で知識を得ることによって「珈琲」の字が考え出されたのです。

従って「珈琲」が大垣発祥というのは、かなり無理があるというより、常識的な範囲を超えた非常識な言い方です。もっと言うなら榕菴は、大垣を一度も訪ねたことがありません。

それもそのはずで、大垣藩医・江沢家は榕菴の義祖父、江沢養樹が上総国(千葉県)から江戸に出てきて医学を学んでいるとき大垣藩主の戸田家に江戸詰めの藩医として召抱えられたことにより始まります。

榕菴の実父、中島道義は越後国蒲原郡見付(新潟県阿賀野市・旧安田町)の漢方医中島理斎の息子でその江戸詰めの江沢家に養子に入り二代目江沢養樹となります。

従って、榕菴にとって江戸、上総、越後に親戚はいても、岐阜県大垣市には親戚すらいない縁の薄い土地だったのです。

榕菴自身も文政10(1827)年に書いた「親類書」に、

松平越後守家来
 高50石 生国武蔵 宇田川榕菴

として、出身は武蔵だとしています。

1、大垣は榕菴自身が出身地だと思っていない
2、大垣には榕菴自身が行ったことがない
3、当時の大垣には榕菴の親戚もいない
4、榕菴は江戸で生まれ育っている
5、珈琲の字は榕菴の養子入り後の業績
6、榕菴の墓所は養子に入った岡山県津山市にある

以上、岐阜県大垣市が「珈琲発祥の地」と言えるのか?常識ある判断をしてみてください。