松の内のご挨拶に釜石へ行ってきました
天候に恵まれ 主人の車で行ってきました
義父母のお墓参りをしてから
主人の実家へ行ってきました
1年に何度も行っているけれど 震災の復興は一向に進んでいません
この高い堤防だけは完成でしょうか
国道45号線の橋桁は津波に流されずに復興に大いに役割を果たしています
ここは 嬉石 震災前に区画整理で新築のお家が沢山建っていましたが
沢山の尊い命が奪われました
お家は1軒も建っていません
石が摘まれているいころの人も亡くなりました
座敷の中に真っ赤なフェラリーが
バックでとどまっていました
知人の家族がこの近辺で流されて全員亡くなりました
1軒だけあるコンビニは復興の仕事をしている人たちが
お弁当を買いに来ていました
3月が来ると丸5年
現地は まだまだ被害がむき出しで
移転していった人たちは 帰ってくるのだろうか・・・・・・
私のように80歳に近づいては 生活を替えることは大変だろうな~と
心が痛みました
甥御さんお商売また移転で大変でしょうが、頑張ってください。政府の政策が後手後手なのでこんなことになっているんですよね。本当に永田町にいて何がわかるというのでしょうか。